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髙島泰「東国の櫟」@『雨は五分後にやんで』

こんにちは、さちこです。普段は、外国の方に第二言語としての日本語を教えています。どうぞよろしくお願いします。

「東国の櫟」。まず櫟が読めない……調べる。「くぬぎ」。

「クヌギかー、木に楽しいでクヌギ。なんで?クヌギって楽しい木なの?」である。
そして、「数多ある木の中からなぜ櫟がタイトルとして選ばれたのか」、である。

タイトルの櫟が暗示するように、調べまくらないと読めない小説であった。
しかし、冒頭の櫟が暗示するように、調べることで「ほー」となる1粒で2度美味しい小説なのであった。

東国は東北かと思いきや、舞台は高麗(現在の韓国・北朝鮮)。しかも、元に服属していた時代である。……困った、小説を読むにあたって街並みや登場人物の服装などを思い描きたいが、何も知らないのでできない…。

こういう時は「大河ドラマだ!ネットフリックスだ!」と、
高麗時代が舞台のドラマを検索。

あった。
『王は愛する』
https://www.netflix.com/jp/title/81042494

近い時代のドラマがあればと探したら、なんと小説に登場する忠宣王がメインキャラクターの一人!?


どうもラブストーリーでフィクションなのでまるまるしんじるわけにはいかないが、街の様子や衣服などは参考になるだろう。観てみよう。

冒頭、鷹の飛翔から始まる。なぜに鷹?と思った後、ハッとする。
小説の中で元への貢物として「海東青」という鷹が紹介されていたからである。
小説では貢物として元から指定され、ドラマではわざわざ冒頭に選ばれているのを見て、他国にとっての高麗産の鷹の価値や、韓国の方にとっての鷹が持つ意味を想像する。

小説ではクトゥルク=ケミシュとモンゴル名で登場する世祖クビライの娘、忠烈王(忠宣王の父)の王妃は、ドラマでは元成公主(公主は「中国で天子の娘」)。彼女の衣装が、とにかくすごい。肩の部分がガッと横に張り出している。巨大肩パッド。「高麗の王族ってこんな衣服やったんやー、日本の着物とは大分違うな、チマチョゴリとも違う感じや、チマチョゴリっていつから?」と考え、ふと気づく。肩パッドは元成公主だけで、高麗人の妃は違う。高麗に嫁いでも元の衣装のままでいるのは、郷愁だろうか、高麗と元の力関係の象徴だろうか。なにせ元からの随身の態度もめちゃ高飛車なのだ。フィクションだけど、もしかしたらドラマを製作した韓国側の、元に服属させられていた時代に対する捉え方だろうか。

「東国の櫟」で描写される元の支配の仕方は、想像だにできないことだった。高校の世界史で「元に攻め入られた」と教科書を読むだけでは、何もわかっていなかったことに気づかされる。他国に攻められ服従させられるということ、一人一人命を持つ人達が王から民に至るまでどのように扱われるのか。様々な国に攻め入られた韓国の歴史を思い出し、その度に同じような目にあってきたのだろうか、日本も元に攻められたよな、海と嵐という幸運で日本は同じ目にはあわなかったけれど、もし海がなかったら?嵐が来なかったら?

「東国の櫟」は、主人公・李斉賢がそのような状況下で如何にして祖国の尊厳を守るかという物語に私には読めた。

李斉賢が心に留める「性即理」。「性」とは心が静かな状態、情や欲にならない状態で、万物の「理」を性にのみ認めるとする朱熹の理学。そして、常に敬の姿勢で理を窮めて世界を見る「居敬窮理」の心構え。人の理が「性」であるように、国にも理があり「性」があると考え、それは人や習俗、ことば、山河、土にあると考える李斉賢。
これは、高麗にだけに当てはまることではなく、現代のどの国にもどの人々にも当てはまることなのではないだろうか。数々の分断にあえぐ国々、人々。「性即理」「居敬窮理」でいられたなら?

そしてタイトルにあった、「櫟」のような木でありたいと望む李斉賢。材木としては役に立たない木だけれど、「楽」の心構えで、つまり身も心も安らかで静かな状態でなければ切り拓けぬことをしよう。杉や檜のような国の柱となる若者を見つけようと。
わたし自身も役に立たない木で、しかももういい歳なのだけれど、李斉賢のように、「楽」の心構えで、つまり「性即理」、「居敬窮理」の心構えで、これからの世代のためにほんのちょっとでも何かできれば嬉しくなれる気がした。

祖国の大事には、命を賭して祖国の「理」を気と精を込めて説き、伝える李斉賢。学究だけでなく行動の人。そういえば、木は二酸化炭素から酸素を生成して、人間を含む動物を助けてくれるよなあ、なんて。こじつけである。

髙島泰さんというのは、実は田中泰延(ひろのぶ)さんである。

この記事を書きながら、「髙島泰」の泰と「田中泰延」の泰が同じことににやっと気づいた。最初にこの小説を読んでからもうすぐ一年がたとうとしている。

そして、「髙島泰」というペンネームは、「抱きしめたい」からきていると田中泰延さんがtwitterでおっしゃっていた。
かの有名な田中泰延さんのTwitterがこちら。


ちなみに田中泰延さんという御方は、2020年に私が最もインパクトを受けた方である。
ご著書はこちら。

これを読んで感銘を受けた私は、開設したばかりのTwitterに冷めやらない興奮のままにツイートした。すると青天の霹靂、田中泰延さん御本人からフォローされたのである!!!!! 有難いことに、田中泰延さんは私のフォロワー第1号である。

それだけでも、どハマりするには十分な理由だが、
良い!と思った著者の既刊は取りあえず読み漁る癖のある私は、
田中泰延さんの文章を読みまくり、どっぷりハマってしまった。
その全ては紹介しきれないので、路線の違う2つをご紹介。
他にも七色の筆致で、多くはネットで読めるので検索してぜひ読んでいただきたい。
十中八九きっと必ずおそらく、ハマること間違いなしである。
(ハマらなくても何の補償もありません)

そんな田中泰延さんの満を持しての初小説が、髙島泰「東国の櫟」なのである。
それまでの田中泰延さんの随筆が、驚くほどの長編でもすらすら読めたのとは一線を画している、「調べる」ことの楽しさもついてくるお話である。
この小説は、作家の浅生鴨さんが作られた、豪華絢爛な執筆陣による”同人誌”『雨は五分後にやんで』に収録されている。

作家・浅生鴨さんは、……長くなるので泣く泣く割愛します。

※最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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