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◎「どこでも働ける働き方」の功罪

リモートワークが当たり前の世の中になって久しいが、リモートワークが当たり前になって「働く」は、どのように変わったのだろうか?自分のケースを元に振り返ってみたいと思う。

コロナ禍後、当然の如く、僕の働き方もリモートベースに移行した。多少、リアル出社が戻ってきていえる時代の流れもあるが、軽井沢に移住したので元々全てリアルに戻るはずもないし、戻すつもりもない。

僕の今の仕事は、大きく3つだ。戦略デザインファームBIOTOPEの経営をしながら、デザインコンサルティングのプロジェクトに入りつつ、本の執筆活動をしている。会社と執筆の割合は7:3くらいだろうか。

デザインファームの仕事というと、ポストイットをペタペタ貼ったり、手を動かしてプロトタイプを作るワークショップなどのリアルな場のイメージが大きいと思うが、コロナ禍をきっかけにほとんどの仕事がオンラインに移行した。3ヶ月のプロジェクトであれば本当に重要なワークショップはリアルで行うが、オンラインホワイトボードのmiroを活用してオンラインでワークショップをする機会は増えたし、新しい案件の相談はzoomやTeams等のオンラインツールを使って行うことがほとんどだ。ちなみに、この前IDEO Japanに行ったら、週1全員出社で、週4は在宅勤務らしく、デザインファームのオフィスがスタジオとなって、みんな集まってアイデアを考えていく、というのはすでに過去の姿になりつつあるのかもしれない。

BIOTOPEのオフィスは東京の池尻大橋にある。コロナ禍が始まってからは、基本出社は完全自由という期間が長く(今は、ゆるく週2目安くらいで出社、だけど実際はもっと少ない)、オンラインでもある程度仕事ができるという判断の元、僕自身も軽井沢に拠点を移すという意思決定が出来たのだ。

結果、何が起こったか?

最初は、テレワークが定着したことによって「場所を問わない働き方」ができるようになったことをポジティブに考え、オンライン化を促進しようとした。

 リモートワークによる恩恵を受けた人は一定数いる。内向的でコミュニケーションに苦手意識をもっているタイプの人は「働きやすくなった」という感想をもつ人が多い。雑談が減るデメリットもあるが、discordやgatherなどの社内オンライン対話ツールもある。実際に、そういうツールを導入してみると、リアルでは寡黙な人が案外多弁になっていたりして面白い。一方で、リモートワークに苦手意識をもつ人もいる。外向的でコミュニケーションが好きなタイプは、窮屈に感じているケースが多いようだ。実は僕もその一人だだったりする。

 当初、zoomでミーティングを次々とこなす生活は、意外とできるという感覚だった。以前と同じペースで同じ仕事をオンラインで続けていた。だが、それを半年も続けると体が続かなくなってきた。

経営者とプロジェクトを両立していると、人と頻繁にコミュニケーションを取る必要性がある。今までは、軽く雑談で済んでいたことが、コロナ禍前同様のペースを維持しようとすると、オンラインミーティングを1日に5個も6個も入れることになる。

1年も続けた頃だろうか。ある時、目が疲れてきて画面を見れなくなってしまった。zoomにスマホから入り、散歩をしながら耳だけ参加することで一時的に対処したものの、結局限界を感じ、それ以来、僕はオンラインミーティングの頻度を減らし、リアルに東京にいく頻度を少し増やした。

結果的に、全体としては仕事に使う時間の割合は以前より減ることになった。おそらく2割減くらいだろうか。

 また、オンラインベースの仕事が増えて、時間は効率的に使えるようになったけど、以前より仕事の時間がワクワクしなくなったのも正直なところだ。オンラインでのコミュニケーションは、はっきり言って味気ない。在宅でパソコンの前で話をして1日が終わったとき、「果たして今日は何のために生きていたのだろうか?」と思ってしまうこともあった。

 その背景には、オンラインでは、五感を使う感覚が乏しいことにあると考えている。
 オンラインで誰かと話すとき、視覚と聴覚は使っているけれど、それ以外の感覚はほぼ使うことはない。リアルで人と会っているときに相手から得ている情報は実はとても多い。五感すべてを駆使して、相手のこと、その場の雰囲気を感じ取っている。相手とシンクロナイゼーション(同期)しているという身体的感覚も、お互いに五感を使ってさまざまな情報を得ているからだ。
 京都大学総長を務めた人類学者・山極壽一先生によると、このように身体の同期から得られる情報は、相手が信用できるかを決める重要な基準になるという。その意味では、視覚、聴覚だけに頼るテレワークの働き方では、相手のことを信頼してよいのか判断できない、つまり、不安な状態のままずっと仕事をしていることになる。

