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落語との出会いの話。

《はじめに。》

3月から下北沢の「おてまえ」というアコースティックのハコで、落語会「おてまえ落語」を開催させていただきました。
3ヶ月連続企画で、今月で一旦一区切り。
今月は立川談春師匠とのお仕事があったり、蝶花楼桃花師匠とごはんに行ったり。
落語づいていた月でした。

ということもあって、ちょっと私と落語のことも書いていこうかなと思い。
まずは出会いのところから。

《人事異動で、落語担当へ。》

2007年、新卒で日本コロムビアというレコード会社に入社した私。
何となく「レコーディングして、CD作るのが仕事だ!」と思っていた私が、最初に配属された先は「営業」部。
レコード会社の営業とは、CDショップさんを担当して、そこに新しいCD(新譜)が出ればご案内して、数字を入れてもらうのが仕事。
新しいCDが出れば、勝手に店頭に並んでるのかと思っていた私にとっては、まずそこからが目から鱗。
数字もつくよね。会社だし。売上大事よね。
当たり前のことなんだけど、最初は本当に何もかもがびっくりでした。
さらに、自分の担当のCDショップのイベントで、J-POPや演歌のイベントだったら司会もやる、着ぐるみの中身もやる。
本当にレコード会社の営業ってこんなことまでやるんか!すごい!と思いながら、日々仕事と向き合っておりました。

2008年、年が明けて、すぐに人事異動の話が。
「純邦楽の販促に行ってください。」
え??ジュンホウガク???なにそれ、美味しいの?????

前任の方が辞めることになり、急遽な人事異動の相談でした。
会社からの辞令は絶対ということで、訳も分からず、とりあえず異動することになった私。
(よく分からなすぎて、泣いて反抗した記憶だけあります笑。)

ちなみに、販促は、もちろん販売促進のことなんですが、レコード会社の販促は、CDを売るために特典を付けたり、イベントを実施したりをします。
握手会とかもそうですね。
販促のために、与えられている予算の中で何をどうやるか、みたいなところを考えるのがお仕事です。

前任の先輩から仕事の説明を受けて、引継ぎ。
純邦楽というジャンルだけあって、これまた業務内容は特殊。。
いつか書くかもしれません。
そして、担当のアーティストの方々のところへ挨拶に行ったりするのですが、最初に挨拶に行った落語家さんは【林家たい平】師匠でした。

《林家たい平師匠の独演会で、泣いた。》

2008年、1月の新宿・紀伊國屋サザンシアターでの独演会だったと思います。
落語は基本着席なので、私の席もご用意いただいており。
最初の演目が何だったかうろ覚えなのですが、「長短」か「長命」のどちらかだったと思います。
そのくらい、トリの演目「文七元結」が凄すぎた。

実は、初めて落語会に行ったのは高校生の時。
地元・秋田県能代市に三遊亭小遊三師匠が来てくれたことがあって、高校のみんなで市民会館みたいなところへ行って観た記憶があります。
ですが、とても「落語を聴いた」とは言えないくらい記憶がない、、きっと寝ていたはず。
高校時代はだいぶ尖っていたというか、スレていたし…私。

そういうこともあって、たい平師匠の落語会に対してはだいぶ斜めな態度で臨んだと思います。
それが!全部崩れた!
そもそも落語がよく分かっていなかった私、御多分に洩れず、「笑点」を落語だと思っていたうちの1人である私。
泣ける落語があるんだということも初めて知りました。
たい平師匠の「文七元結」で泣きました。

これが私の落語との出会い。
衝撃でした。
しかし、まさかここから自分の生業の一つになっていくとは想像もしていなかったです。

独演会が終わり、新年ということもあったので、近くの会場で盛大な打ち上げが。
そこで師匠ともご挨拶。
ファーストコンタクトのここから、昨年のファンケルさんのお仕事まで、こんなに長く密なお付き合いが始まるとは思っていなかったです。

落語との長いお付き合いは続く。。。

《おまけ。》

その後、2008年4月23日。
たい平師匠の新譜「林家たい平落語集 〜たい平よくできました 5〜」の発売日当日。
仙台市民会館にて師匠の独演会があったので、販促のための「サイン会」を行うために、単身仙台へ向かった私。
当時の打ち上げの写真があったので、載せておきます。
眉毛がねえな。。w
一緒にいるのはイベンターさんなど、地元の関係各位なのですが、当時のノースロードミュージックの社長さんが同じ秋田県能代市出身ということで、めっちゃ盛り上がったのよね。。。懐かしいw

2008年4月23日 林家たい平独演会 於 仙台市民会館 打ち上げにて。

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