edTechって何よ?
今回はアムステルダムで開催された、eduTech Europeの会場で思ったことを伝えていきます。(edutechでもedtechでもどちらの表記も存在するそうですが、edtechで覚えてしまっていたのでイベント名とは違いますがこちらで表記統一しています)
「IKIGAI」はグローバルなテーマ
12月に卒業したProject MintのTomoeさんのお誘いで会場にお邪魔してきました。
今回Project Mintとして出展し、100年時代の社会人教育・リカレント教育は日本だけの問題ではない、となんとグローバル展開を考えて、動かれているようです。さすがTomoeさん!プログラムのコンセプトにもある「IKIGAI」は幸せな人生を生きる上で欠かせない観点であるということは、ブースに来られた人々にも共感を得られたそう。高齢化先進国日本だからこそ発信できる強みを感じました。
ブースの周りの方々も、言語習得を効果的・効率的に支援するAI開発やインタラクティブでゲームの要素を取り入れた学習プログラムなど、テクノロジーをふんだんに活用したサービスを考えているようでした。
ただこのイベントは教育関係者をターゲットに開催されていましたが、雨が降っていたこともあってか、会場の人出はまばらな状況。
なんといっても私はターゲットに入らない教育関係者のため、色々看板を見るものの、「これは…!」と興味が湧くものが正直あまりありませんでした。(むしろProject Mintが断然心に響くっしょ!)
私の印象としてブースに出していた様々なedTechが目指すゴールを整理すると、
①デジタル社会に必要な新しいスキル開発(子ども、大人)
(テクノロジー活用力、創造力、協働力など)
②アセスメントやプラットフォームを使った教育現場におけるエンゲージメント、学習効率の向上
③テクノロジーの活用による教育現場の人員不足解消、効率性向上
④インタラクティブ性を高め、ダイバーシティをフル活用した学習成果の拡大
⑤オンラインコミュニケーションのリアリティの先鋭化
といったものが挙げられると感じました。
先生の立場に立って考えると、使ったらきっと良いのだろうけど、決定的な理由が見つからない、という感じでしょうか。
結局教育現場の資本や可処分時間の奪い合いのようになって、なかなか広がっていかないという側面もあるのだろうな、と勝手に感じました。
面白かったのが、大きな会場で行われていたセミナーです。時間の関係で、見れたのはごく一部でしたが、量子コンピュータの理解を一般にも浸透させていく必要性についてのプレゼン、中でも「ゲーミフィケーションはオワコンか?!」という衝撃的なテーマのパネルディスカッションはとても示唆に富んでいました。先進的な教育をされている学校の校長、e-sportsの学校を運営する団体の代表、そしてフォートナイトで有名なEpic Gamesのマネージャーの方による掛け合いでした。
ゲームと教育のリッチな関係
皆さんはゲームは好きですか?
私はゲームと聞くと、中毒気味な息子の顔が浮かんであまりいいイメージはしなかったのですが、本来ゲームは内発的な創造的なアクションを駆り立てるもの。Epic Gamesの方の幼少期のエピソードは、私も身に覚えがあるものでした。
そう、ゲームは冒険的で、エキサイティングで。
押し付けられたものではなく、目指したくなるゴールに向けたもので。
様々な困難にトライアンドエラーで自分の創造性をフル活用して思わず推し進めてしまうもの。
これがいかにも教育的なゴールに向けたものだったら、いくらゲームの体を成していても、誰もやらないわけです。うちの息子が○○○○ゼミをやらないように。
あと、NASAFの人が成功例として農業教育とマインクラフトを組み合わせて作ったプログラムを紹介していましたが、そこにはゴール自体が無限にあるというか、自らゴール自体を作れることに魅力を感じる仕掛けがあるのだと思います。想像力・創造力の爆発です。
ゲームを教育に取り入れるのか、ゲーム性を教育に取り入れるのか、どちらの話をしているのか途中で迷子になりそうでしたが、結論もうこの時代ゲームといったらゲームでしょう。
ゲームでコミュ障解消
あと途中、校長先生から「やはり教育者としては、入口ゲームだとしても最後は私たちは物質世界に生きているのだから、現実世界でどれだけ実践できるかや役に立つかを見なければと思う」という意見に対し、NASAFの人が実際の事例を引用されて話していました。要は、人と関わるのが苦手な子が、ゲームをきっかけに人と関わり交友関係を広げることができるということです。
どんな時代でも私たち人間は人と人の間で生きていく動物です。昭和な思考だと、「昔はな〜」となりそうですが、いやちょっと待てよ、と。
今私たちの環境は全く変わっているわけです。物理的環境を超えて人と人がシームレスにつながる時代。情報が光のように伝播する時代。昨日100時間かかっていたことが1時間でできるようになる時代。
そんな時代の人を好きになったり交流したりするステップやプロセスが昔と同じなわけがありません。アンラーニングするのは私たちなのだろうと感じました。
edTechのゴールの形
退出しなければならない時間があったので、ディスカッションを全て聴くことはできなかったのですが、登壇されていた校長先生の意見がedTechの芯をついたな、と感じました。(うろ覚えなので、間違ってたらごめんなさい)
「私は校長として、五万という学生の将来を背負っているプレッシャーを感じていた。どの教育コンテンツ・ツールがいいのか、選択肢も五万とあって選ぶのに本当に苦労している。けれどどれを選んだとしても、確実にこれを選んだからこうなる、ということが言えない。結果は複合的なものである。どこまでも責任が負えないということだ。」
だから絶対的に最上の教育方法やコンテンツは存在しない。
そういうことなのではないでしょうか。
AIによる効率化、教育効果の向上、時代に合わせた能力開発。
時が進むほど、私たちのテクノロジーは複雑化していきます。
けれど、それによって何を得たいのだろう?
一人の親として、子どもにいつも未来からカウントバックして子どもにはこれかな、あれかなとあれこれ考えてしまうものです。そして子どもに「こうすれば将来のためになる!」と期待をしてしまうものです。
そんな時、シンプルに今ハッピーかな?ワクワクしてるかな?充実してるかな?
ということを気にしながら日々接していたいよなぁと原点に戻ってしまう昭和人間でした。
あとは、IKIGAI発信国の人間としてはその萌芽が生まれるようなプロセスを見守っていたいですよね。ね、Tomoeさん!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?