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ウンバチvs腕 〈波照間島〉

(2023年8月)

今年の夏も八重山で過ごした。前半は波照間、後半は石垣という素敵な夏休みは、素敵と言えば素敵だったのだが様々なトラブルに見舞われもした。人生も長くなってくると、何やら〝大いなる力〟が働くかのようにトラブルが重なる現象は経験済みだ。例えば忘れ物と列車遅延と赤信号と上司の不機嫌はなぜか同時多発的である。今回の旅では、台風による荷受け停止で重たい器材をハンドキャリーしなければならなかったことに始まり、カメラ関係のトラブルが続いたかと思えば、最後は耳にまで不調を来した。そんな中でも最大のトラブルは、イソギンチャク界最強と謳われるウンバチイソギンチャクに刺されたことである。ショッキングな事件として夏の思い出の1ページに刻まれたこの件について、警鐘を込めて…というほどのこともなく、単なる備忘録として記してみた。


2年ぶりの波照間島

波照間島では2泊3日、2日間のダイビングを計画し、お馴染みの半石垣島民Aさんと現地で落ち合った。公務員として要職に就きながらもいつもなぜか異常に長い夏休みを獲得できるAさんは1週間前に波照間入りしているはずであったが、台風の影響により私より1日早く入るにとどまっていた。天使のようなAさんすら翻弄する台風6号はなかなかのものである。

波照間港で宿のオーナーと2年ぶりに再会すると、挨拶もそこそこに「2年前の虫除けスプレーが臭かった」と苦情を言われた。こんな大らかな島でいきなり小っさ…という心の声を隠してそれはすみませんでしたとしおらしく謝りながら、そういえばこんな感じの方だったなと記憶を甦らせた。チェックインを終えると、何はともあれ虫除けスプレーの使用以外は自由な休日がスタートした。例によってダイビングは1日2本、午後はビールを飲んで昼寝をしてビーチでぼんやりするばかりの得難い島時間である。

The day

それはダイビング2日目のことであった。1本目でいつものように明るく透明な海での浮遊感を楽しみ、休憩を挟んで意気揚々と2本目にエントリーした。5分ほど泳ぐとイソギンチャクが密集するクマノミ御殿のような根が現れた。夏場はシーガル(半袖のウェットスーツ)で潜るのだが、以前に似た状況でうっかりイソギンチャクに触れてしまい、しばらく右手が水玉模様になったことがある。二の轍は踏むまいと充分に気をつけつつ撮影に勤しんだ。

…と、その時。ちょっとしたうねりに煽られ右腕が横の岩にわずかに触れた。そう思った瞬間、右腕にバチバチバチッとものすごい衝撃が走った。気をつけていたはずがまたやってしまったのかと慌てて目を向けるも、そこには岩しか見当たらない。狐につままれたような気分で首を捻る。そうこうするうちにヒリヒリ、チクチクとした痛みが劇的に強まってきた。ポツポツとした赤い斑点が(水中では黒く見えるのだが)浮き上がり、〝何かにやられた感〟が確かなものになってゆく。このケースにおいて最も恐るべきはショック症状だろう、程度の知識は素人でも持ち合わせている。こんな水中でショックを起こせば即死亡である。他人事のように自分の体調をしばし観察した。呼吸が苦しいということはなく、気分の悪さや眩暈などもない。ただ痛いだけである。ここで大騒ぎをして一緒に潜っているメンバーに迷惑をかけるわけにはいかないと方針を固め、腕をさすりつつ残り50分近いダイビングを続けることにした。「ま、仮に何かあったとしてもこんな綺麗な海でぽっくり死ねるなら本望かも」と、そんなことも頭をよぎった。それにしても痛い。水中でも視認できるほどのミミズ腫れが現れたと思ったらその後は山のように腫れてきて、腕全体のだるさにカメラを持つのも辛くなってくる。船下まで戻ったらすぐに上がろうと決めひたすら耐えたのだが、いざ船下まで戻ってくるとピンポン玉大のミナミハコフグの幼魚がフワフワと漂っているのを見つけてしまった。これはかわいい。痛みも忘れてついつい撮りまくり、結果的にはしっかりと60分潜り切った。

船に上がってからショップのオーナー兼ガイドの玉城さんに事と次第を伝えると、いつも厳しい顔がいつも以上に厳しくなった。ひとまず真水で洗って消毒をしてもらったが、「これはちょっとヤバい〝アイツ〟かもしれない」という恐ろしげな謎の推理のもと診療所へ行くことになった。休診日でもお願いすれば開けてくれるのだそうで、しばらく待つとまるで大学生のような若い先生が「さっきまでビーチにいましたよ」ということを隠しもしない砂だらけの足と眩しい笑顔を携えやってきた。

