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春が来る

全ての“選ばれし者たち”へ、この文章を捧ぐ。

先週の金曜日、3月31日は、俺にとっての新卒最後の日だった。俺は同期入社した、猫のような目をした男と、丸の内の通りを徘徊していた。その時、並んで歩く俺に向かって、猫目の男が「ちょっと、近いからそっちに行って」と言った。その瞬間、俺の脳裏に、表参道駅の地下通路を歩いている時の景色が蘇った。

そこを歩く時、俺の隣にはいつも一人の男がいた。その男は、俺と歩く度に、「ちょっと、近いからそっちに行って下さいよ」と言った。俺はそう言われる度、少し離れながらこう言っていた。

「金沢文庫では、これが普通なんだよ」

それと全く同じことを、猫目の男にも言った。するとそれに対して、猫目の男は「ここは金沢文庫じゃないから」と言った。それはまさしく、あの頃あいつが言っていた返答と同じだった。俺は一瞬、あの頃に戻ったかのような感覚を覚えた。

初めてあいつに会った時、あの男は俺の後輩だった。2018年の10月初頭、あいつは俺がいたボランティア団体に入ってきた。その年の春、団体にはほとんど人が集まらなかった。そのため急遽秋の追加募集が行われたのだ。そのタイミングで、あいつは入ってきた。青いジャケットを羽織った元野球少年は下半身の前で手を組み、お辞儀をしながら挨拶をしていた。その姿を見て、俺は「関わりにくそうな奴が入ってきたな」と思った。後にその男が、俺の人生においてどれほど重要で、大切な存在になってくれるかも知らずに。

大学生の頃、俺は今よりもずっと孤独だった。俺の大学生活は、決して他人に誇れるものではなかったと思う。特に後半になると、俺は様々な点で難しい状況に置かれた。けれど、そんな生活の中で、俺にとって唯一の支えだったのは あいつだった。俺がどんな状況に置かれても、あの男は俺に付き合ってくれた。あいつと何年も一緒にいたから言えるが、あいつは少し変だ。人間として当たり前にあるはずの何かが欠けている。あいつには後悔という概念も無ければ、悲しみという概念もほとんどない。どんなことが起きても、数日で忘れて元の状態に戻ることができる。コロナが来て、子供の頃からの夢だったパイロットになる夢を諦めることになった時も、あいつは1週間経たずしてスーパーの店員に進路を変更した。そしてあいつは受けた会社全てから内定をもらって、入社からわずか一年で部門長に昇進した。あの男は鋼の精神を持っている。いかなることが起きても、決して揺らぐことはない。その不動さが、不安定な俺には心強かった。俺の長話を飽きることなく聞いて、常に何かしらの返答をしてくれた。今振り返ってみると、あの男は早い段階から俺に的確なアドバイスをくれていた。あいつはいつも正しかった。

2020年、コロナの到来と同時に俺は大学を休学して、専門学校に入った。そのタイミングであの男は俺と同期になり、2022年3月の卒業に至るまで、約3年半の月日を共にした。卒業式の前日、あいつが俺を食事に誘ってくれた時、俺はとても嬉しかった。あいつは普段、俺を誘うような人間ではない。誘うのはいつも俺からだった。あいつは他者に興味が全くないので、基本は一人で行動している。それが何の苦にもならない。むしろ人といる方が嫌いな性格だった。そんなあいつが俺を最後の食事に誘ってくれた。俺は卒業式に行かなかったし、大学にもほとんどいい思い出は残っていなかったけど、その代わりあいつと2人で卒業を祝う時間を過ごせた。それが俺にとってどれほどの幸せだったか、この世のどんな言葉を使っても、表現することはできないだろう。その頃には、俺にとってあの男はもう後輩ではなかった。あいつは俺の、大学生活における唯一の“親友“であり、歳は下だが、あいつは俺の兄で、同時に父親でもあった。

