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コロナ時代の僕たちはなにかを失ったのか:欠けた器を金継ぎながら思うこと

「コロナ以前の生活に戻る」

使い古されたこの一文からは,多くのヒトが違和感を覚えるようになった。

元通りの生活を再現するのではなく
「with コロナ」
「新しい生活様式」

といったキャッチーなスローガンが標榜され
しかしどんな価値を付加していくべきか
見通しは冴えない。

この6ヶ月間は間違いなく
私の小さな自分史のなかに
大きなインパクトを残している。

自分史上には,もう一つ思い出される衝撃が刻まれている。

2011年の東日本大震災。

自粛ムードが漂う中,掲げられたのは
「復興」
というスローガン。

被災地は,ほとんどゼロのような都市として扱われて,いかにその寂しい都市を埋め合わせていくか,というようなポッカリと穴の空いたような印象を高校生ながらの私は感じていた。過去の歴史はすっかりとなくなってしまって,2年前に訪れた被災地ではすっかり区画整理され,空っぽになってしまった風景に心がざわつく。

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タイトルを回収しよう。

週末に妻と器の金継ぎを行った。

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金継ぎの歴史は古い。
茶の湯の流行した室町時代頃,将軍足利義政が,お気に入りの茶碗にひびが入り,その茶碗に変わるものを,中国(当時の明朝)へ依頼した所,ヒビの入った部分にかすがいが打たれて帰ってきたという歴史がある。

陶器を修復するという文化は,日本の工芸分野で使われていた接着剤の役割を果たす漆と金粉による器の修復文化,つまり現代にもつながる金継ぎの技術へと容易に結びついた。

さて本来であれば
なにかが壊れたときには,元通りに修復することが望まれる。壊れる前の見た目,機能が完全に再現されていることこそ,修復の本質である。壊れたことを,なかったことにすることが究極的な修復のカタチである。

しかし修復は難しい。

技術的にも難しいし,修復すべき,しないべき,という世論の統率をとることも難しい。絵画の修復において,「なんでこうなっちゃうの」と非難され,修復が損失として扱われていたことは記憶に新しい。思わず情けない息がふっとこぼれる。


絵画と比較したときの,金継ぎの顕著な特徴は
金継ぎは機能面での修復に加えて
元の製作者とは異なる修復者の技巧を許す。
いかようにも継ぐことはできるし
言ってしまえば金を使う必要すらない。

絵画の修復といったときには
製作者の意向をいかに忠実に再現できるかが最も重要である。
修復者の技巧は一切許されない。
修復者には製作者と同一化し
意識的にか,無意識的にか
いかに作為に差し迫れるかが求められる。

手元のiPhoneはどうだろう。
画面がつかなくなったiPhoneを修理に出すと
機能的には回復して戻ってくる。
そこにエンジニアの技巧が載っている必要はない。
(この例では修復ではなく,交換といったほうが正しそう。)

では都市は?
地方創生の名の元に,与えるもの,与えられるものの構図が拭えない。
復興の名の元に,もとのランドスケープはなかったことにされているような印象さえ感じる。

機能的に修復しているのだろうか。
そもそも壊れているのだろうか。
技巧が必要なのだろうか。

ふと塩谷さんの記事が目に止まる。

引っ越しに際して,モノを捨てる。
いつかときめいたモノは,ゴミとなった。

無意識のうちに費やし消していくことの違和感。
身の回りのカサ,モノ,ヒト,ハコ,コミュニティとの距離感。
あるいは,自分自身との距離感。

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こんなことを考えながら
もはや壊れたこと自体が価値になっていることに気付く。
いや,
「壊れた」ことを壊れたとみなさず
捨てさらず
歴史から抹殺することのない美しい意識。

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そこには脈々と生き続けるあなたの歴史がある。

自らそれを削らないように丁寧に,ていねいに。

また一緒に歩き始める器への感謝とともに。
これから動こうとする自分への手紙。



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