見出し画像

宮古島100kmワイドーマラソンレースレポ(2020)

ピピッ!!GPSウオッチがちょうど30kmを告げる。横目で液晶を眺めると、この1kmを5分20秒ほどで走ったことを知らせている。そういえばいつの間にかすっかり明るくなり、目を凝らさなくてもはっきり液晶が読める。ひんやりした朝の空気と、この時期の宮古島としてはとても珍しい、無風に近いコンディション。全身の動きは滑らかで、足の痛みもない。発汗量も心拍数も、想定以下。ああ、やっとここまできた。1年かかった。やっと昨年の失敗をやり直すことができる。この30kmは、呪いに囚われたような精神を、プラマイゼロに保つことだけに意識を集中してきた。呪いは解かれた。ここからがレースだ!

トラウマからの開放

昨年のこのレースは、自分史に残る惨敗だった。最初の30kmですでに失敗に気づいていたはずなのに、足を止めて立て直す勇気もなく、ズルズルと中途半端なハイペースで押し続けて、60kmほどで自爆。心が折れたところで脇道に入って座り込むと、胃液がなくなるまで吐いた。座っていることも苦しくて、横になってみたが、全身の筋肉が順番に痙攣して、休むことを許さない。それでも30分ほどかけて自分自身を説得し、痙攣する足で再び立ち上がり、足を引きずり、時々吐きながら、どうにかこうにか完走を果たした。まさしく拷問で、ワイドーマラソンという言葉を聞くと、路上でのたうつ自分の姿がフラッシュバックするというトラウマ状態であった。今年のテーマのひとつ、「30kmまでノーダメージ」を達成できて、ようやく気持ちを前に向けることができた。

昨年は、体力を過信したオーバーペースと、コンディショニングの失敗から、大惨事を招いた。今年はその教訓を含め、とにかくスローペースで前半を走る作戦を立てた。レース前夜の話でも書いたが、今シーズンは最初から自律神経がおかしく、大きな記録更新はすでに諦めていた。だが、100kmとなると、作戦次第では自己ベストに近い記録は出せる。長ければ長いほど、「走力以外の要素」が多く入り込むからだ。作戦のすべてを語ると、それだけで記事数本になってしまうので、細かいのは後日小出しに書いていこうと思う。一番重視したのは、「ペースを心拍数ベースで管理して、50~80kmエリアにピークを作ること」であった。自分のレースデータを分析して、このエリアを快走できるかどうかに、レースの成功がかかっていると考えた。そのためには50kmまでを「かなり抑えたペース」(僕の場合、心拍数145以下)で温存する。80km以降はどうしても苦しい展開になるが、残り20kmを切れば、気持ちだけで押して行ける。ラスト1~2kmでスパートできれば文句なし。

開戦

その後もトラブルなく、40kmを通過。トラブルどころか、呪いから開放されたおかげで、心も体も軽くなったようだ。42.195kmの通過タイムは3時間50分少々。完璧に作戦通り。だが、宿敵の"石仏"けんけん堂には、かなり先行されてしまった。池間大橋の折り返しを利用してその距離を計測してみると、約1600m離れていることがわかった。石仏との戦いは7年目。ここまで3勝3敗。いつもは僕が先行して、逃げ切れるかどうかの勝負をしてきたが、石仏が先行する展開は初めてだ。1600m差。去年の僕のように、足が止まってしまえば瞬殺の距離だが、安定ペースを維持している限り、急いで詰められるような距離ではない。そして、石仏はその異常な安定感故に石仏なのである。僕より若いくせに。今回は僕も自信の持てる展開だが、これは長期戦になる。もうひとりのライバル、"大変人"クロサワパイセンには、僕が1kmほどリード。彼は20年以上この100kmを連続完走し、50代後半になってなおPBを更新し続けている強敵(故に大変人なわけだが)、後半の安定性は石仏以上。だが今回は、僕が50kmから先のペースアップに成功すれば、逃げ切りに問題はないだろうと推測。この二人に勝てるかどうかが、このレースの80%を占めていると言っていい。ともかく、折返しでお互いの距離差を把握した40~50kmエリア、ここからがバトルロワイヤルの開始だ。

