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韓国語の異質さ

「泊之登万里人」。
この六字はすべて韓国音よみでよませています。「泊之」は「バッジ」で「刺し」。
「登」は音よみ「ドゥン」から終声「ン」を消し「……も」の意の「ドゥ」として使っています。「人」も古音の「ニン」から終声「ン」を消して「ニ」に使います。
「万」の音「マン」が、次の字の「リ」につながると音が強化されて「マルリ」になります。「マルリニ」は「止められるから」の意。
六字全部あわせて、「バクジドゥマルリニ」。「刺しも止められるから」となります。(p.116)

李寧熙『天武と持統』(1990)

万葉集の歌は日本語ではなく古代韓国語で詠まれていたのだとし、そこに隠された意図や陰謀を見出そうとする本。

こう書くといわゆるトンデモ本のようだが、韓国語と日本古代史を勉強している者からすると、なかなかおもしろい。どうせなら韓国語はハングルを併記してほしかった。

なにしろこちらは歴史も韓国語も素人なので、この本に書かれていることの真偽について語る資格はないが、あらためて、韓国語は異質な言語だと思った。

共有する語彙が多かったり、文の構造が似ていることから、近しい言語のように見なされることもあるが、だからこそ違いが際立つとも言える。

例えば上の引用では、韓国語の終音(パッチム)が日本語では無視されているし、日本語の清音と濁音が韓国人には区別がつかないというのはよく知られた事実だ。

しかしこのような差異は、英語とドイツ語の間、フランス語とイタリア語の間の差異とは本質的に違うように思える。

これは、私が日本人だからだろうか。

アメリカ独立宣言をフランス語で読み解くと、そこにフリーメーソンの世界征服の野望が浮かび上がる!みたいな本が売られていたりするのだろうか。

それはそれでダン・ブラウンあたりがすでに書いていそうな気もするけど。

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