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母の抱えていた闇、の話

私は発達障害の傾向があります。
そういう人のあるあるで、原家族は機能不全気味でした。
機能不全家庭って、そこで育った人の人生に、大きく影を落としてしまうんですよねぇ。
できるだけ過去の整理をした方が、生きやすくなるんですよ。

今、私の実家は、90代の両親のダブル介護状態になっています。
年齢的に仕方なくはあるのですが、やっぱりボケて来ているんですね。
それで、今回は母について、ボケた現在と若かった頃のエピソードと、それを私がどう捉えたか、の話を整理してみようと思います。


◆ 実家の状況

私はもともと両親と不仲で、実家を出て一人暮らしをしているのですが、半年ほど前に母が骨折して入院したという連絡が来て、6年ぶりに手伝いをしに実家に行きました。
…家の中は、化け物屋敷の如く天井からホコリやカビがつるさがっている状況でした…。
そのキッッッタネェ&クッッッセェ家の中で、
「何もできねぇからなぁ…。」
と言いながら、父はヨタヨタと酒を飲んでおりました。
父はたぶんASD、かつモラハラ気質の人で、妻も含めた他者に興味が薄いので、まあ、そんなもんでしょうなぁ。

◆ そのボケは本当なのか?

入院先での母は、最初の1ヶ月くらいは、結構チャラっとしていました。
たぶん、重すぎる父の面倒や家事から離れられて、すっきりしていたのだと思います。
けれど、何度か面会を重ねるうち「?」と思うようなことを言うようになりました。
入院の手配など、キーパーソンとして動いてくれている兄が、
「救急車で病院に行ったとき、ボケたみたいなこと言ってたぞ」
と教えてくれていたのですが、年齢も年齢だから、せん妄か何かが起きていて、しばらくすれば落ち着くんじゃないか、と思っていたんですよ。
しかし、入院が長引くにつれ「???」という発言が増えて行きました。
最初の内は兄も半信半疑で
「わざと言ってるんぢゃね?」
と言っていたんですよ。
私も面会中に父の話題になったとき、母がオーバー気味の表情で
「あら!おじいちゃんどうしちゃったかしら? まだ生きてるの!?」
と言ったときは、(おめぇ、わざと言っとるな? ^ ^;)と思ったんですよね。

しかしその後、どんどん話はおかしくなって行き、最終的には
「あんたは誰だっけ?」
になりました。

母の頭の中で、兄と兄嫁の存在は確認できているのだけれども、
父と私の存在は、抹消されてしまっているんですよね。

◆ 都合の悪いモノは「無い」ことにする

母は若いころから、自分にとって都合の悪いことは「無かったこと」「存在しないこと」にしてしまう人だったんですよ。
どんな人でも多少はそういう所があると思うのですが、母はその傾向がだいぶ強い人でした。
なので、病院でボケたことを言い出したとき、
(また、わからないふりをして責任逃れをしようとしてるナ ^ ^;)
と、思ったんですよね。
若いころから母は、
「わからないことを言われても何もできない。自分には責任は無い。
で済ませてしまうことが多かった、と感じます。

昔あった実際の話で、てんやものを取るくらいのことでさえ、
母「あんた何が食べたい?餃子をたのむなら半分欲しいのだけれど、あんた何にする?」
私「レバニラ」
母「好きなのたのんでいいわよ。餃子なら半分欲しいのだけれど、あんた何にする?」
私「レバニラ」
母「あんたが餃子たのむなら半分、、、、、(以下延々と続く)」

とにかくとにかく、餃子をたのむ程度の責任でさえ、責任を負いたくない人だったんですよ。

なので、母の頭の中で、父が抹消されたのは、
「もう面倒は見たくない。消えて欲しい。」
という意味だと思うんですよね。
実際、今の母には父の世話などできませんし。
何もできない父は、重いお荷物そのものだと思います。

以前、父の具合が悪くなり、父が不機嫌な態度のまま何を言っても答えなくなった時、母は父の荷物をまとめてから、私に救急車を呼ぶことを要請してきたことがあります。
あのとき母は、父を病院に捨てる気満々だったんですよ。
しかも、そのゴーサインを出したのは私、やったのは娘だ、にしたかったんですナ。
とにかく重すぎる責任から逃げたいのだと思います。

◆ 私が消される理由

小さい頃から私は、母にとって「都合の悪い子ども」でした。
母の頭の中では、サザエさん一家のような家族が「普通」であり、そこから外れることはあり得ない・許せないこと、のようでした。
私には兄がいるのですが、兄は元から「元気の良すぎる男の子」で、いわゆるカツオくんタイプでした。
なので、母の考える「普通の・まともな子ども」の範疇に入っていたのだと思います。
けれども私はASDグレーであることもあり、おとなしく風変りなオタク気質の女の子であり、母の考える子ども像からかけ離れていたんですよね。
母からは散々
「おまえは変な子だ。悪いやつだ。」
と言われていました。
母にとっては、私のような変わった子を産んでしまったことが、人生の汚点だったのかと思います。

ボケる、とは、理性が利かなくなることですので、ある意味自分の感情に素直になることでもあるんですよね。
なので、母の人生の汚点・都合の悪い存在である私が消されるのも、理解ができます。

◆ クリームスキマーとしての母

母は昔から、美味しい所・楽しい所のみを漉き取っていく人でした。
母は大河ドラマのような豪華絢爛たる時代劇などが好きで、まるで歴史に詳しいかのようにふるまうのですが、美しく脚色されたドラマや都市伝説じみた面白い《とんでも歴史解説》「のみ」を見ているんですよね。
エンタメ化された楽しい部分のみを味わっていて、本来の歴史的文脈などは一切考えない。
なのに
「私は歴史に詳しいのよ!」
なんて言ってしまう…。
以前は、なんでそんなことで自慢してしまうんだろう…と思っていたのですが、これって単純に、エンタメ化されたもの=簡単なものしか理解できなかったから、なんじゃないかと思うんですよね。

どこまでもミーハーであって、無邪気にクリームスキマーをやってしまう。
実際に、本当に、ちょっとちょうだい!と言って、子どもの分のケーキからクリームだけをすくい取っていったりもしていたんですよ ^ ^;
これって、単純に、部分的な知的障害があったから、いつまでも子供っぽい言動をしていたんじゃないか?と、疑っています。

◆ 人生の総括?‐結構かわいそうだったのかもしれない‐

今現在の知見では、発達障害って遺伝的要素がかなりある、とされていますが、私にそういう傾向があるのなら、両親にもその可能性があってもおかしくないと感じます。
事実、父はかなりASDの特徴を備えていますし…。
母の側にも何等かの不具合=部分的な知的障害の傾向があったのではないか、と思います。
そうであるとすれば、我が家の機能不全は、当然のことだったのでしょうねぇ。

両親は、結婚して子どもを持たなければ全うな生活ができないとされた時代を生きてきたワケですから、それはそれで、かなり大変だったと思います。
当時としては障害と認められない障害があったのならば、なおさら苦労も多かったかと…。
それを考えられるようになってから、AC(アダルトチルドレン)にありがちな親への恨みという感情は、無くなりました。

そして、ボケ。
これは、その人の「素」がそのまま出てしまう状態になることのように感じます。
結構残酷かも知れませんが、人生の総括をするには必要なことなのかも知れません。

両親はまだ存命ですが、亡くなった時に私の感情や彼らへの理解がどう変わるか…。
その時が来るまで、わからないことですネ ^ ^;



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