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大学卒業目前に思うこと

2月も終わりに近づき、最近は片付けに追われている。3月には住み慣れた京都を離れ地元に戻るためである。
卒業という文字がチラつくようになってから、改めて、大学に来てよかったなあと、それもひとり暮らしをしてよかったなあと感じる。
稚拙ではあるが、言葉にしてみようと思う。

大学に来てよかったと感じる理由はいくつもあるが、やはり大きいのはたくさんの友人に出会えたことだ。それも、単純に出会えた人数が多かったから嬉しかったというのではない。

大学とは、出会える人の人数が高校までとは桁違いな場所である。そんな大学に通う中で、誰と過ごしたいかを自分に問いかける機会を得た。
これはそれまで地元で幼馴染にかまってもらってばかりであった自分にとって、大きな変化だった。
それまで、特に高校時代においては、平日はクラスメイトと授業の合間におしゃべりをし、休日は部活をしていた。部活のない日こそ幼なじみとともにいたが、それも学校にいた時間と比べるとはるかに少なかった気がする。

しかし大学に来て、自分から会おうと声をかけなければ疎遠になりやすい状況を初めて経験した。すごく仲良かった人でも、3ヶ月にわたる長期休みや、講義がかぶらないという事が続くと縁が切れてしまうのである!これにはびっくり。
そりゃあ考えてみたら至極当然のことなのだけども、一緒にいられるのは当たり前のことではない。自分が一緒にいたいと感じる人には、自分から声をかけていくべきだと学んだし、それ以上に誰といたいかを考える事が大事になったのだ!

そして友人と関わっていく時間が増えるにつれて、その友人とどのように過ごすのが心地よいと感じるのかを知れた。
まず、集団で遊ぶよりは1:1で会うのが良かった。その人の話にしっかり耳を傾けられ、その人に向き合えるからだ。遊ぶだけなのに…とは自分でも思うが、大人数で長い時間いると頭がいっぱいいっぱいになってしまうから、これが良かった。

そして友達と外に遊びにいくのも好きだったが、外に行ったあとにひとり暮らしの我が家に呼ぶのが好きだった。私はコーヒーが好きだから、もしその人も好きならばコーヒーを出して、苦手ならばお茶とかココアとかを出して、なんて事ない話をする。飽きたら一緒に夕飯を作って、そのまま泊まっていくこともあった。近くの銭湯にも行った。


(↑友人と銭湯に行った時にやった告白ゲーム。
勝敗は付かなかった。)

お互いが好きなことをしながら、時間だけ共有するというのは非常に心地よかった。友人がだんだんと、我が家を自分の家のようにくつろぐようになっていくのが面白かったし、嬉しかったなあ〜。

このように、私は多くの人と一度に時間を共有するより、ひとりずつ、ゆっくり遊ぶのが性に合っているようだとわかった。

(↑大家さんの了承を得て、屋上に机を出しそこでお酒を飲むこともした。夏の暑い日。酒は総じてよく飲んだ。)

そしてここまで書いてみて思ったことは、おそらくだが私は、友人を通して自分を見ることで、自分自身を知っていけたのだと思う。

高校まではこんなふうに、自分の性に合った過ごし方について考えることなんてなかった。門限があったし部活があったし。
それが大学に来て一人暮らしをしたことで、全てのことを自分で決めるのが当たり前となった。
それは言い換えれば、自分にやりたいことを問いかけ、自分を見つめるということだとも言えるのだろう。

おかげでそれまでなかった趣味を見つけられた。
また、それまでは好きだな、いいなと感じるモノやコトがあってもそのままにしていたが、それを手元、つまり我が家に置くという習慣も生まれた(その分コーヒー道具が増えた。)

そして何より自分を見つめたことで、それまで知ることのなかった、自分の得意なことを見つけることができた。
(だって高校まで、私の得意なことは?と聞かれると国語!と答えてばかりだったのだ。毎日勉強ばかりしてたのだし、そりゃあそうならない?ならないか?笑)

これは特に我が家に来てくれた友人との会話の中で気付かされた事が多い。
おかげで、これまで不器用という言葉がよく似合う人間だと思っていた私自身のことを、苦手なものは多いけど、得意なこともちゃんとあって、得手不得手のはっきりしたデコボコ人間だと思えるようになった。まあ不得手なことはとことんなので、これには今後も泣かされることだろうけども、このデコボコさはいかにも人間くさくって、自分のことを好きになれるきっかけになってくれた。

この現象、例えるならば、(別に高校時代が楽しくなかったわけではないが、)それまで校則で禁止されていたメイクや外見に手間をかけることで、自分自身を好きになっていく感じに似ている気がする。これも垢抜けなのかなあとも思う。心の垢抜け?笑

うまくまとめられなくなってきたが、大学生活、友人を通して自分を見つめたことで、私は自分を知る事ができた。大学とは学生として勉学に勤しむ場ではあるが、学ぶものは別に科目だけに限らないのだなあ。そりゃそうか。
でも、私は親に学費を出してもらって4年間過ごさせてもらったわけだから、私がこんな気づきが得られたのは両親のおかげである。ひたすらに感謝だ。

もし私にいつか子供ができてその子が大学に行くか悩んでいたら、学べるものは学術的なものに限らないんだよと言ってあげたいし、私がしてもらったように、行きたいと言われた時は本人に金銭面を気にさせることなく送り出してあげたい。


改めて、やっぱり大学にきてよかったなあ。たくさんのことを学べて幸せだった。
こんなぼんやりした考えで終えていいのかわからないが、ひとまずこれで終えようと思う。


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