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いらすとで学ぶ「失敗の本質」

1984年に初版刊行、1991年に文庫出版された「失敗の本質」という本があります。
wikipedia:失敗の本質
この本に強く感銘を受けたので、特に感銘をうけた部分について、いらすとを用いて私が理解したことを解説します。
主題は、「日本の組織の負けパターン」を描写することにあります。

# なぜ、日本は戦争に負けたのか。という問題提起

※ここは省略してもらっても構いません

いきなり、非常に重々しい話題ですね。この「失敗の本質」という本では、まさに「なぜ日本は戦争に負けたのか」という事を論じています。
このテーマは、非常に多面的なものであり、一つの根本原因を見出すという事は、おそらく事実上不可能ではないかと思います。また一方で、非常に粗い解像度で見る限りでは「中国、ソ連、アメリカといった大国を同時期に相手にすることになった」「圧倒的にリソースが足りていない中での戦争を強いられた」といった事が一義的な敗因であるように思えます。私は、いずれも正しいと思います。つまり、一つの根本原因を見出すということはできないし、一方でマクロに見たときにはリソースが無い中で大国を複数相手に戦争した、それ以上でも以下でもないと思います。
しかし、それらの理解では、なぜ 「このような形で」戦争に負けたのか、という事を説明できません。
数多くありえる敗戦のパターンの中で、なぜこのような形で日本は本土に原爆を投下されて終戦を迎えることになったのか?
例えば...
後から振り返ったときに「軍部の暴走」と言われるような状態が生まれたのはなぜか?戦中、精神論に支配されたように見えるのはなぜか?日本の情報部隊が諜報を通して知っていた情報や、彼らの指摘が軽視されたのはなぜか?世界に先駆けて海空連携攻撃による奇襲を行った海軍が、それでも大艦巨砲主義にこだわったのはなぜか?

こうした問の全てを、リソースの問題で片付けることはできません。かつ、いずれもその事実だけを切り取れば、そこに合理性はありません。

「極限状況にあって合理的な判断ができなかった」
確かにそれは、間違った判断をしたことの一つの補足にはなるかもしれませんが、その間違い方を選び取った事の理由にはなりません。

「間違い方のディテールは偶然の産物であって、それを追求する意味はない」
確かに、そのような可能性はあるかもしれません。しかし、失敗を分類したときに、類似のパターンでの誤りを繰り返しているとしたら、そこには何らかの理由があると考えるのが妥当でしょう。

その、「全ての答え」という事ではないでしょうが、しかし一定の答え"かもしれない"事を、組織論的な考察などによって示したのが、「失敗の本質」でした。
この本には、重大な事実の列挙と、それに基づいた深い考察が示されていますが、ここでは私が最も感銘を受けた部分のみを取り出します。具体的な事例や論理展開を知りたい方は、ぜひこの本を手にとってご確認ください。
ここで特に重要なことは、今後日本が世界大戦に直接的に参加することが無かったとしても、何らかの物事に対峙するときに日本が自然に取る行動パターンがかつての戦争に現れていた可能性があるということです。言い換えると、現代に至るまで、この行動パターンは繰り返されているものかもしれません。
そうすると、もはや敗戦が確定していたか否かという事は重要ではなくて、当時の軍中枢から見ても敗戦がほぼ確定していた戦争という一大プロジェクトにおいて、参画者の日本はどのようにプロジェクトを進めて、どのような失敗を経て、最終的なプロジェクトの決着を見たのか?という事が本質であるように思えます。
という事で、本題に移ります。

# 一般的な官僚組織のありかた

日本軍を組織として見ると、官僚組織としての構造を持っていました。一般的な官僚組織を、非常に雑に、かつ端的に示すと、図のようになります。

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他にも、官僚性の定義としては文書主義などが含まれるかもしれません。ここでは、厳密な定義は譲り、大枠としてこのような機能性を持った組織として考えておきます。

# 日本軍の組織

では、日本軍はどのような組織だったのでしょうか。簡単に模式化した図を示します。

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陸軍と海軍が大きく分離して存在しており、それらの上層部からなる大本営とよばれる組織が陸軍と海軍を統括するような組織構成となっていました。構成上は。
ここから先は、「失敗の本質」において明らかにされた、日本軍の組織的な問題を指摘していきます。

