見出し画像

私はオタクじゃない論とダブルオーライザー

オタクの皆さん
そうでない皆さん
こんばんは。

突然ですがここで公言しておきますが、私はオタクではございません。
※本稿はオタクを馬鹿にしてる等の意図はないのであしからず。

TwitterやDiscordで使用しているアイコンが「きまぐれオレンジロードの正ヒロイン 鮎川まどか」「デ・ジ・キャラットの主人公 でじこ」だったりして一見オタク君丸出しっぽい雰囲気が出てるかもしれませんが、絵のタッチや構図を気に入って使ってるだけで、推しに推してる魂の超お気に入りのキャラクターではありません。

もちろん、鮎川まどか、でじこ どちらも嫌いではありませんが、好き度を100点満点で表した場合、70点くらいでしょうか。
ちなみにダブルオーライザーが95点です。

アニメって普段観ないんですよ。 漫画もほどほどです。
特に最近の流行り物は全くわかりません。

中学生の頃くらいはレンタルビデオショップ巡りが趣味だったのですが、この作品だけは ”本物” というかイイ感じにオーラが出てるし、これは抑えといたほうが良さげだなって作品を調べて何本かレンタルして視聴しただけです。

私からオタクっぽい雰囲気が出た時はその時代に蓄えた知識貯金で雰囲気を出してるだけだったりします。


自分がオタクじゃない理由はもう一つあって、それは過去にオタクに対してちょっとした憧れがあったからです。

90年代後半辺りでにメイド萌えブームが到来して、メディアで「オタク文化」「秋葉原」がクローズアップされる時代があったんですよね。

どちらかというとメディアにおいては、一般言語されてなかった「萌え~」なんて言葉を使う奇天烈な人として扱われてた当時のオタクですが、自分には傍目を気にせずに普通の人よりも一歩踏み込んだ嗜み方をしてる「自由な生き方をしてる人間」に映りました。

今でもそうなのですが私は自分、もしくは小さなグループ内でしか伝わらないような独自言語を持つ個人や集団が ツボ なんですよ。
もう、たまらないほどに。

今のインターネット全盛期で何事にもグローバル化が求められる近年において、というか生きてく上で標準化、効率化が空気を吸うように当たり前になりつつあるのに独自の言語、独自文化って非効率の塊じゃないですか。

圧倒的な情報量が交錯する時代になんて精神的にゆとりのある行為なんだろうと感じます。



私はデジタルネイティブに片足を突っ込んでる世代であり、こういった独創性が求められずに育った実感があるためか、キレ味抜群なオリジナリティ溢れる知性に触れると非常に脳が刺激される感覚があります。

どうしてもこの「愛おしき無駄な知性」を養いたくてSNSなんかでもチャレンジしてますが、本質的な部分は逆立ちしても自分から出てこない類の知性なんですよね。
自分に無いものだからこそ憧れてしまうのでしょうか。


学生時代に友人を誘ってコミケに行ったことがあるのですが、当時の私はどうしても客観的になってしまうところがあり、萌え萌え&ちょっぴりスケベな本を買うために炎天下の中で並ぶ自分を想像して、その気持ち悪さに耐えきれず買うのを諦めたことがあります。
結果、その日はなにも買わずに手ぶらで帰りました。

一緒に行った友人はなにも臆する事なく何冊か買ってたので才能の差を感じざる得ませんでしたね。

現地に集いし本物の猛者達と同行した友人のダブルパンチで自分の身の丈を思い知らされました。


好きな物に対するスイッチが入った時に傍目を気にせず満足するまで走り続ける能力。
これが私には欠けている、もしくはオタクが異常に発達している部分なのかなと思います。
そこが私とオタクの差なんでしょうね。 良くも悪くも。