画像1

40kmを過ぎてから、少し心拍数に異常が出始めた。それまでは、スピードに対して心拍数にかなりの余裕があったのだが、スピードキープにも関わらず、じわじわと心拍数が上がり始めた。やはり来たというべきか、「ドリフト」が始まったのだ。

カーディアックドリフト現象
運動強度を維持しているにも関わらず、時間経過とともに、徐々に心拍数が上昇していく現象。深部体温の上昇や、水分量の減少、疲労の蓄積などが原因だと考えられている。
僕は脳内トークで、単に「ドリフト」と呼んでいる。

石仏とそれなりの距離があることを認識した以上、ペースを見ながら、ガマンガマンとつぶやく。ペースが5分半を超えて、少々焦れる。ようやく48km地点の中間エイドが見えてきた。

中間エイド(レストステーション)
100kmマラソンの多くでは、おおよそ中間地点に、大型エイドを設置している。レーススタート前に、任意の荷物(着替え、補給食、雨具、予備のシューズなどなど)を送り届けることができ、これをどう活用するかは戦略上重要になる。宮古の場合、あたたかいゆし豆腐やそばなどを炊き出ししてくれるのもうれしい。

砂漠のオアシスのような、中間エイド。今回はあえて無視する!それを可能にするために、わざわざ重いボトルポーチをぶら下げて走る策を取ったのだ。ポーチには、500mlのスクイーズボトルと、黒糖、氷砂糖などが入っている。最大のメリットは、「欲しいときに一口だけ水を飲めること」だ。エイドでの給水は、どうしても足を止めて、ガブッと短時間でコップ一杯なりを飲み干すことになる。これは内臓には大きな負担だ(じっくりゆっくり飲んでもいいが、それはそれで大きなタイムロス)。空になったボトルへの給水は、経験がないので不確定要素だったが、案外スムーズ。一応、人口密度の低い上位帯を走っているので、エイドに近づいたタイミングで走りながらボトルを掲げて、「コレに給水お願い!」のアピールをしておくと、ほとんどタイムロスがない。給水の間に、オレンジなどをつまむこともできる。これは我ながらいい作戦だった。今後はフルマラソンでも試してみようと思う。

中間エイドにはざっと10人以上の選手が入っていたので、一瞬にして10以上、順位を上げたことになる。もしかしてその中に石仏の姿がないか、走りながら十分観察してみたが、そんなに甘くはないらしい。あちらも当然僕を意識しているから、エイドに長居するような真似はするまい。いよいよ50km。ここでギアアップに成功するかどうか、成功したとして、80kmまでに石仏を捉えられるかどうか、ここからの3時間弱がレースの真髄だ。

この区間に全てを!

リミッターを解除して、体の重心を少し前に移す。肩甲骨から足先まで、エネルギーの流れが一段太くなった感じがする。景色の流れ方が少し変わる。成功だ。いけるぞ。キロ20秒近くアップして、痛みもブレもない。心拍数は当然上昇するが、想定内。3時間維持できる、イエローゾーンのギリギリで回す!周囲に選手の姿は少ないが、ひとり捉えると、次のひとりが視界に現れ、それを捉えるとまた次が・・・。ゆっくりゆっくり順位が上がっていく。長距離レースで、一番気持ちの良い瞬間が続く。ひとり抜くたび、作戦成功と心のなかでつぶやく。だが一向にオレンジのシャツに青のパンツ、石仏は見えず。

画像2

画像3


60km過ぎだったか。無人の荒野・・・じゃなくて、キビ畑が延々と続き、ダラダラ登り基調の苦手なエリア。友人の、トライアスリートにして小説家の卵、K氏が自転車で応援に来てくれた。しかも丁寧に、ストップウォッチで「石仏との差は4分ジャスト」という情報まで。これは嬉しい。朗報だ。40~50kmのエリアで、別の友人から11分差と聞いていたのが、半分以下になってるじゃないか。疲労の大きくなってくるこのエリアで、改めて決意を新たにする。少なくとも80kmまで、このままイエローゾーンでぶん回す!!