# 作戦目的の不一致・全体統合機能の破綻

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出オチのようになってしまいました。
陸軍の仮想敵と、海軍の仮想敵が、いきなり違っています。陸軍は、ソ連(ないし中国)を相手とした戦闘を想定し、例えば兵装も極寒の地での戦闘を半ば前提としたものを用意していました。東南アジア仕様ではないのです。
一方の海軍の主たる敵は、アメリカです。
これは最たる作戦目的の乖離ですが、他にも組織的に別物として構成されていた陸軍と海軍の間には齟齬も多く、根本的な統合機能が破綻していました。(このような構造を生み出すより深い原因については、後述します。)

# 組織内集団と、下剋上

ここで、陸軍についての掘り下げをしてみます。

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陸軍は、極端に表現すると、参謀総長および第一部(作戦部)からなる超エリートの"参謀"と、その他の非エリートの部というもので構成されていました。この線引きは、いわゆる大本営による線引きにもなっています。特に陸軍の場合は、参謀=陸軍大学校を出たエリートで構成される屈指のエリート集団でした。
第一部はエリートを集められてできたということも影響するのでしょうか、かなり特殊な扱いを受けており、組織としても閉鎖的であったと言われます。極端な場合では、第一部が作戦を検討する際、情報部門である第二部の報告を一切取り合わない、作戦策定の場には同席させない、というようなこともあったようです。
このような壁が陸軍内に存在し、既に危うい組織像となっていますが、実際には陸軍は"中央"だけではなくて、各地の現場で戦闘や治安維持活動を行っています。この現場も踏まえると、どのような組織構造になっていたのでしょうか。それを端的に示すのが、次の図です。

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この図は、ある作戦行動について、中央は止めようとしながらも、現地では率先して行われてしまったという構図を示しています。このような構図の出来事は、戦争中にいくつか起こっていますが、例えばノモンハン事件における関東軍が具体例として挙げられます。
現地の関東軍の積極派は、まともに中央に相談すると引き止められるであろうという事を認知していたため、意図してかせずか、報告を直前に行うなどの方法で無理矢理現場の思う通りに事を進めようとします。
中央側も、最終的にはこの一連の動きに反発するのですが、反発といっても「具体的な命令としては、ちょっとした制限のみ」であり、ルール上強行しようと思えばできなくもない、というような状態を作り出してしまいます。それによって、現地の関東軍は、中央から見ると勝手な作戦行動(しかし強く命令をしたわけではない)を起こされてしまうのでした。
これは、本来の命令からは逸脱した状況であり、いわば未許可の命令を実行しているも同然の状態です。はじめに提示した官僚組織の像と比較すると、階層構造が破綻しています。(これを、失敗の本質では"下剋上"と表現しています。)
そのような状況を、極めて生じやすい組織構造であった、という事が一つの問題点となります。
さて、時は流れ、計画は実行されます。

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その後、最終的にはどうなったかというと、当然ですが、現地での違法的な行動の責任の所在が問われる事となります。しかし、肝心の実行計画を主導した参謀に関しては、なんと軽い更迭程度で済ませ、その後再び軍の中枢に戻すという事を許してしまい、彼らはガダルカナル島においても再び同様の位置で参謀としての仕事をします。
これは、信賞必罰の制度の崩壊であって、さらに下剋上しやすい土壌を構築しているとも言え、一種の自殺的な行為と思われます。
この構造が生じているのは、陸軍が実際には官僚組織ではなくて、官僚組織と人的ネットワークをハイブリッドした独自の組織であったという事によります。本来の官僚組織では、明確に定義された組織の構造に基づいて指揮命令がなされるはずですが、日本軍においては、明確に定義された構造とは別に人的ネットワークが存在していました。例えば、陸軍大学校卒のエリート層というのは、そのようなネットワークの一つです。このようなネットワークが存在することによって、本来の指揮命令系統とは別の系統を通して物事を動かすことが可能になり、しかもそのネットワークを使うと上述のような責任回避まで可能になってしまうのです。
私は、失敗の本質によってこの事実を知った時に、「これは紛れもなく組織のバグである」と思いました。以下、思った事の書きなぐりをそのまま書き写します。