別れ際に、俺はあいつと固い握手を交わした。あいつは県外に行ってしまうから、もうしばらく会えないと分かっていた。
それが現状、あいつと会った最後の日だった。

いつの時代にも、“選ばれし者”がいる。その男は突然俺の前に現れて、俺に特別なものを与えてくれる。そんな存在が、これまでの様々な瞬間で俺の前に現れ、期間は違えど俺を支えてくれていた。俺はそんな“選ばれし者たち”のおかげで、ここまで生きてくることができた。

そしてそんな者たちとの出会いは、ある種の運命ではないかと俺は思っている。俺が彼等と出会った時の最初の反応は、大抵の場合 拒絶反応から始まる。あいつと会った時も、俺は「関わりにくそうな奴だ」と思ったし、関わることはないだろうなと思っていた。しかしそれでも、俺はあいつを自分の人生における完全なる部外者とは看做していなかった。どんなに対極にいたとしても、俺と“選ばれし者”の間には、必ず何か共通点がある、そしてそれが心のどこかに引っかかって、結果として“選ばれし者”の存在は常に俺の人生の片隅に残っていて、それからしばらく経ってから、全てを悟った俺自身が慌てて回収することになる。その頃には、俺は“選ばれし者”に対してぞっこんになっていて、そいつがいないと寂しくて、そいつに会えたらとても嬉しくなる。そんな関係だった。

だから今の会社に内定が決まった時、内定者のグループラインに猫目の男の自己紹介が投稿された時も、俺は彼との関係はあり得ないだろうと思ったし、恐怖すら感じていた。彼は俺とは違い、今という時代の今という瞬間を最大限生きている、まさしく“今”そのものだった。だから学生生活やこれまでの人生への後悔から、ずっと過去を引きずっていた俺には、そんな存在と関わるのはただただ恐怖でしかなかった。けれど彼は俺と同じデザイナー職で、似たような学生団体に所属していた。それが今回の共通点だった。そして彼は俺の人生に引っかかって、同時に俺は思った。

「この男は俺と正反対の存在で、俺が大学時代に避け続けてきた人間だ。おまけに俺のことを「りょう君」と呼ぶ。まるで子供扱いされているようだ……でも、もしかしたら、この男と一緒にいたら、同じ時を過ごしたら、俺を今に、過去から今この瞬間に連れて行ってくれるかもしれない」

それからの1年、本当に色々な事があった。社会人としての生活は自分が想像していたものとは大きく違っているようで、同時に概ね予想通りでもあって、時に満ち足りて、時に不安定になりながらここまで生きてきた。その瞬間瞬間に、猫目の男の姿があった。彼と日々を過ごしていくうちに、俺は自分の中にあった過去への執着が急激に縮小していくのに気付いた。それは完全には無くならないし、これからの俺の人生にも永遠に重荷として残り続けるだろう。だが、少なくとも前を向いて人生を生きようとする上で、全く動けないほどの足枷にはならない程度にはなっていた。それは、他ならぬ彼のおかげだった。彼が笑っているのを見る度、俺は思った。俺は、今に生きているのだと。

そして3月31日、丸の内の片隅で、俺はあの頃と全く同じ台詞を聞いた。

「ちょっと、近いからそっちに行って」

この1年で、俺はだいぶ変わった。入社した頃よりずっと丸くなったし、昔と比べて、人と話すのもちょっとはマシになったと思う。しかし結局のところ、俺は何も変わっていない。俺はまた同じ会話を繰り返して、また同じ状態に戻ったのだ。あいつがいたあの頃のように。今思えば、彼が俺を「りょう君」と呼ぶのは極めて理に適っている。歳は俺の方が多少は上でも、彼からしてみれば、俺は臆病で、不安定で、身体が大きくなっただけの、巨大な子供のような存在に過ぎない。俺はそれを変えようとしてきたし、昔よりは大人になったつもりだ。けれど、それはまだ世間が言うところの“大人”とは程遠い。結局俺は、何一つ変われなかった。