ということで私にとってオタクとは「オタクになろうと思って成るものではなく、生まれついての気質」なのでは、という結論になりました。

つまりオタクに憧れを持った地点で私はオタクじゃないってことです。



今回の話はオチも無いので良い機会ですし、ダブルオーライザーの話でもしましょうか。

ダブルオーライザー(95点)

ダブルオーライザーは見た目や作中での活躍はもちろんですがなによりも私が気に入ってるのはダブルオーライザーというネーミングセンスの素晴らしさ。 ちょっとだけ語りたい。



機動戦士ガンダム00の第一期では主人公のガンダムのパイロット、刹那・F・セイエイは「俺がガンダムだ」「俺は…ガンダムになれない…」「貴様はガンダムではない!」と事あるごとに ガンダム、ガンダムと連呼します。

他の登場人物にはもちろん、仲間にさえ冷笑されてもガンダムと唱え続ける刹那の姿に、視聴者すらも「ガンダムってなんだっけ?」と改めて考えさせるんですよ。

V字のツノがあって二つのアイカメラがあればなんでもガンダムと言えちゃうわけですが、刹那の中ではそうではなくガンダムとは絶望を取り払う救世主でなくてはならないんですよね。

私は刹那・F・セイエイから学びました。

物事の定義付けは与えられているものをそのまま受け入れるのではなく、自分の中で確かめ、再定義する必要があるということを。
お前が今ガンダムと認識しているものは本当にガンダムなのか? と。

刹那のガンダムに対する向き合い方はアニメの中だけでなく日常生活にも役に立ちます。

情報や娯楽の供給過多になりつつあり、気を抜けば息抜きであるエンタメの圧倒的物量に押し潰されそうに現代ですが、まずはガンダムかガンダムでないかを "自分自身" で見極めればいいのです。

そして常日頃から自分自身もガンダムであるかどうかを問い続ける必要があります。

きっとイエス・キリストの有名な言葉には続きがあったんだと私は思います。
「人はパンのみにて生きるにあらず、ガンダムであれ」

おれもおれも!


そろそろダブルオーライザーの話に戻りましょう。

勘の良い方はお気づきかもしれませんが、この「ダブルオーライザー」には「ガンダム」の名が冠していません。

ダブルオーライザーの元となるダブルオーガンダムには二つの「GN粒子精製装置」であるGNドライヴが搭載されてます。

一つは過去の愛機であり、刹那の分身ともいえるガンダムエクシアのGNドライヴ。
もう一つはかつて刹那の命を救い、「ガンダムは救世主であり神の如き存在」という、刹那の生き方に大きな影響を与えた0ガンダムのGNドライヴ。

この2基のGNドライヴを同調稼働させGN粒子の生産量を2乗化させることがダブルオーガンダムの目玉システムであるツインドライヴシステムです。

ツインドライヴシステム

ダブルオーライザーとは「ダブルオーガンダム」とダブルオーガンダムに搭載されている不安定なツインドライヴシステムを安定させるために開発された支援機「オーライザー」がドッキングした究極の合体形態を指します。

ガンダムエクシア、0ガンダム、そして純粋種のイノベイターとして目覚めた刹那・F・セイエイ。
この3つのガンダムが完全に合わさったダブルオーライザーの粒子放出量は理論的限界値を超えた7倍、出力数値は200%を超え、ダブルオーライザーは「ガンダムを超えた存在」になってしまったのです。

機動戦士ガンダム00の作品テーマは「変革」「ガンダム」と私は考えています。

ダブルオーライザーは誰よりも深く、濃くガンダムであるが故に、ガンダムを変え、ガンダムを超えたダブルオーライザーは見事にガンダムを変革させて昇華させた機体と言えるでしょう。

いや、100点だわ… ダブルオーライザー…。



でも劇場版の粒子貯蔵タンク型ダブルオーライザーが不甲斐なさすぎるからやっぱり95点で。


逆シャアも好きだから語りたいけど、それはまた次の機会で…


この記事が参加している募集

#私の推しキャラ

5,448件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?