「感覚」人間だからの考え方

さてさて、私のIPアドレスわかっても大丈夫です。裏垢でやましい事はしていません(笑)最近youtubeプレミアに加入して広告ストレスから解放されました事ご報告します。

タイトルの感覚というスピリチュアルなキーワードですが、私が非常に大切にしている言葉であり、実際にやっていることなんで少しお話し致します。

物理的なものでは無い、体で、心で感じる目に見えない力。感覚=クリエティブな事やる人とか、職人さんとかがやはりこの能力を持っている人が多いと思います。目に見えないものなので説明はしにくいですが、この感覚には先を読むことにもつながったり、危険を察知する危機管理につながる力にもなると私は思っています。

いつからこの感覚を大事にしようと思ったかっていうと、最近です。      群馬に移住してからなんですよね、東京にいるときは特には気にしたこともないけど、個人的に過去を振り返ると昔からこの感覚につながる行動はしていたように思います。

決断したら即実行、やりたいことはやるけど、やばいと思うことには感が働く、危ない時もなんとか乗り越えてきた、お金がない時も、借金だらけの時もやばいなぁーと思ったらなぜかお金が回る。そんな感じですが。性格的にハマったら(決断)まっしぐら!結果残すまで!な性格。しかし目移りも早い(笑)こんな自己分析ですが、感覚に行動していたことに対して通じる部分があったと思います。

実際は様々な人と出会い、サービス業って事で、何千人のお客様と出会い、仕事で失敗したり、プライベートで失敗したり、もちろん成功もあるし、知らない知識を知ったり、勉強したり、このような経験があったから少しづつ成長してきた過程があると思います。

移住を決断した時の状況って仕事がすごく辛い時があって、何をしてもうまくいかない、どうしていいかわからない、なんだか先が見えないけど、時間と仕事をこなしていく生活、その合間に楽しいことがあったりして、とにかくがむしゃらになっていた時がありました。28〜34歳ぐらいかな。この時期にサービス業の深いところまで勉強できたし、いろいろな業界の経験をしていたんだけど、追い詰められて追い詰められ。。。。当時は普段は正常なんでエンジェルスマイル宇野というあだ名をつけられるほど、業務中は笑顔で対応していたのだが、たまにダウンしていたし、色々ある時は周りからは「明るい鬱」って診断されていました。そんな時って夫婦関係にも色々問題が出るようになって。。。それはまた今度

こんな経験から東京で生活するにおいてもう、いいかなって思い始めて、この先どうなるかわかならし、これからの時代は地方だ!って誰に勧められるわけじゃ無く決断しました。

その時と同時に未来について考えるようになって、この先日本はどうなるだろう?世界はどうなるだろう?ってね、色々と敏感になってきた記憶があります。昔からスピリチュアルなことは苦手ではなかったし、実際そんな人たちが自然と周りいた。だからこそ、見えないものを見ようとしたりでは無く、感じることが多く、そこには良いもの、悪いものがあり、それを普通に感じる感覚があったかもしれないですね、または物質社会から完全に離れた自然の暮らしには憧れはなかった。そんな暮らしよりは物質社会で生まれ、その時代で生きている私たちはこれをうまく受け入れて、忘れかけている精神社会の融合こそが新しいライフスタイルだと当時は思いました。私はどちらからと言えば地球不要論者かもしれない。物質に依存している現代ではもう元に戻ることは出来ない、環境破壊も人間が作り出したもの、また、人類が一つになることはまず出来ない、だから一度破滅した方が人間のためだねって考えなんです。人は必ず死ぬし、いつ死ぬかはわからないけど、いつ死んでもいいように精一杯今の時代を生きる。すべてを受け入れてね、

話が脱線したので戻ります。

初めて会った人でもなんとなく性格や考え方ってのは話したらわかると思いますが、その先にある違和感を感じる人もいます、その時は一瞬の違和感なんで忘れている場合も多いですが、正直後からやっぱりね。。。。って事柄もたくさんありました。捕まったり、性格が悪かったりなどね、少し違うなってやつ。そのもも私はあまり群れるのが嫌いなので、友達も少ないです。逆に知り合いはたくさんいますが。

そもそも感覚重視しているので、人との距離を自分で測ります。

距離とはその人とどこまで深く入り込むか?

深く入るなら、とことん私は協力、尽くします。

この辺は自己犠牲の精神が働きます。

大体集まっているグループ見ると同じ感覚の人たちしか集まりません。類は友を呼ぶってやつです。同じ思想、共感を共有出来て、居心地が良いからです。

だって、同じ感覚の持ち主たちだから会うに決まってる。

あえて私はそこには行きません。行けないですね。

もちろん考え方や行動ややっていることを完全否定するわけじゃ無く、面白そうなら協力はするけど、私は自分が納得した事しか最大の力を発揮したくないのでそのような感覚になります。

さらに移住後、起業して1人で稼いでいかなければならない状況を作ったのでさらに磨きがかかったと思います。失敗が許されないというか、すべて自己責任、結果も方向性も決断も自分自身しかいない。お金も自分自身の懐から出さないといけない。これは追い詰められているのでは無く、全ての答えは自分自身しか出せないという事実があり、今までやってきたこと、出会った人たちから学んだり経験したことが力になってきました。

その感覚を磨けば磨くほど、

生まれてから今まで自分が行った行動と結果全てが走馬灯にように流れてきて、あの時代の出会ったあの人の言葉の意味がわかるようになりました。当時は理解できず反発した、当時のあの人の立場だったら、とても辛いだろう。なんであんな別れ方したのか?今の思いがあの当時あれば人生は変わっていたなとか、たくさんの涙が出てきた。これは移住した当時、たった20年弱の間に出会った人が実は自分にとって必要な存在で、今の私を作る上で必然だったことだと私は感じています。これは自分自身の弱い部分、強い部分がはっきり自覚できて、それを隠すことなく前向きに肯定し、受け入れた瞬間があったのです。感覚を磨けば磨くほど己の力を引き出してくれたと私は感じております。

感覚を磨くとは単なる精神論やスピリチュアルなものではなく、自分の歴史において経験したこと全てから気が付く自分自身への修行の賜物であるのではないか?と思います。自分自身を磨く、これに気が付くのが10代、20代で気が付く人も30代40代で気が付く人も、一生気が付かない人もいる。それでも生きてはいける。ただ、それは幸せだろうか?感覚という中には自分に対するものと、相手がいて成立するものがある。自分の感受性、道徳性、慈愛を磨いて、良い感覚を身につければ、何をしようとしても必ず大きな力になると思います。

そこで感覚を洗練していくことで道が開ける力になると私は思います。

ゆっくり深呼吸して、残りの人生を楽しもう!



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