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「死にたい」と思う、あなたと僕に伝えたい、たったひとつのこと。

「死にたいと思っていい。死んだっていい。」

これが僕がこのnoteを読むあなたに、そして僕自身に伝えたい結論です。


少しだけ安心していただきたいので、このnoteを書いている今現在、僕は死にたいと思っていません。生きたくて仕方ないくらい。

ノリノリの音楽を聴きながら大好きな麦茶を飲みつつ、暖房をつけるかどうか考えているところです。

やりたい仕事がたくさんあるし、会いたい人もたくさんいます。まだまだ叶えたい夢がある。


だけど、それと同時に、今後一生死にたいと思わないわけでもないと思っています。

このnoteは決して、死にたいという気持ちを克服した人間が書いているものではありません。

ただ、心の底から「生きたい」と願っている、だけど時々この世界から逃げ出したくなる僕が書いています。


このnoteで伝えたいことはただひとつ、「あなたの死にたいという気持ちすら、僕は受け入れたいよ」ということです。

なぜなら、そのただ一点こそが僕に必要なものだったし、もしかしたらあなたの救いになるかもしれないと思うからです。


実際の構成としては、僕が死にたいという気持ちと向き合い続け、学んできたこと、

その過程で見つけた、死にたいと思う感情の分類3つを書いています。


しかし、このnoteの一番の目的はあなたに知識を与えることではありません。

あなたの「死にたい」という気持ちを変えることでもありません。


ただ、書かずにはいられなかったんです。

なぜ人が「死にたい」と感じるのか、僕にはわかりません。わかってきた部分もあるけど、いまだにわからない部分も多い。

そんな自分が、しょせんただ一人の人間の視点に過ぎないのに、偉そうに書いていいのか。


とても勇気がいりました。

だけど、「死にたい」と感じていながらも生きていくことにも、同じくらい勇気がいると思います。

だから勇気を出しました。


死を語ることはタブーと思われています。

だけど、死に向き合うことで生もまた見えてくる。そう思ったからこそ、誰かが勇気を出してもいいんじゃないか。そう思ったんです。


もしあなたが、「死にたいなんて考えたこともない!」と思うならば。

知っておいていただきたいこともいくつかあります。

このあとすぐ書きますが、死にたいという気持ちは確かに、誰もが感じるものではないようです。

だけど、そう感じる人も間違いなくいるのです(僕は50%くらいじゃないかと推測してます)。


もしあなたが、50%の半分であったとすれば、

このnoteを読むのもかなり勇気がいったと思います。

ありがとう。読んでくださって。

あなたの勇気が、たとえ間接的であったとしても、誰かの力になることを信じています。


◆事実:死にたいと思う人はそこそこいる

まずはデータから入ります。

https://www.mhlw.go.jp/content/h29h-2-2.pdf

少し古くて恐縮ですが、全国の20歳以上を対象にした厚労省の調査です。

平成28年度調査では、自殺を考えたことがある人は、23.4%。

しかし、これが実際より少ないと考える根拠はいくつかあります。


まず、深刻に思い詰めている人は、こうした調査に回答しないだろうということ。

実際に、無回答者は13.4%です。


もう一つは、人は記憶を書き換えることができるということ。

過去に自死を考えたことがあったとしても、

「あれは気の迷いだったんだよね~」と考える人は一定数いるでしょう。

先にも触れたように、今の社会は自死を語ることがかなりタブー視されているので、

こういう風に記憶を書き換えることはひとつの自然で合理的な反応だと思います。


この数字をどう見るか。難しい問題ですが、僕はこう考えています。

「自死は決して全員にあてはまることではないが、決して無視していい問題でもない」

このnoteを書き始めた理由の一つでもあります。


◆「死にたい」気持ちの分類①本当は死にたくない

ここからは、僕が学んできたことの整理であり共有です。

一つ目は「死にたい」という感情の底に別の気持ちがあるパターンです。


これは僕が直近味わった気持ちでもあります。

とにかく現実がつらくて、「逃げたい」と思ったんです。

僕のケースに関しては、「楽になりたい」という言い方でもよかったと思います。


本当は現実に変わってほしいんだけど、そのためにどうすればいいかわからない。というより、どうしようもないと思う。

どこにも逃げ場がない。というより、逃げることすらできない。

だから・・、ということです。


「つらい現実」をどうとらえるかも人によって違うと思うので、あまりパターン分けとか法則分けに意味はないと思います。

とりあえず、こういうのがありますよね、というまで。


◆「死にたい」気持ちの分類②遺伝

驚くべきことに、感情は遺伝することがわかりつつあります。

ミシガン大学の研究に関する記事がこちら。

また、精神医学の世界においては、もっと具体的にトラウマの遺伝を理解し、実際の治療法として精神医療に用いている例もあります。

これに関してはこちらの本が興味深かったです。

It Didn't Start with You: How Inherited Family Trauma Shapes Who We Are and How to End the Cycle (English Edition)

