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専業主婦だった私が離婚してシングルマザーで年収2000万になってから

私は代々お寺の家系で真言宗の智山派という宗派に生まれて兄2人の5人家族で生まれ育ちました。
一番末っ子だったので、いろいろと愛に囲まれてすくすく育ったと思います

2番目の兄が身体が弱かったせいか、両親が兄につきっきりになることもあり、あまり親の手をかけないで、いつもいい子ちゃんでいたような気がします。

あまり口答えもしたことがなかった私ですが、ただ唯一反対されたのが最初の主人との結婚でした。

主人は高校の同級生で友達をとおして知り合いました。

主人の父は会社を3つ持っているようなお金持ちの家でした。
しかし、義父は愛人を家に住まわせていて、私の常識では考えられないことでした。

また、子供たちは父親のお金をいつもあてにしていて、自分たちの力で稼ごうとしていない姿に私はいつも違和感を感じていました。
義母は義父に女性がいたせいか一番かわいがっていた末っ子の主人に依存していました。

当時、実家と近いところに200坪で上物だけで6000万円の家を建ててもらいましたが、朝6時からピンポーンとインターフォンと同時に義母がやってきて、朝ごはんをいっしょに食べ、夜ご飯も食べてお風呂まで入っていくような人でした。

新婚生活は2人きりの時間はあまりなかったのです。


土日は義母だけでなく、義父や義兄夫婦がきてと10人くらいのご飯を作るときもありました。義母は主人を溺愛していたので泥だらけの里芋を持つてきて「これ〇〇ちゃん(息子の名前)が好きだから煮てあげて」って感じですべてにおいて息子が一番でした。
ある時、こんなことがありました
私は40度近くの熱がありそれでもご飯の支度をしていました。主人と義母は二人で楽しそうに飲んでいました。主人が飲み物をとりに来た時、40度近く熱があるんだけどって言つたら「へー」って言って、また義母のところで飲んでいました。挙句の果て、義母が子供のおしめが濡れているみたいだから変えてやれって‼命令してきて。
頑張ってきたことが目の前で音を立てて崩れていくのを感じました。
他にも色々なことがありましたが家を出ようと思った最終的なきっかけは、主人が突然仕事を辞めてきました。
理由は、働かなくても食べていける生活でしたので、相談もなく仕事をやめてきたことです。
子供が二人いるのにしばらく休みたいって言われ、3か月くらいたつても面接にもいかず思い余って「
面接くらいは行ってきたら」って言ったら、暫くして仕事を決めてきました。
ところが、行き始めてから毎日が愚痴の毎日で…
「自分で決めてきたんでしょう」って言ったら「お前が行けっていうから行ったんだって」
…目の前がまっくらになりました。

日々の毎日の小さなすれ違いや、価値観の違いの積み重ね、、、
誰にでもあるのかもしれませんが、私の中では、とうとう、積み重ねてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れて行きました。

しばらく、放心していましたが、眠れない、食べれない、歩けない、体重も38キロに減ってしまいました。
その後、実家の親が心配して迎えに来てくれましたが、田舎でしたし、心配かけたくなくい、もう少し頑張ろうと頑張ってしまったのです。


そうしたら、親にも友達にも愚痴を言ったことがなく、闇を抱えたまま平気な顔して生活することに疲れ切ってしまいました。


9歳の子供に家を出たいと言ったら、子供は出たくないと、お友達やわんちゃんと別れたくないと言われたのがキッカケで、今、家を出ないと子供はついてきてくれないと思い、「別れてください」と言い出せました。

しかし、なかなか別れてくれず最終的には
「子供は置いていけ!専業主婦だから裁判やっても負ける!」
など言われ私とか子供にまで暴力を振るうようになりました。

実家がお寺だったので寺の娘が出戻りしたと言われたくなく、主人が仕事をしている間に子供に行く先を告げずに、昼逃げを実行しました。

そして知り合いのいる埼玉に引っ越しました。

 

下の子がすでに小学校にあがっていたので、子供を学童に預け、法人を扱う保険会社に入社することにしました。

 

初めての営業のお仕事!

最初は不安でいっぱいでしたが、最初から、運よくどんどん成績がどんどん上がりました。

思いのほか、皆様のおかげ様で、たくさんの収入を得ることをでき、この仕事をやめられなくなりました。

 

こんなにラッキーなことが続くのは、もしかしたら、やはり実家がお寺なので、その目に見えない力に守られているのではないのかと思っていました。

 

ただ子供たちには、寂しい思いをさせてきたのだと思います。

 

毎日の仕事が楽しくもあり、大変でもあり、家事に子育てもしながらのある日。

初めての会社の飲み会に参加しました。

 

夜、遅く帰宅しましたら、家の中に濡れた服が散乱していたのと、娘からの手紙がありました。

 

「ママがお仕事遅いので、弟と駅までお迎えに行ったの。

 雪が降ってきたけど、ママはなかなか来なくて、駅員さんに帰るように

言われて帰ったの。

 でも、途中で弟が歩けないっていうから、おんぶして帰ったよ。

 ママ、お仕事頑張って。」

 

