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私も学校を休みがちだったからこそ、息子の気持ちは分かると思っていた(17/90)

中学生時代と言えば、私の人生の中でベスト3に入るぐらい、色んなことがあった時期でした。

ただただ楽しかった小学校を卒業して、中学に入った途端、180度環境が変わり、急に厳しくなったことが軍隊にでも入ったのかと思うほどでした。(実際そんな風に思ってました)

それでも、部活のあと、暗くなった帰り道をおしゃべりしながら帰ったり、好きなアイドルの話をしたり、小学生の頃より行動範囲もぐっと広がって、自転車でかなりの距離出かけたり、楽しかったことももちろんありました。

ところが、私は中2になるタイミングで転校をします。将来を考えて、環境を変えるためでした。

私の人見知りな性格を知っている父は反対しましたが、娘の希望を叶えてあげたい母に説得される形で、私は親元を離れて、父の友人に紹介してもらった、家族にお世話になることになりました。

全てが新しい環境。
学校も、友だちも、お世話になる家庭での生活。今まで親にしてもらっていた身の回りのことも自分でやらなければなりません。(食事は作ってもらっていましたが、お洗濯や制服のアイロンがけなどは自分でやってました)

大きな希望を胸に行ったはずだったのに、すぐにホームシックにかかり、しばらく寂しさと戦っていたのを思い出します。(カレンダーの帰る日付に印をつけて、あと何日と数えてました^^;)

そんな状態でしたが、段々学校生活にも慣れてきて、お友達もできて楽しく過ごしていました。

しかし、肝心な成績は思うようにはならず、しかもそのタイミングで、とあるバンドを好きになってしまい、もう勉強どころではなくなりました。当時の私のモヤモヤしていた心の隙間を埋めてくれたんだと思います。

そうなると、全てがどうでもよくなってしまい、学校も休みがちになりました。今自分で考えてみても、どうして?そんな事で?と思ってしまいますが、とにかく学校へ行きたくなかったんです。ただ単にわがままだったのか、自分でも理由がわかりません。

わざわざ、その環境に自ら飛び込んだのに、成果を出すどころか、学校にすら行かない事を、父に色々と言われた記憶はあります。特別責められたりはしませんでしたが、今思えば、父は私を変えようとしていたのかも知れません。最初、私が息子にしたように。

1日休むと3日は続けて休む。4日目には何となく飽きてきて、学校へ行く。このパターンが多かったと思います。

だいぶ省略しますが…

そんな日々を繰り返し、結果的に現役で高校へは進学しませんでした。その一年後に高校へは入学しました。

私自身が波乱な中学時代を過ごしたので、自分の子ども達が中学生になっても、誰よりも気持ちを理解してあげられると自信を持っていました。

しかし、私は息子を理解してあげられなかった。
それはとてもショックでした。

今思うと、息子と私は別なので、当然です。

これは、他のことでもそうかもしれません。
経験しているから気持ちがわかる。だから、こうすればいいよと言ってあげたくなる。

でも、親子ですら、別な人間なんだから、わたしの経験が全て当てはまるわけではなく、理解してあげられないことがあって、当たり前なんです。

私は、息子の不登校を通して、それに気づくことができました。息子に感謝。ホントありがたい存在。

機会がありましたら、省略した部分も書いていきたいと思います。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。

ひとりごと

今では、中学時代の話は
自分の中でも会話のネタになってるけど
当時は自分で自分のこともよくわからず、
この先どうしたらいいのかなぁと
天井を見ながら考えていたな。

あの時間も今の私が存在する上では
かけがえのない時間で
あって良かったんだよね。
いつか息子にもそう思って欲しいなぁ。


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