別れ際、俺は彼と握手をした。握手をすることは、俺にとって感謝の印だった。俺と別れて、いつものように体を少し左右に揺らしながら、橋の向こうにある集合住宅へと消えていく彼の後ろ姿を見つめがら、俺は思った。俺は彼のことを、かつてのあいつのように、兄のような存在だと思っている。俺はいつも彼に支えられていたし、彼の前にいるとつい気を許して子供のようになってしまう。いつも長話に付き合わせてしまい、毎回似たような話を繰り返して、もう飽き飽きしているはずだ。この関係がいつ終わっても、いつ愛想を尽かされても仕方ないだろう。今回こそは彼の話を沢山聞こうと思ったのに。彼が俺の人生から消える時、俺は思い出すのだろう。今見ているこの風景を。俺が渡れない橋を渡って、遠くに行くその姿を。俺だけが振り返って、彼は振り返らずに進むこの瞬間を。

駅へと向かいながら歩く道は静まり返っていて、信号機の赤と緑だけが街を彩っていた。俺はただまっすぐ進みながら、ふと思い立って足を止め、半年以上連絡を取っていなかったあいつに、あの男に連絡をした。

「元気にしてるか」

家に帰ってから端末を開くと、あいつからのメッセージが届いていた。

「お久しぶりですね」

あいつは今までと何も変わっていなかった。一切揺らがず、極めて冷静で、全てが順調そうだった。俺は安心して、それと同時にあまりにも無意識に、当たり前のように今日あった事と、それについて自分が考えたことを長文で送った。あの頃と同じように。そしてそれに対して、あいつは簡潔に、端的に返信してきた。あの頃と同じように。

「紆余曲折あったのかもしれませんが、現在穏やかそうで何よりです。やっぱりパーソナルスペースは治ってないんですね笑」

「そうらしい。いつの間にか、あの頃みたいになってしまったようだ。
今度戻ってくることがあったら連絡してくれ。また色々話そう。今回こそは、俺が奢るからな」

「ここまで来たらその距離の近さも定由さんらしさですから、そのままで良いと思いますよ。
またいつか戻りますので、その時は連絡しますね」

僅かな時間の、僅かなやり取りでしかない。だが俺はその時間が、とても幸せだった。何も残らなかったように思えた大学生活で、俺に残った素晴らしいものがそこにあった。

2023年4月3日、雲一つない透き通った青空の下で、俺はこの文章を書いている。いつもと変わらないかに見える日常、しかし今この瞬間に、下の世代が入社式を迎えている。もう昨日までの世界はここにはない。あいつも俺も、2年目が始まったのだ。

昨日、高校時代の友人たちから連絡があった。彼等もまた、俺にとっての“選ばれし者たち”だ。そのうちの一人は大きな病気にかかり、しばらく入院していたのだが、素晴らしい回復具合を見せ、今月半ばには退院できるそうだ。ずっと心にのし掛かっていたものが無くなって、俺は少し軽くなった気がした。

いつの時代にも、“選ばれし者たち”がいる。俺たちは繋がっている。どれほど離れても、俺にとって彼等は、この世のどこを探しても出会えない家族なんだ。つい先日、長らく東北にいた“選ばれし者”が帰ってきた。今後は定期的に会えるかもしれない。そしてもし会えたら、俺は伝えたい。彼だけでなく、退院してくる彼にも、その周りの3人にも、あいつにも、近所に住むあの男にも、猫目の男と、彼と同じくらい俺を支えてくれた全ての人たちにも、皆に伝えたい。俺は辿り着いたんだ。あの激動の3年半を乗り越えて、この人生を乗り越えて、2年目に辿り着いたんだ。これから先どうなるかは分からない。俺は凋落するかもしれないし、思わぬ出来事が起こるかもしれない。だが、どんな結末を迎えても、どんな最期を迎えても、俺は忘れない。今日ここに来るまでに、俺を支え続けてくれた、大切な“選ばれし者たち”がいたことを。

穏やかな光に包まれて、4月3日、春が来る。



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