 しかも、視覚や聴覚だけでなく、嗅覚、味覚、触覚といった身体感覚を通じて、人は日々起こったことを記憶と結びつけている。たとえば、誰かと一緒に食事をとることは、料理の味の味覚やその場の雰囲気を感じる触覚とともに強く記憶に刻まれる。オンライン上で長時間一緒に打ち合わせをしても、「どんな話をしたんだっけ?」「どんな人だったけ?」などと記憶があいまいになるのはそのためだ。

僕は、仕事でリアルなワークショップをしながら、参加者のアイデアが絡み合っていき、一つの物語となっていくグルーブ感と場の一体感を肌で感じながら仕事をすることで癒されていたのだということを再確認した。

テレワークを活用すれば、生産性は大幅にあげられる。しかし、仕事とはそれだけではない。生産的である以上に、「楽しく仕事をしたい」という根本的な欲求が僕にはある。「味わい」のない仕事は、つまらない。

そう気づいてからは、リモートで済んでしまうケースでも、大事だなと思う場面では「リアルで会いたい」とお願いし、場を共にするためにわざわざ出張するようになった。

また、リアルでのどの程度会うかという問題は、会社のメンバーとの関係性においても課題になる。テレワークを中心に仕事をしているチームでは、一緒に時間を過ごす時間をつくらないと、お互いの考えていることがわからず、コミュニケーションに支障をきたすことがある。特に、自立して仕事をできるメンバー同士になっていれば、オンラインでもそんなに問題がないが、まだ仕事のスキルが不足していて手取り足取り教えなければいけないメンバーは、オンラインのみだと一度自信を無くしてしまうとそこから一人で悩んでしまい、悪循環になってしまうケースも多い。だから、ある程度、定期的に顔を合わせ、お互いの顔を見るという体験を作ることは、仮にリモートベースの職場であっても重要だと思う。

そこで、僕はあえて「ハレの場」を設けるように心掛けている。

チームメンバーに軽井沢まで来てもらって定期的に、1泊2日、2泊3日で合宿を行ったり、あえて出張先でメンバーと落ち合って一緒に飲みに行ったりするのだ。こうしてメンバーと面と向き合ってコミュニケーションをとると、不思議と落ち着く感覚になる。こうして、ハレの場で濃いコミュニケーションをとって信頼関係を築き、またテレワークに各々が戻っていくという、濃いハレの場を作ることの重要性が増しているのではないかと思う。

 テレワークベースになっている組織は、リアルとオンラインのバランスを模索しているのではないか。オフィスを無くした会社の友人に聞いてみると、定期的に飲み会を開催することでリアルに会う機会を祭り的に作ることが大事になったという声が多い。

僕個人の感覚では、週の半分はリアルの場で誰かと会って刺激を受けて、残りの半分の時間は内面と向き合い、じぶんの時間として使う。「場所を問わない働き方」が当たり前になった今だからこそ、こうした自分にとっての最適なバランスを考えることが不可欠と言えるだろう。

軽井沢に移住して2年、僕の働き方はこうだ。週の2日程度東京のオフィスや、出張先に向かい、ワークショップや経営メンバーと顔を合わせた会議、そして夜の会食で普段会わない人と会う。残りの週5日は軽井沢に過ごすというペースで、軽井沢にいる時はオンラインミーティングと執筆を半々くらいで過ごすという形で落ち着いている。以前と比べると仕事時間は2割程度減ったが、そのくらいがバランスが良い。

コロナ禍前は、毎日のように人と顔を合わせたり、ワークショップをやったりして、アドレナリンを常に出しながら仕事をしていた。ある種、アドレナリン中毒のような状況だったかもしれない。だから、土日はオフを積極的に取る必要があった。それに比べると、今は平日の中でオフなじぶん時間と、オンの出張の時間が混じっていて、以前と比べるとセロトニンモードの時間が増えた気もする。

僕の仮説では、僕のような外交的な仕事をしていた人からすると、以前よりは頻度が減り、仕事がつまらなくなったが、コードを書いたり、デザインの手を動かしたり、執筆をするような内向的な仕事をしている人からすると快適で仕事をしやすくなったのではないかと思っている。

リモートワークをしていると、一人一人の過ごす様子は全くわからない。でも、実際、みんなどうしているのかすごく気になる。

あなたは、コロナ禍前と比べて、仕事の仕方は変わりましたか?

あなたは、コロナ禍前と比べて、仕事が好きになりましたか?



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