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仏教哲学がおもしろい 全てが空

空と縁起の概念を学びました。
すごく面白く、マインドフルネスや瞑想との繋がりを感じます。
仏教哲学は、決してよそ行きのものではなく、日常に生かされるものでした。

全ては空

「そら」ではなく、「くう」
空は物事の絶対性を否定しています。

絶対にこうである!というものは一切存在しない。
そうである、と認識をした時に、そのように映っているだけ。

仮に空を否定し、物事に絶対性があるのならば、私が苦手な紅ショウガは世界中の人が苦手でしょう。

紅ショウガという存在に「まずい」という絶対性がないから、牛丼に真っ赤になる程のせる人がいます。

腹が立つこと、うれしいこと、好きな物、嫌いな物、人によって様々なのは「空」だから。

感情だけではありません。

見えるものも、可視光線しか認識できません。
私は若干色弱傾向なので、子どもたちと認識する色が違います。

音も、私とコウモリでは違うだろうし、匂いも犬と私では全く違う。

全ては空で、そこには絶対性がない。

変換装置がある

ならば、何がそれらを私に「世界」だと思わせているのでしょうか?

入力と出力の間に何かがなければ、変化しません。

間にある「変換装置」のようなもの。
これらにアプローチするのが、マインドフルネスや瞑想。

マインドフルネスを行うと、どんな変換をしているのか気づくことができます。

無意識だと、パソコンの文字入力のように、上位表示されるものを採用してしまいます。

あなたは、パソコンで「お」と入力すると何が出ますか?
私は「お願いします」が出ました!
頻繁に使っているからでしょうか?

一番先に出るものは、よく使っているもの。

脳内も同じ。

パッと表示されるいつものパターン。

「気づき」がないと吟味することなく、その考えを即採用してしまいます。

選択できる

トラブルが起きたと認識したとき、「私はダメな人」変換装置を頻繁に使っていると、上位表示されます。

でも、それ以外の捉え方だってあります。

私たちは、苦しくなる考えではなく、違うものを採用することができます。

全ては「空」だから。
絶対性がないのならば、自由に選択することができます。

私は凡夫です

一日の大半はマインドレスネス。
無意識の思考の8割はネガティブ。

すぐに確たる根拠もないのに、決めつけてしまいます。

自分のモノサシで人を判断したり、正しいとか、間違っているとか…

でも、それらは確かでしょうか?

そして、あなたはどうしたい?
そう捉えたい?
その考えを採用した時、どんな気分?

主体的に選択できるのも私たち人間のもつ能力です。

全ては「空」ならば…

物事は自由にそこに「在らしめる」ことができます。

わたしはどうありたいでしょうか?
あなたはどうありたいですか?

空の概念を知った時、じぶんの中が軽くなりました。

過去から繋がった今ではなく、いつでも今を生きることができます。
あなたも、自由にじぶんを生きてください。

自宅にいながら湯治場に。
オンライン上で心と身体が整い、本来の穏やかな自分に。
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