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頼りにされている、というのは分かりつつ、調子が悪いと、搾取されている、と思い、気落ちする(3月18日(金))

昨日寝た時間:24時半
今日起きた時間:7時半

昨日寝るとき、最近夢を見たのはいつだったのだろうか、とんと見ていない気がする、と思って寝たのだけど、やっぱり夢を見なかった。夢はなかなかやってこないようだ。

朝起きると、二女が僕の布団のなかに、うにゃーんと言いながら入ってくる。ただ単に暖を取るために入っているのだろうけど、僕の脳では「父ちゃんのことが好き」ということに身勝手に変換されて、二女のことが可愛くて仕方ない。こうして、頬っぺたとか遠慮せずに触れる日々もそうは長くはないだろう。小5の長女と最後に手を繋いだのはいつだったか。恐らく1年位前ではないか。小2の長男も、もう積極的には手を繋いでくれない。手を繋いでくれるのは、二女と、時々の妻である。

朝からお腹の調子が悪い。最近、在宅勤務の時はお腹が調子悪い。弛緩して、油断して、気が緩むのだろうか。そういえば、先日24時に帰ってきた日に、ポテトチップスとキムチを食べてビールを飲んで寝た日があったが、それ以降、調子が悪い。

「たった一つのことで、そんな大袈裟に体調が悪化するなんてことはあるのか」と昔は思っていた。大江健三郎が、確か「水死」で老体で冷たい川水のなかを泳いで、それ以降体調が悪くなった、みたいな叙述があった気がするけど、それを読んだときに「えっ、たった1回でそんなに体調は悪くならんだろう」と思ったんだけど、僕にとっては、あのポテトチップス/キムチの夜以前と以降で、お腹を巡る世界が変わってしまったのかもしれない。BPK/APK。朝は何も食べられなかったが、昼はレトルトのカレーを食べた。

大江健三郎の水死

今日は一日、資料を作成していた。21日から出張なので、それに備えての資料作成と原稿作り。予定通りに事が進んだので、今日は安心して仕事を終えることができた。それでも、幾つか、便利使いと言えば響きが悪いけど、「ちょっとお願い、助けて」的な仕事が幾つか入ってくる。この種の仕事って可視化されないわりには積もると時間を溶かすように使わなくてはならない。頼りにされている、というのは分かりつつ、調子が悪いと、搾取されている、と思い、気落ちする。こういう搾取がない人が羨ましい。

今日は息子の空手で、今待機中です。車の中でこれを打っています。

息子が行きの車でアンダーテールの曲を聴きながらタイトルを当てるのを楽しそうにやっていた。帰りもやるそうだ。僕は、大雨のなかの運転だから、それどころではない。

いつか、長男に自分の子供ができたときに、毎週父親が習い事での送り迎えをしていたことを思い出して、それを当然に自分の子供にしてくれたらいいな、と思って毎週車を運転している。大したことはないんだけど、僕は自分の父親にはそういうことはされなかったから、これが息子にとって自然になればいい。僕の父の時代は土日以外殆ど顔を合せなかった。

僕の幸せってなんだろう、と考えると、朝子供とご飯食べたり、二女を保育園に送り出したり、夕飯の時に家族で楽しい会話をする、というのが大切な要素なんだろう、と最近改めて思う(もちろん、それだけで自分の幸せというものが構成できるとは思わない。あくまで要素)。そう考えると、やっぱり週のうち2~3はそのようにしたいな、と思い、となれば週2,3回は在宅勤務にするか、もしくは家の傍で働くことがその実現を可能にするためには必要となる。

ふと立ち止まって、自分のキャリアを見直さなければならない気がする。
車の窓の外は雨、ここは東京ではないけど、頭のなかには古内東子の
「雨降る東京」が流れる。


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