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音楽ルーツの話。

本日、2023年3月13日で、38歳の誕生日を迎えました。
ありがとうございます。

そんな今日、私はDEEP PURPLEの日本武道館公演にやってまいりました。

実は去年の3月13日も日本武道館で過ごしたワタクシ。
昨年はTHE COLLECTORSの35周年公演でしたね。

日本でエンタメの仕事に携わっている者として、誕生日を武道館で過ごせるなんて、ありがたいことです。
しかも2年連続。

今年は海外勢の日本公演も多く復活してきていて。
更に、本日よりマスクの装着は自己判断に任せるとのこと。

少しずつですが、前に進んでいると思います。
嬉しいことです。

誕生日に一人でDEEP PURPLEの武道館に行くと言ったら「え?好きなの?」と言われたのですが、私の高校時代は主にLed ZeppelinとDEEP PURPLEでした←
なので、今日は自分の音楽ルーツの話なんかをしようと思います。

《幼少期〜小学校》

3歳からバレエ、5歳からピアノをやっていました。
幼稚園の時の私の夢は「西田ひかるちゃんみたいなアイドルになること」。
うん、完全に年齢おかしいですが、本当なんです。
小学生の時は合唱部に入ったし、歌ったり踊ったりが好きでした。
SPEEDになれるとも思っていました。
合唱部のメンバーを巻き込んで、放課後や学芸会でダンスや歌を披露していました。

《中学生時代》

歌とダンスが好きなのは引き続き。
この辺りからバンドに興味を持ち始めます。
ラルクやGLAYが流行ってましたからね。
私としてはそこからビジュアル系に流れていき、黒夢、DIR EN GREY、PIERROTなんかを聴いていました。
B’zも好きだったんですが、テレビが全ての音楽情報のありかだった私にとって、ミュージックステーションは大事な情報源。
そこで、Mr.BIGのビリー・シーンがバックバンドで演奏する「ギリギリchop」を見ました。
それを見て「背面弾きしたい!!!!」と思ったのが、担当する楽器をBassにした理由でした。
(ちなみに初めてコピーしたのはGLAYの「SOUL LOVE」でした。なぜなら教則本に載っていたから←)

《高校時代》

中学生までやっていたバレーボール部を辞めて、帰宅部で勉強しろと詰められるようになった高校時代。
この辺から私の不良化は始まります(と言っても煙草吸ったり、酒飲んだり、喧嘩したり、みたいなことはしていません)。
しかし、高校生になるなら、バンドを始めたい!と思って、入学前にベースを買いました。
GO!GO!7188も好きで、ベース弾きながら歌う姿がかっこいいなと思っていました。
合唱部ではアルト担当だったので、演奏しながらコーラスして、ハモりたい!という気持ちがありました。
ビリー・シーンとGO!GO!のアッコさんの共通点は「YAMAHAのベース」。
なので、初めて買ったベースはYAMAHAでした。
緑色が大好きな私はビリー・シーンモデルが欲しかったですが、ミーハーに思われたら嫌だ!というひねくれた性格もあって、メタリックレッドのショートスケールのベースを買いました。

これがまさかの運命というか。
高校のクラスの副担任で、英語の先生のO先生が、私と色違いのベースを持っていました。
彼は白いベースでした。
更に世界史の先生をボーカルにした教員バンドを組んでおり、この高校の学祭では最後にその教員バンドがライブをする、というのがお決まりでした。
確か2曲くらい披露していたと思うのですが…。
最後に必ずやっていた曲がDEEP PURPLEの「Smoke on the Water」でした。
その時に「あれ?この曲知ってるぞ??」となり…。
そこから私のハードロックへの道が始まるのでした…w

当時の同世代の友達はジュディマリとかハイスタとかをコピーしていて。
その中で一人「DEEP PURPLEやろうよ」という私には一緒にバンドやってくれる友達もおらず。。
とにかく心がやさぐれていた高校時代でした。
闇の時代w

でも、ここでそういった音楽に触れていたことは、大学時代になって役立つことになるので、やはり無駄なことなんて一つもないのです。
前向き。

《大学時代》

ここでようやく、バンドサークルに入って、バンドを組みます。
田舎から出てきた私には、都会は本当に大きく広く。
大学の中で一番大きなバンドサークルに入ったのですが、ハードロック好きな私を受け入れてくれる場所がここにありました。
バンドサークルなのに、SPEED踊ったこともありましたがw

ここには色んな人がいたので、色んな音楽に触れたし、色んなバンドも組ませてもらって、楽しかったです。
まさか音楽業界で働くことになるとは思わなかったけれど。
当時自分のやりたいことがよく分からなかった私には、このサークルでの出会いがなかったら、きっと音楽業界には入っていなかったので、本当に貴重な時間でした。

このサークルの仲間と一緒に組んだバンドで、ライブハウスでライブをしたら、「うちで出演しないか」と声をかけてもらって。
その時に、もうすでに楽器の演奏が向いていない(練習が嫌い)だった私には、楽器を演奏する気持ちがあんまりなくて。
だから、そのライブハウスでアルバイトをさせてもらうことになりました。
そしたら、だんだん裏方への仕事に興味が湧いてきて。
それでレコード会社に入ろうかな、と思うようになったんですよね。

そんなこんなで、今の自分があります。
コロナとか、大変なことが色々あったけども、それでもなお、今も音楽業界に身を置き続けていられていることが、本当にありがたいことだと思っています。

今はとにかく自分の担当のバンドを頑張ろう、という気持ちです。

実は、今年から始めたことのひとつに「英会話」があります。
大学では英文科だったのに、途中でやさぐれて脳を溶かしてしまいました…。

けど、山嵐が海外で公演したこともあると知り、私もいつか海外公演についていって、役に立ちたい!とおもっています。
それにいくつから始めたって遅いことはない!

それに今は親が大学まで行かせてくれたこと、その大変さ、結婚していない私には経験できていないことですが、今ならそれがどれだけ大変だったことか分かります。

だから、英語喋れるようになって、海外にLIVEしに行きたい!
それが今の夢の一つです。

そういえば、何であの大学と英文科を選ぶことにしたか。
その理由は私の伯母が絡みます。

この話はまた今度…。

《おまけ。歴代ベースについて》

初号機のYAMAHAのベースにはもちろん(?)【Billy】という名前を付けていました。

初号機Billyと19歳の私。

二号機は大好きなグリーンのリッケンバッカー。
中古で、ジェットグロウ(黒)と同じ値段で2台並んでいましたが、即決。ジャケ買いでした。
彼の名前は【Ricky】(安易)。

ジャケ買いの二号機Ricky。緑感伝わるかしら…。

三号機は、白のプレベがほしくて。
シド・ヴィシャスと、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT・ウエノコウジへの憧れからです。
(突然、上のルーツの話に出てこなかったアーティスト名w)
元々は鼈甲だったピックガードも、わざわざ黒に替えました。
ただ、ここでもみんなと同じのを持ちたくない、という気持ちで、バッカスというメーカーのプレベを使っていました。
彼の名前は【Jonny】。
高校生の時に「365日テディ」みたいのがコンビニで売っていて、テディたちにはみんな名前がついていました。
「かおる」とか。
なのに、3/13のテディは突然のJonnyでした。なぜw
私の当時の記憶がもう曖昧になっているとは思うんですが、とにかくそうだったのです。
だから、この名前にしました。
(どうでもいいけど、なんでいつもウサ耳がついているのだ…(・×・))

三号機のJohnny。21歳かと思われ。

誕生日の今日はリッキーとジョニーの色に合わせたネイルに変えまして。
幸せな武道館公演となりました。

💅

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