子供の足では駅まで40分ほどかかったかもしれません。

 

胸が痛くなる思いでした。

 

子供たちは、頑張って働く私を見て、寂しいとかわがままも言わずに、寂しさに耐えてきたのでしょう。

 

 

この仕事をしてみて気づいたのは、私って、以外と負けず嫌いだったようです。

そのおかげで、会社ではトップの成績を続けられ、海外表彰も何回も行かせてもらえました。

 

子供たちも、すくすくと大きな問題もなく育ってくれたと思っていましたが、、、

 

 

子供たちが高校生、中学生になった時に、縁あって再婚することができました。

 

私の仕事はそのまま続けていましたが、夫が結婚1年くらいしたら

突然、会社をやめ自営業をはじめました。

 

そこから10年間くらい、夫からの生活費は殆どもらえず

また、私は頑張ってしまいました。

 

夫の仕事が順調なら、よかったのですが、ある日突然、裁判所から

家の立ち退き命令の書類が届き、びっくりしました!

 

夫は、そのこと両親の介護や、事故にあったりとかでいろいろ大変な状況にありました。

 

私がもうちょっと気遣っていればよかったのかもしれませんが、夫のマイナスの面を見ないように、向き合わないようにしてきたのも事実です。

 

よっぽど離婚しようかと思いましたが、そうこうしているうちに、私の母の介護だったり、母を引きとったりとかがいろいろ起きてきて、それらの手続きを夫が全部やってくれたので、そのまま離婚せずに今にいたっています。

 

また

娘が20歳すぎた時に、その当時つきあっていた彼の影響があったようでした。

ものすごく真面目な娘だったのが、その彼と結婚してから、パチンコ屋にいりびたったり

ある意味、ものすごく自由人になって行きました。

 

子供も生まれましたが、娘はちょっと育児ノイローゼになってしまい、結婚生活がだんだんうまくいかなくなり、離婚することになりました。

 

娘は家を飛び出してしまいましたので、仕方なく、私は元の婿と子供と夫と4人での生活が始まりました。

 

しかし、その元婿がある犯罪事件に巻き込まれたらしく、突然行方不明になりました。

 

数か月後、ボロボロになった元婿からお金を貸してほしいと連絡がありました。

結果、お金を貸しましたが、それ以来、また連絡がとれなくなりました。

 

もう孫は8歳になっていました。

ママにも会えず、パパにも会えず、寂しい思いをしてきたと思います。

 

そこで私は孫を自分の娘として育てることにしました。

 

 

この保険会社に勤めて25年になりますが、目標があるとついつい頑張ってしまう私。

これまでどれだけもう会社をやめたい!ここは違う!って思ってきました。

 

でも収入のことを考えるとやめられずに今にいたっています。

年収2千万円は、憧れの金額かもしれませんが、何かがこれでいいのかしら?といつも思っていました。

 

何かが枯渇しているのか、何か自分に足りないところがあるのか?と

これまで何千万円も自己啓発、スピリチュアル、などの自己投資をしてきました。

 

しかし、どれも完全燃焼できたわけではなく、高額支払ったまま、アウトプットが少ないようです。

 

 

4年前くらいにクリスタルボールも習いました。

その時、クリスタルボールの素晴しさに感動し、営業とスピリチュアルをからめた本を出版しました。

その時は、宇宙とつながることで自分軸を持ち波動をあげることを提唱していました。

 

私の人生への探求はここでとどまらず、その後、

今回、集合意識覚醒プログラムに出会って、あらためて自分の人生を考える、自分を向き合うことをし始めました。

 

宇宙とつながるのはもちろんすごいことですが、「集合意識覚醒」という言葉が、私の興味をそそりました。

 

実際にこのメソッドを使い始め、またこのメソッドにかかわることで、新しい人脈がどんどん広がり、自分の可能性を信じてみようと思えました。


私と同じように、子供2人連れて頑張っているシングルマザーの方や、ストレスの中、我慢をしながら頑張りつづけている方や、パートナーの分まで支払っている方や、なかなか自分の本当に願いにたどり着けない方がいらっしゃるんじゃないでしょうか?

 

《専業主婦だった私が離婚してシングルマザーで年収2000万円になってから》

私は、今回、この集合意識覚醒プログラムを受けたことで、自分の人生を振り返り、向き合う機会ができました。

 

山あり谷ありの人生で、泣いたり笑ったり泣いたり怒ったり、悲しんだりの人生でした。

今思えば、人のことにかまいすぎて、忙しすぎて、淋しいと感じる暇がなかったかもしれません。

 

 

この先の人生は、私の最終章の人生を飾ります。

 

私の体験してきたことが、誰かの何かにお役に立てると信じています。

 

集合意識覚醒・感情の統合のメソッドは、必ず、あなたの人生を変えていくことでしょう。


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