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家を出てくるまでの話_3 自己破産

こんばんは。
適応障害で休職して、復職しましたが、
その話ではなく
過去の出来事についての投稿です。

元夫から逃げるためにDV保護命令を申し立てて逃げてきました。
その3回目の投稿です。

家を出てくるまでにした準備や行動が以下です。

①支援者となる方々と出会い協力を求めた
②家を出るべき、逃げるべきだと気づくために、カウンセラーさんや身の回りの人からの「 普通の感覚」からの指摘、助言をもらった
③元夫に離婚の意思を伝えた。しかし全く受け入れらず、DV夫であることがわかってきた。

時系列で考えると③→②→①の順でした。

なぜ③のようなことになったのか。
まず、なぜ私は元夫との離婚を考えたのか。


元夫、アウトドアにはまり、キャンプ用品が増えていきました。
もしかしたら何年も経過した今考えると、それなりに家族を楽しませようと考えてのことだったかもしれませんね。

結婚以来ずっと転職ばかりの夫の給料は、
基本必要なお金を除いて生活費として家計に入れてもらっていましたので、キャンプ用品を買うほどの個人的なお金の余裕はなかったはずでした。
どうやって買ってるのか聞くと、メーカーのモニターだと。
ふーん。それ以上掘り下げる気力も無く、キャンプに連れて行かれてもあまり楽しめませんでした。

仕事を勝手に辞めたときに
消費者金融でお金を借りて給料のように持ってきていた借金や
おそらくパチンコ、またおそらく他の高級なものへの浪費での借金が判明したのは
偶然長男が10歳の誕生日の日でした。

消費者金融からのハガキを郵便受けから発見したからです。
それまでの数ヶ月、消費者金融の督促ハガキを私にバレないように、仕事の途中で家に寄って郵便受けから回収していたのかも。
昼間に長男が下校して帰宅すると、なぜか元夫が家にいて不思議に思うことがあったと後に聞きました。

これまでのお金のトラブル、仕事が続かない、仕事場でのトラブル、嘘、など積もり積もった末。
長男10歳の誕生日の日に、借金判明したたころで「いつかなるべく早く」離婚を決意し、
ひとり親になった場合のお金のことなど調べたり、私名義のローンで買った自宅を売ったらどのくらいのお金になるか調べたりし始めました。
結局はそこから2年くらい経ってから
逃げることになったのですが。

借金が判明した後、
知り合いに腕の確かな弁護士さんを紹介してもらいました。
弁護士さんのところにまず私が相談に行き、その後2人で相談に行き自己破産の手続きとなりました。
着手金は分割で払うことになりました。
毎月定額を一旦渡された元夫の給料から手渡し、自分で弁護士さんのところに持って行かせました。
何度か、そのお金を「無くした」って。
え、ありえない…
まだパチンコやってるのか。どこかに浪費してるのか。
ってことがありました。

情けなくて今思い出しても笑っちゃうほど。

今思えばこの腕の確かな弁護士さん、離婚の時に私側の代理人をお願いすればよかったなぁ。

自己破産を弁護士さんに着手してもらって裁判所で決定されるまで
一年以上を要しました。
決定の旨、裁判所で言い渡される時本人も出頭するのですが、それに合わせて
その借金何に使ったのか?の
話しが夫婦間で全くできている状態ではなかったのでした。
意を決してその数日前から
その話を、裁判所出頭の前日夜にしてほしいと元夫に申し出ていました。確かLINEで。
申し出の会話をしたくなくて。
が、アルコールたくさん飲んで逃げられたりしたのか
元夫もおかしくなってて
その出頭に行かずに1ヶ月先まで裁判所出頭を延期したのか(もうちょっと忘れました)
はぐらかされて逃げられて詳しい説明なく、
さらに1ヶ月後自己破産の決定を一応聞いたのを機に
もうやっていけないと思い、離婚を切り出しました。

ここまでが③の離婚の決意を伝えるところまでの話です。
次の投稿でDVのことがでてきます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
本当にこの頃辛かったなぁ…。

仕事絡みでメンタル不調になっている皆さんも
家庭絡みでメンタル不調になっている皆さんもいらっしゃると思います。

まだ行動に移せず、死んだような毎日を送っているかもしれません。
私はそうでした。
この人と今後の人生を一緒に生きていくのか、言い方はキツイけど、見捨てるのか、
葛藤していました。

また次回の分、不定期ですが続きを投稿します。

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