画像4

K氏撮影。しんどいけど、フォームの乱れはなさそう。

ついに捉えたか!?

コースは下り基調に変わり、僕の自宅に近い、ホームエリアに。いつもの景色に元気が出る。何年も走り込んだいつものロード。おかえり、と言われているようだ。鍵となる80km地点は、東平安名崎の先端、灯台のあたりになる。灯台まで2km強、岬の一本道だ。いよいよ岬に近づいてきたタイミングで、ずっと先にオレンジ色のウェアを補足。いたか!!ついに!!その距離は少しずつ、確実に縮まって、確認できる視覚情報も増えていく。
(・・・あれ?二桁ゼッケン??石仏は三桁だった気が・・・あ!!あの数字は、首相官邸枠!!!)

人違いだった。首相官邸枠は院長先生。宮古の多くの大会に来てくれる大先輩、全盛期のタイムは僕など足元にも及ばないベテラン選手。20歳くらい年上。最近になって、「ときどき勝てる」という相手。彼に追いついたのは、喜ぶべきことなのに、なんだろうこの奇妙な喪失感・・・。理屈では説明できないので、詩的に表現してみようか。

スクランブル交差点の人混みの奥に、見慣れたセーラー服の後ろ姿があった。今日こそがその日だ。学校では持てなかった勇気が、僕を突き動かす。人混みをかき分け、ようやくたどりついた彼女の肩を軽く叩く。なんということだろう、彼女の後ろ姿を見間違うとは!振り向いた彼女は、僕の応援する人気アイドルだった。しどろもどろする僕に、嫌な顔もせずに優しい微笑みを返して、彼女はそのまま去っていった。温かい満足感と、奇妙な罪悪感が残った。

院長先生にも先行している石仏、きっと好調に違いない。今年も負けるのだろうか。と思いかけた矢先、曲がり角の先にオレンジのウェア。近い!もう見間違わない距離だ!その差約100m!その気になれば、数分で追いつくに違いない。だがここは追う者の特権を利用させてもらおう。あちらは気づいていないに違いない。すぐには仕掛けず、ここで一度ペースを落として距離をキープし、気力と体力を再充電してから、一気に抜く!灯台の折返しまでいけば、石仏も確実に僕に気づくので、仕掛けるのはそのあたりだ。下手に刺激して、後ろに張り付いてこられると、こちらが精神的に消耗してしまう。短時間で引き離して、地形を利用して姿を隠し、諦めさせる!

「よもや卑怯とは言うまいな」

すべては計画通りだった。いや最後になって、計画以上というべきか。灯台の下にエイドが設置されており、石仏がそこで補給に立ち止まったのだ。千載一遇!灯台前の折返しをシャッっと回り、あとは振り向かずにひた走る!離したか??離したか???見ちゃダメだ!!見たら余裕がないことを悟られるぞ!ステージはすでに心理戦だ!予定の80kmを超えて、さらにイエローゾーン続行。苦しい!やめたい!!でもあと2kmほどで最後のレストステーション。預けてあるスペシャルドリンクが飲める。まずはそこまで気持ちを繋げ!あとのことはそれからだ!

82kmエイドは最後の炊き出し。温かい食べ物や預けてあるスペシャルドリンクを受け取れる。命を削ってでもタイムを狙う選手を除いて、多くの選手達がここで一息ついて、最後の鬼のアップダウンロードに向けて、心と体を整えようとする。だが、今はそれどころじゃない。今は追われる身になった。預けてあったのは、炭酸を抜いたエナジードリンク(モンスターグリーン)。常温で気が抜けててマズイが、胃に優しい。それを7分目くらいまで飲み干し、その間にボトルへの給水をしてもらって、大急ぎで出発。走り出す瞬間、エイドに入ってくる石仏が見えた。ギリギリ間に合った。この先は激しいアップダウンにクネクネした歩道、張り出した防風林の茂みが続き、身を隠しやすい。足は死んでないし、下りも怖くない。最終ステージだ!