玉城さんが「傷口を見る限りこれだと思う」と、自作のファイルの『ウンバチイソギンチャク』のページを指し示し説明した。不安になるほど素直にウンウンと頷いた先生は、目の前でGoogle検索をしながら「…らしいです」と伝聞調で診断してくれた。それでもなんとなく血圧やサチュレーションを測ってもらうと安心する。最強毒に対してステロイド界最強のデルモベートを処方された。その日の夕方の便で石垣へ戻ると言うと、「腎臓に障害が出ることもあるみたいなんで、おしっこが出ないとか気になることがあったら八重山病院の救急外来に行ってください」と怖いことを言われた。

「今日は会計ができないのでとりあえず5,000円預かります」と言われたが、あいにく10,000円しか持ち合わせがなかった。あれ、この場合はどうなるんだっけとぼんやり考えながら万券を差し出すと、そのまま爽やかに没収された。振込先はメモしたものの、預かり証もなにもなく甚だ怪しい。これは返金されるのか。最大限に疑ってしまったが、翌週早々に7,876円が振込まれ、帰宅する頃には手書きの手紙とともに診療明細も送られてきた。疑いを抱いたことが申し訳なくなるほどのきちんとした対応である。離島に対するアンコンシャスバイアスを恥じた。

その後

わずかに迷ったものの、石垣に戻ってからも予定通りダイビングを続けた。石垣での初日には重要サプライズ企画「D園夫妻の還暦祝い」があったため、ほぼ選択肢はなかったのだ。負傷した腕は急あつらえのラッシュガードでカバーしたものの、それどころではないような気がした。…気がしたが、傷を隠せばなんとなく痛みも忘れてサプライズに没頭することができた。失恋したてのウエディングプランナーはこんな気分なのだろうか、などと思った。サプライズは昨年のIさんの水中結婚式ほど大がかりではなかったものの、いつもと違うイベントのワクワク感と全員参加の達成感があった。

腕の方はと言うと、鋭角的な痛みは徐々に広範囲な鈍痛に変わっていき、引いていく痛みと反比例するかのように日々腫れが広がった。幸いなことにダイビング仲間の中にドクターであるMさんがいたため、毎日丁寧な診察を受けることができた。Mさん曰く、この腫れは毒素による浮腫で、重力に従って下へ下へと広がるのだそうだ。その言葉通り腕は徐々に丸太のようにぱんぱんになり、果ては手の甲までもがクリームパンのようになった。我ながら可愛いなと虜になって何度もプニプニしてしまうほどであった。もともと太い腕だが、さすがにこんなに太かったっけな、と自分の腕のサイズ感を見失いかけた。

7日目にようやく久々に手の甲の血管が見えた時には、クリームパンの愛らしさが名残惜しくなっていた。そしてその翌日から夜中に目が覚めるほどの猛烈な痒みが始まる。帰京後に近所の皮膚科に駆け込んだものの、ステロイドで炎症を抑えない限りは痒みも治らないということで、痒みについては打つ手なしであった。仕方ないので家にいる間は保冷剤を巻くことで感覚をマヒさせなんとか凌いだ。そこから数週間、痒み少しずつ治まってきたものの、患部の熱は1ヶ月以上引かず、飲酒のたびに痒みがぶり返した。今でも傷跡は勲章のように自己主張しており、なんとなく右腕をサスサスするのが癖になってしまっている。

↓ウンバチイソギンチャク
(沖縄美ら海水族館より参考画像)


禍福糾纆

とはいえ、トラブルの合間には良いこともたくさんあった。まず、器材がハンドキャリーになったとはいえ飛行機は飛んだ。そしてカメラのトラブルはあったが水没には至らなかったし、耳に不調は来したが中耳炎にはならずに済んだ。更にサプライズが成功してD園夫妻に喜んでもらえたことや、仲間たちとの楽しい食事、波照間での穏やかな時間は手放しで良いことであるし、中でも一番の感激は生まれて初めて自力でコクテンフグを捕まえてパフパフできたことである。
何よりウンバチイソギンチャクに刺されたが大事には至らなかった。刺されたこと自体をネタにできる美味しさは、命あってこそのものである。人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し、とはよく言ったものである。そんな学びフルな夏休みであった。

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