この本は「心の傷は遺伝する」と訳されていますが、僕は原題のやさしさが好きです。

「あなたから始まったわけじゃない。家系のトラウマがいかに私たちを形作るか、そしてその循環をどう終わらせるか」というところでしょうか。

(翻訳の難しさというのは僕もよく知っています。僕の感情が入った訳であることをお許しください)


これもまた、僕の経験からも確かに真なりと考えています。

というのは、「どう考えても自分の中に原因がないのに、それでも死にたいと思う」という時期が確かにあったからです。

それは、人生がとても順調で、毎日がサイコー!と思っている時期にでさえ、こう思うことがあったのです。

「いったいなぜ?」と思っていました。

トラウマの遺伝という説はとても説得力があるよう、僕自身感じました。


さきほど、「原題のやさしさが好き」と書きましたが、同じやさしさを感じる一文があったので紹介します。

トラウマに苦しんだ人がこの世を去り、その人生が忘れられた後も、その人の心や体に刻まれたトラウマは生き続ける。あたかも、今生きる人の心や体を通して癒されようとしているかのように。


◆「死にたい」気持ちの分類③わからない

自分の経験を通しても、誰かの話や書籍を通しても、たくさんのことを学びました。

それでも、やはりわからないことがある。それを認めることもまた、勇気が必要なことだと思っています。


どれだけ原因を考えても、どれだけ政府が自死の問題に取り組んでも、現実の問題として自死を選ぶ人はいます。

そういう人たちはみんな、判断力が欠けていたのでしょうか?

そういう人たちはみんな、適切な対応方法に出会えなかっただけなのでしょうか?


僕には、どうしてもそうは思えないのです。

死の先に何があるのか、そもそも何かあるのか、僕にはわかりません。

それがわからない以上は、今はわからない「死にたい」という感情もきっとあるのでしょう。


もしかすると、もしかすると、です。

その人に取ってはそれが最善の答えであった場合だって、もしかしたらあるのかもしれません。


僕がどうしてもそのように考えてしまうのは、僕自身が輪廻転生を信じているからです。


輪廻転生は、「死は終わりではない」という考え方。


輪廻転生が生まれた(発見された?)インドの土地では、時間は悠久に感じられ、生きることは永遠に続く苦しみだと考えられたそうです。

これは僕が読んだ世界史の解説書に書いていた話で、僕自身うのみにしているわけではありません。


というのは、輪廻転生は真逆のとらえ方をすることもできると思うからです。

死は終わりではない。たとえ今の命が失われたとしても、その先にはもっと良い命がある。


そして、仮に死をそのように捉えたとしても、それに対するまた二つの反応が存在しうると思うのです。

死は終わりではないから、次の命に期待するのもよいよね。
死は終わりではないから、今の命でやれるとこまでやってみるのもよいよね。

そう・・どちらを選ぶことも、誰にも決して強制できないのです。

今のところ僕は後者を選んでいます。そしてそれに対して納得感を持っています。


あなたはどちらを選ぶのでしょうか(あるいは、輪廻なんてないよ!かもしれません)。

どちらでもよいのです。あなたが納得していれば。


◆もう一度結論

死にたいと思ったっていい。死んだっていい。

生きたいと思ったっていい。生きたっていい。


僕の中で記憶に一番古い、「死にたい」と思ったときは、僕が5歳くらいの時でした。

(両親に確認してみたところつじつまの合わない部分もありましたが)


僕自身の死生観に関して、結論のようなものはあります。僕が生きていることは、今の僕の結論を示唆しています(今はね)。


だけど、僕の死生観は僕だけのものです。

あなたにとっては違うかもしれない。


自分の死生観を整理するだけなら、記事にする必要はありませんでした。

僕は手書きも好きなので、好きなように書いて満足することもできたと思います。


じゃあなぜnoteを書いたのか。それは冒頭に書きました。

もしあなたの、そして僕の中に死にたいという気持ちがあるならば、僕はそれを受け入れたいのです。


「生」と「死」という、他人には決して触れることができない世界のとらえ方。

他人には変えることはできません。

だけど、受け入れることくらいはできるんじゃないかと。


もしそれができるなら、

そしてそれが誰かの何かになるのなら、

僕はそうしたいと思いました。


◆あとがき

あなたはどう思いますか。

その通りだね!と思った方、全然違うよ!と思った方。


僕がさんざん「わからない」と書いてきたのは、このセンシティブなテーマを主題に筆をとる責任から逃げたかったからではありません。

僕も、知りたいのです。


人はなぜ、死にたいと思うのか。

そして、人はなぜ生きたいと思うのか。


あなたの思いも聞かせてください。

それが僕の願いです。


Twitterのリンクだけ貼っておきますね。

自己紹介記事とかも見てくれたらうれしいです。

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