3kmほど必死で走り、登りの傾斜が最大になる風車前の坂で、100mほど歩くことにした。「歩かないこと」にプライドを賭けている選手も少なくないが、大切なのは1秒でも早くゴールすることだ。100m歩くことで、心臓と気持ちが多少回復して、トータルタイムが速くなるなら、むしろそうするべきだと思う。急坂を歩きながら、勇気を出して後ろを見た。無人。視界の続く300~400mくらい、誰もいない。つまり、僕が歩いたことも見られていない。勝てるぞ。傾斜がゆるくなったところで、再び走り出す。

そんな中、石仏ファミリーが応援と撮影で沿道に現れた。奥様は僕らの勝負を毎年ネタとしておもしろがってくれている。子どもたちが大声で叫ぶ。
「前田さーん!!がんばれー!!」
なんていい子どもたち!僕は君たちのパパをどうにかしてやっつけてやることしか考えてないヤツなんだよ!
奥さんが一眼レフのシャッターを切りながら
「不調っていってたくせにーー!悪いヤツだねーー!」
と言っている。

画像5


ここは勝負師として、ヒールに徹するか。やせ我慢して、余裕ぶっこいておけば、石仏にそれが伝わるはず。「宿屋のオヤジ、余裕そうだったよ」と聞かされたら、多少なりとダメージを受けるかもしれない。

画像6


僕は走りながら、カメラの前で変なポーズを取って答える。
「はっはっは!ソバ屋式って言うんだよ~」

ソバ屋式(sobaya プロトコル)
レース開始前から、ライバルに対して、自分の不調を訴えておくことで、油断を誘い、終盤の駆け引きを有利に進めるための一連の手順。この手法を独自に開発、活用し、宮古島トライアスロン業界で名を馳せた選手にちなんで名付けられた。

実際不調だったのかどうかは、今となってはもうどうでもいい。ルール内で勝ちゃいいんだよ!心理戦、情報戦も駆使するぜ!

画像7

石仏夫人撮影。こうしてみると、やせ我慢見え見え。


普通に走ってもラクじゃないアップダウンを、必死で自分を説得しながら走る。やめたい、やめたい、と脳内アナウンスがうるさい。その都度、泡を弾かせる金色のビールジョッキを思い浮かべるなどして、気をそらす。綱渡りのようだ。残り5kmの看板。最終盤!!でも、ここからの1kmはものすごく長い。当然ペースは落ちてきているが、だいたいキロ6分前後をキープしている。このエリア、苦しいのは誰でも同じ!キープできれば勝てる!残り2km、勇気を出して後ろを見ると・・・誰もいない。勝った。

総仕上げ

2kmは定番のラストスパート。この順位帯では絶対に一番速いという自信があった。99~100kmのファイナルラップは、この日最速の4分57秒。心拍数もピーク。キザな言い方だが、我ながら生命を削るようなラストスパートが、僕なりのレースへの感謝表明なのかな、と思う。ゴールテープを前に、振り返って一礼する選手がいるが、あれと同じかもしれない。苦痛に満ちた一日が報われる瞬間。すべてがスローモーションで、いろんな感情が押し寄せてきて、それなのに体は信じられないほど速く動いている。昨年のような惨敗レースでも、この瞬間だけは幸せだった。ありがとう、ありがとう。みんなありがとう。諦めなかった自分にもありがとう。特に石仏はありがとう。

画像8

渾身のガッツポーズ。気分は表彰台。

こうして8回目のワイドーマラソンは終わり。タイムは、PBを10分更新して、9時間25分。総合20位、宮古島、沖縄県一位。
感想は、「苦しかった」。

さて、ドヤ話はこのへんで。今回のレースから得られた経験やら考察やらウンチクやら、いろいろ書きたいことが残っているので、またあらためて。ではでは。

※画像引用:井上雄彦「バガボンド」より

この記事が参加している募集

イベントレポ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?