結局、日本のような文化(?)においては、それが学閥であろうとその他キャリアであろうとただの仲良し組であろうと、何らかの仲良し集団ができてしまったときに、情報の偏り/非対称性とかいうレベルではない下剋上が発生して、本来の組織のあるべき姿と異なる階層構造が生じる。これによって、責任も命令系統もおかしくなる、つまり組織が個人の集団になるというか、組織として成立しなくなる。ただ、完全に組織の体を為さなくなるという事でもなくて、どんな失敗をしても咎められずに上がっていくようになったり、間違った意見でも声の大きい人が勝ってしまったり、みたいなバグった状態を、形式的には組織が決定した事として継続してしまう。
これは本当にバグのようなもので、本来判断すべきでないところで判断がされる場合も含む。
つまり、この構造においては、確かに個人が間違っているだけというバグもあるが、それ以上にどんな個人でも必ずバグる場合や、本来とは異なる個人の判断が反映されるバグなどが含まれている。それらが、形式的には組織の決定として動くようになっている。
これは、だいぶ致命的なバグということ。

さて、話を戻します。上記のような話がある一方で、この指揮命令系統が"正しく"実践された不幸な場合についても考えてみます。

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これは、大本営を経由して、正しい命令系統で現地指揮官に対して指示が伝わった場合です。
ただし、この場合においても、中央と現地は情報的にも心理的にも遠く離れている上に、第一部の閉鎖性によって第二部の得ている情報が活用されないような場合が多くありました。本来は、その他の地域での状況なども総合して、現地での有効な戦術展開をサポートすることが中央のなすべきことですが、そのような総合的な知見に基づく判断・サポートは行われませんでした。これは、指揮命令の系統としてはある意味で正しく動作をしていますが、組織としての機能性が不全であったという例です。その重要な原因は、組織内での横の連携の不足・閉鎖性ということでした。
これは、もっとマクロに見れば、そもそも陸軍と海軍で作戦目的が乖離しているなど、根本的な統合機能の不足によるものとも言えます。
統合機能、階層構造、信賞必罰。この3つの要素全てにおいて破綻してしまった日本軍は、官僚組織としての形式は維持しながらも、実態はそうではない組織として活動し、そして最終的に敗北しました。

# 日本軍の"官僚組織"像

これまでの話をまとめると、模式的に以下のような組織が存在していたと言えます。

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強調しておきたいことは、これは特定個人の問題という事ではなくて、組織のデザイン的な問題であるということです。なぜこのような組織になるのか?という事についての一つのスパイラルの存在については、後ほど述べるとして、先に大戦当時のアメリカ軍の組織デザインを示しておきます。

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概ね、はじめに示した官僚組織図と変わっていないのですが、登場する人がすべて機能に置き換わりました。
もちろん、実際には組織を構成するのは人員です。しかし、アメリカ軍は人員と機能性をできる限り切り離し、なんと同じ船を指揮官の違いに応じて別の艦隊として運用するということまでやったのです。他にも、大将・中将については作戦時に都度指名する方式など、様々な場面において人と機能性を徹底して分離し、能力に伴わない属人性を極力排するという事を行いました。
これが、第二次世界大戦の勝敗を変えたかというと、おそらくそうではないのではないか、と私は思います。しかしながら、戦争以外の様々な場面において、このような組織のあり方の差が表出している場面が、我々の日常においてもしばしば見受けられるのではないでしょうか。

# なぜ、人的ネットワークが形成されてしまうのか

さて、では、なぜ日本軍では自然に人的ネットワークが形成されてしまったのでしょうか。これは、軍に限らず日本の企業のあり方にも影響を与える可能性のある、非常に深い問いであると私は思います。
まだ、それについての明確な答えを持っていないのですが、「どのようなループが形成されると、このような構造が生じるか」という事については一つの答えを持っています。それを以下の図で示します。

