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今の時代に必要なのは背中を守り合い生き抜ける同志のようなパートナーである

20代の頃のパートナーの条件は、何をおいても「経済力」だった。それも、ポンコツ2代目的なものではなく、自身で資産を創り上げることのできる人限定の。30代前半もその条件はブレずにきた。もはや、金の亡者一歩手前である。

が、この条件も30代半ばにして変わり始めた。


現在の私のパートナーへの条件は、

「サバイバル力」

である。

3.11やコロナ禍を経験し、さらにこの思いは強くなった。
(ちなみに、漫画「ドラゴンヘッド」や「サバイバル」は完読している。)


私は以前よくこう言っていた。

「死ぬなら、一瞬がいい。」と。
(注:未経験ゆえの稚拙な希望である。聞き流していただけると幸いです。)


が、実際に3.11の時は非常に生き汚かったらしい(家族談)。ちなみに私の実家は東北、震災時は実家にいた。津波発生の地域ではなかったため、家族に大きな被害はなかったが、やはり震災後は大変だった。食糧難や停電である。

当時はまだ健在だった祖父が自家発電で少しずつ電気を供給し、父はガソリンを得るために奔放してくれた。まだ幼い姪2人に不安な思いをさせないため、母(姪にとっては祖母)と2人でロウソクの火で影絵あそびをしたりした。祖母は少ない食料で家族の食事を切り盛りしてくれていた。

それでも問題は生じる。悲しいかな、近所の方に灯油を盗まれそうになったりもした。


暮らしが落ち着いてきた頃、父と母に言われたのだ。

「めちゃくちゃ生き汚いな(爆笑)」

自分では気づいていなかったが、自分が生きるため、幼い姪が生きるため、家族が生きるため、私はガムシャラだったらしい。


まず震災発生直後、停電により冷蔵庫内の食料を消費してしなくてならない状況になった。祖母が焼いてくれた真鯛・・・「みんな食べなよ。私は残った分でいいよ。」と言いながら、最終的に2匹食べたらしい(他の家族もちゃんと食べたよ)。

「状況に備えて(食料取得が困難になるかも)、無意識に腹ごしらえしたんだね・・・。」(母談)


夜中の余震、それもかなり大きい余震は頻繁に発生していた。寝室は2階。ちなみに、地震は体感する前に音が発生するのだ。「ゴゴゴゴゴ」「ガタガタガタ」という音で目が覚め(そもそも熟睡なんてできない状況)上の姪を抱き抱える。この時、恐怖心を煽ってはいけない。「大丈夫!絶対に落とさないから安心していいよ!」と声をかけ、できるだけ素早く階段を駆け降りる。

「(デブなのに)あんなに俊敏に、しかも姪を抱えて動けるんだね・・・。」(母談)


そして灯油泥棒への威嚇。ガルガル期状態の私は、灯油を持って行かれないよう隠したりしていたらしい。(ちなみに灯油泥棒に対しては、震災後10年経っても威嚇中。無意識。)


思い起こせば、これまで常に緊急避難経路を念頭に生きてきた。

幼い頃の実家住まいだったときも、2階の自室から緊急事どうやって避難するべきか。隣室の妹を連れ、1階にいる両親や祖父母をどのように避難させるか。

一人暮らしを始めた時も、実家までの避難経路(真剣に自衛隊所属の身内を頼ろうと計画を練っていた)を常に考えていた。

彼と暮らしている現在もその準備は健在である。我が家は2匹の猫がいるため、指定避難場所までいけない可能性がある。それを踏まえて、なぜか猫たちのご飯の備蓄をしっかり準備している。(人間は米があれば大丈夫と思っているのでOK。コメは大量に常備しているので問題なし。)


ここまでまとめると、気づいてきた。

私は不安なのである。自分以外の大事な人たちが大変な思いをしてしまうことが。だから先回りして、自分以外の大事な人たちが怖がらないように、不安にならないようにしたいのだ。


そうなると、「私の背中は誰が守ってくれるの???」である。

だからこそ、「サバイバル力」を持ったパートナーが必要なのだ。私ひとりでは限界でも、パートナーがいれば解決できることもあるはずだ。

そう、どんなに困難な状況でも背中を守り合える同志・・・そういうパートナーがいればいいなと思うし、私もそういう人間でありたいと思う。



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