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帰らなければならない家

大学生協の横書き原稿用紙に書かれていたものです。

原題『秘密の作文帳 No.1』


1984年9月

お断り、もともと公開を前提として書かれていない。原文があまりにも悪筆で、読み取れなかった箇所が10字ほどあった(その部分はそもそもなかったものとした)。また、手書きの原稿はあまりにも適当に書かれており、ひらがなを多用しているので、そのまま正確に打ち込むと、おかしいから、MS-IME の変換に一任した。明確に誤変換と確信できたものだけ、直した。後、句読点は、読み取った通りになっています(きわめて悪筆で、読み取りが正確ではない可能性がある)。

1984.9.19?


人間には、いつも帰らなければならない家があるものだ。まあ、一言で言うならば、一個の生命体として人間は生きなければならない運命にあるということさ。自分が他人の、また他人が自分の代わりをすることが不可能であることからもわかることだね。自分は、自分のために生きていかなければならないんだ。そうさ、死が訪れるまで、すっとそうなんだよ。それは少なくとも、もっとも単純な原理さ。他人に目を向けるのは、まだ早い。迷いを生むだけさ。自分が自分であることという確固としたものを作り、また確信が、今の俺には必要なんだと思う。彼らは彼らなりに自分勝手に生きているとしか考えられない。

個の確立なくして連帯などありえないと思うよ。ただなれ合っていることぐらい人間として醜いものはないね。人間は生きて、生きて、そしてまた生きていかなければならないんだ。そうさ、死がやってくるまで、人間は、生き続けるんだ。それは、個人の意思とは関係のないことで、勝手に生命は、前に進んでいこうとしているからである。原因と結果の因果は巡り、常に同じことの繰り返しでしかない生命は、いつも新しいものを求めているのさ。立ち止まることはできもしないことだね。

1984.9.20


少しは、元気になりたいと思っているよ。少しはね。本当に、どうしたんでしょうかね。不機嫌それだけが、すべてを満たしているといいえるよ。誰も好きになんかなれないよ。みんな嫌いだね。そうなってしまったんだよ。前に進んでみたら、そうなってしまったようだね。もう元へは戻らないけれども、頭は、いつも、そうなんだ。時間は止まってしまっているみたいだよ。力が入らないからふにゃふにゃな字をただ書くのさ。Y氏の行動をただ見張っているだけさ。何も言うことなんかないね。もうほとんど読めないような字をただ書いているだけでいいんだと思うよ。これからもそうしていかなければならないと思っているんだ。でもね本当に内容は素晴らしい思想をはらんでいることは言うまでもないね。

忘れるという仕事は僕にはできっこないね。3年もきのうも10年も同じことだね。僕は、もう君に何も言う資格を何一つとして持っていないんだと思うよ。とにかく、何も言えないんだということになっているんだろうね。それは、君だけにではないよ。みんなに対してそうなんだ、そうなってしまったということだね。それに対してもう何も言う気はない。それほど長い時間はいらなかったよ。そう 3年で十分だったと思うよ。きっとすべてが終わったということが告げられる時が来てしまったということだね。だからもうすぐすべてが始まらなければならないということだね。しかし、もう、始まりはないということだね。自分がどこか変なところに連れてこられたような気がするんだ。ここは変なところだよ。何一つ面白みなんてないね。その代わりに、恐ろしく下らんものと人だらけで。


全文PDF A4で約8ページ


全文を見てみたいという奇特な方は、こちらをどうぞ。

後記

青春の下り坂ぐらいなお話です。青春の後ろ姿というよりは、青春の堕落か、幻惑ぐらいなものでしょうか。やや文学的、作り話の体裁を狙っています。したがって、大概は作り話だと思っていただきたい。私も若かったなと思わざるを得ません。

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