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★「以心伝心」神話

 「以心伝心」という四字熟語がある。中学校の国語資料集に掲載されていて覚えたという方が多いのではないだろうか。「人は、親しい関係になれば、言葉にしなくても気持ちが伝わる」という意味である。

 「察する」「慮る」という言葉がある。「相手の行動などの様子を見て、気持ちを忖度する」という意味である。「以心伝心」と「察する」力があれば、最高の人間関係が築けるような気がする。間違いない。

 しかし、現実はそうはいかない。どんなに親しい親友や夫婦でも「以心伝心」は難しい。ほぼ不可能。同様に、相手をいくら観察しても、気持ちを100%「察する」ことも不可能である。

 だから、心から互いを信頼できる、強固な人間関係を築くためには、互いの気持ちを言葉にして、常に交換し続けることが必要不可欠である。どちらか一方が、馴れ合いから「以心伝心」神話に取り憑かれたり、「察する」ことを相手に過度に求めすぎると、関係はたちまち破綻する。

 また、言葉による意見交換に必要なのは「対話的マインド」である。会社の会議では、多くの意見から一つの方針に意見を収斂する必要性がある。そのためには、討論や議論が便利だが、日常の人間関係には馴染まない。日常の対人関係で意見の相違が生まれたら、どちらか一方の考えに、力ずくで強制的に合わせさせるのではなく、対話により合意点を探り、互いの意見に少しずつ修正を加えていく、擦り合わせが必要になる。これが「対話的マインド」である。

 「以心伝心」を全く期待しない「言葉による意思疎通」と「対話的マインド」。どちらも、日本人は苦手な分野である。古く、人の移動がほとんど無い、育った環境や生活背景がほぼ同じな「ムラ社会」で、「以心伝心」が奇跡的に機能していた記憶が、DNAの奥に刻まれているからある。インターネットの発達、技術革新による、社会のグローバル化は止められない。「ムラ社会」は、既に、地球規模(グローバル)に拡大している。

 会社や学校に外国人がいること自体が珍しくなくなっている。外国人とのコミュニケーションには、さらに、先に述べた二つの手法が必要となる。

 今一度、自身の日常のコミュニケーションを見直し、気の置けない人との関係を深め、人的ネットワークをさらに広げていきたいものである。

学校教育には矛盾がいっぱい!