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私の人生に寄り添ってきた「英語」

今、縁あって岐阜にある通信制高校サポート校で、英語の学習サポートに関わっている。


私と「英語」との出会いは、小学生の頃のこと。具体的なきっかけは覚えていないが、テレビかなにかでその言葉を話す人の姿や、英語の「音」に対して、ただただ「かっこいい!」と、からだに電流がながれたような感覚だけは覚えている。

とにかく私の生まれたところは自然ゆたかな田舎で、人口もすくなく、もちろん外国にルーツのある人は一人も住んでいない。日常に突然はいりこんできた「異文化」が私の心を捉えて離さなくなってしまった

そこで、まずはNHKラジオを朝、家族に気づかれぬようにひっそりと聴きはじめることからはじめた。当時は小学生が英語に興味を持つことがあまりメジャーではなかった。だから「英語を勉強したい」なんて家族に相談することが恥ずかしくて、朝早く始まるNHK英会話を「家族にばれないように」こっそり聴き、英語の音に酔いしれていた。

そのまま中学に入り、NHKは続け、家族にもカミングアウトした。しかし、英語を話す友達はもちろんいないし、インターネットもまだまだ普及していないなかで、学校に1日だけネイティブの先生がやってきた。とうとう、これまでの勉強の成果が発揮できるか・・・と思いきや、憧れが強すぎたためか、緊張のあまり一言も言葉がでなくて、悔しくてただただ落ち込むということを繰り返していた。

高校生になり、NHKは続け、将来の夢にも「海外に関わる」ことが入ってくるようになる。すなわち通訳、外交官、それくらいしか思いつかず、英語をとおして海外の人との橋渡しができる仕事に憧れるようになった。

そして仕事として使えるように英語をしっかり学びたいと短大の英語科に進んだ。

でも、ここで気づいたのは、「英語はあくまでなにかを伝える手段である」ということ。それをつかってなにを伝えたいのか、ただ単純に(といったら失礼だが)人の話すことを通訳するだけでいいのか、と疑問を持つようになった。

私は英語をつかって何をしたいのだろう。。。

そのときに出会ったのが、「国際協力」という分野の仕事である。元々、小中学校から地域ボランティアのサークル活動に参加し、社会をよりよくすることや、社会的に弱くなっている人たちの助けになることに関心があったこともあり、「英語×社会活動」の文脈でぴったりくるのが「国際協力」だった。

調べていくと、JICAや国連など公機関や国家単位の仕事や、企業が行う仕事、そしてNPOやNGOが行う仕事(活動)と3つに大きく分かれていた。私は断然NPOやNGOに関心を寄せ、どのようにしたら関わりが持てるのか、を探し始めた。また英語力はどのくらい必要なのかを調べ始めた。

大学の講師で来られていた先生の縁、また書店や図書館のはしごで得た情報から、様々なNGO、NPOに足を運び、話を聴いた。団体によって活動対象になる国や地域もとても幅広く、また活動内容もとても多岐に渡るので、途方にくれてしまった。

そしてその結果、私が決めたのは「旅すること、現地をまずみにいくこと」だった。とにかく海外にいったことがない。とくにアフリカ、南米、東南アジアなど本で得た情報で頭がパンパンになっていたが、結局自分の足でその土地をあるいてみないと、人にあって話を聞いてみないとなにもわからないと思ったからだ。

しかし、お金がない。いく手段もわからない。現地にコネもない。

で、その時に出会ったのが「地球一周の船旅」ピースボートだった。
事務所に話を聴きに行くと、私と同い年、もしくは私より若い10代の人が、「アフリカにいった」だの、「あの国はこんな問題が起きている」だの、イキイキと話をしてくれた。

その後、旅に出るのだが、確かに気持ちを伝えるだけなら英語は要らないけれど、もっとつっこんで自分の意見をつたえたり、議論を交そうとおもったら、かなりの国で共通言語になっている英語で伝えられる力が必要だとあらためて実感し帰国した。


それ以降も、仕事やプライベートで海外の人と関わる機会を多く持つことができているが、英語は必須である。ただし、いまだに私は「一学習者」として学び続けている。


最近は英語学習環境が大きく進歩し、安価に、スモールステップから英語を楽しく学習できる方法や場所が、本当に沢山あるので、これから始める人はとてもうらやましい。

私もこれからも自分にとって楽しく継続できる方法を模索しながら続けていきたい。そして、このような経験を今関わっている高校生に必要とされるタイミングで共有させてもらえたら、それもまた嬉しい。


#英語がすき

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