目を逸らす
「ねえ、死んだらどうなると思う?」
「そんなの死んでみないと分からないよ」
違う。
変わった味のお菓子が出て「これどんな味だと思う?」「食べてみないと分からないよ」レベルの会話をしてるんじゃない。
死について考えてしまうときは、それなりに何かを抱えているときだ。人生が、今が楽しかったらそんなこと考えたりしない。
「それって私に死んでみたら?ってこと?」
「違うよ。そういうことじゃない。でも、死んだら何もないよ。死んでるんだから。何も分からないよ。」
「そっか、魂もこの記憶もなくなるのかな。」
「当たり前じゃん。」
本当なら顔を合わせてしっかり話したいくらい私は真剣で熱が籠っているのに、この人は目も合わさず即答する。
この人は死に対して冷静すぎる。物は試しで1回死んでみたことがあるのかなとさえ思う。
私は落ち込むと死に対して考えてしまう。そして毎回この人に死んだらどうなるか?を尋ねる。このくだりもう何回目だろうか。
正直、死んでも魂と楽しい記憶だけは残ってほしい。でも、この人が言ってることは間違っていない。
死んだら魂だけ残るとか、死んだらあの世へ行けるとか。そんなのまだ死んだことない人がそういってるだけで、死にたくない、死んでも何かを残しておきたいというただの願望の現れだ。
やっぱりこの人は1回死んでみたことがあるのかな。死への考え方がプロすぎる。
人生1回目でそこまで冷静になれるわけがない。
死ぬのが怖い。死んでしまったらすべて無くなってしまうのが未だ信じられない。というか、そう思いたくない。
こんなに頑張って、生きるために身を削って、苦しい思いもして、恥ずかしさを突破して、自分じゃない人を演じて、嫌味陰口を言われて、人の目を気にして、それでも少しの楽しい瞬間のために生きてるのに。
すべて無くなってしまったら生きている意味が無い。死に向かって生きているなら最初から生きなくていい。
人間の結果はみんな死。
ということはつまり、人間はみんなすべて無くなるために生きていることになる。
それなのに夢や希望を追ってがむしゃらに突き進むなんて、なんか勿体ない。
生きなくてもいいじゃん。
1回死んでみようかな。
こんなふうにどんどんネガティブになってしまうくだりも何回目なんだろう。
この人はいつでも現実を突きつけるけど嫌いになれない。情で私に接することなく、理想と全く違う回答をするところもなぜか好きだ。
だけど、いつか「死んでも楽しい記憶と魂だけは残るかもね」と言ってほしい。
この人との楽しい記憶はたくさんある。私がそう思うように、この人にもそう思ってほしい。私との楽しい記憶を無くしたくないから「死んでも残る」と希望を持ってほしい。
でないと、この人と一緒にいる意味さえよく分からなくなる。
だから今は死から目を逸らす。死ぬために生きているという考え方から目を逸らす。
私たちは無くなるために生きているんじゃない。と、思い込むことにする。
1回死んでみたことがあるようなこの人に聞いてみた。
「死ぬの、怖くないの?」
間が空いた。
「怖いよ」
涙目だった。目は合わなかった。
※この物語はフィクションです!!!
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