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これはループ構造のため、必ずしも起点がどこかにあるのかというと、わかっていません。
日本軍の場合、全体の作戦目的が曖昧/組織内の集団によっては乖離しているという事がありました。そうすると、曖昧な目標の下であっても末端の現場では日々を暮らす必要があり、ボトムアップ的な判断の必要性が生じます。その判断においては、時には報告を伴わない場合もあるでしょう。報告をしても、曖昧な目標についての進捗を誰も判断できず、無駄な時間に終わる可能性が往々にして存在するためです。
そうすると、官僚的な命令系統は状況に対して不合理的になり、上意下達ではなく、現場での判断や、仕事のできる個人が統合機能を担うような必要性が生じます。
それによって人的ネットワークが自然に生じることになりますが、それは全体の統合を一層困難にします。そうして、全体を包括する作戦目的を作ることは一層困難になり...という事が繰り返されるのです。
つまり、このような状況にあっても物事を成し遂げるための"現場の知恵"とでも言うべきものが、全体の組織構造に影響を与えているという事になります。

# 人的ネットワークは本当に悪いものなのか

さて、これまで、"人的ネットワーク"という言葉を、官僚性の中に悪い流れを産むような対象として扱ってきました。しかし、上のループの中でも微妙に触れたとおり、このネットワークはある種の最適化の賜物であって、必ずしも悪というような事ではないと私は認識しています。
ただ、組織のあり方によっては、例えば官僚制と組み合わせた場合には、時にうまくいかない場合も生じる。そういう事だと思います。

日本軍に話を戻すと、日本軍は初期は活躍することができました。これは、失敗の本質の内容を要約すると、日本軍は平時の組織・決まったことをイレギュラー無く成し遂げるという点においては優れた組織でした。例えば、兵士の練度は非常に高く、戦術レベルでは説明のつかない戦闘の勝利も見受けられましたが、そのようなあり方はまぎれもなく組織としての日本軍がもたらしたものであると私は思います。ただ、少なくとも結果的には、十分な継戦能力はなく、後日冷静に振り返る限りではおおよそ正常ではないと思われる判断も見受けられ、新たな戦争の知恵をリアルタイムに学習することもできませんでした。

この日本軍の生じ方は、おそらくは日本の企業においても一部を継承しているはずで、実際「失敗の本質」の中においても、企業のあり方について触れている部分があります。
「失敗の本質」は、1984年に初版刊行、1991年に文庫出版された本です。
その本の中に、以下のような一節があるので、敢えて「人的ネットワーク」に関する功罪は述べずに、引用してお茶を濁します。これは、高度経済成長を踏まえて、1984年の時点での"今後"について言及したものです。当時から36年が経過した今、その"答"はどうだったでしょうか?
(この記事では成功体験の固定化のメカニズムや継続的組織学習・学習棄却の話について言及していないので、若干意味不明な部分があるかもしれませんが...)

(略)高度情報化や業種破壊、さらに、先進地域を含めた海外での生産・販売拠点の本格的展開など、われわれの得意とする体験的学習だけからでは予測のつかない環境の構造的変化が起こりつつある今日、これまでの成長期にうまく適応してきた戦略と組織の変革が求められているのである。とくに、異質性や異端の排除とむすびついた発想や行動の均質性という日本企業の持つ特質が、逆機能化する可能性すらある。
 さらにいえば、戦後の企業経営で革新的であった人々も、ほぼ四〇年を経た今日、年老いたのである。戦前の日本軍同様、長老体制が定着しつつあるのではないだろうか。米国のトップ・マネジメントに比較すれば、日本のトップ・マネジメントの年齢は異常に高い。日本軍同様、過去の成功体験が上部構造に固定化し、学習棄却ができにくい組織になりつつあるのではないだろうか。
 日本的企業組織も、新たな環境変化に対応するために、自己確信能力を想像できるかどうかが問われているのである。

# おまけ

最も感銘を受けた部分はこのあたりですが、他にアジャイルやスクラムなどと絡めて思うことや、WHO YOU AREという海外の革新的なVCの設立者(かつ、ベンチャーを1500億円でhpに売り抜いた)の本と絡めて思うことなど、いくらか表現しきれていない事もあります。それは、そのうち気が向いたら書くかもしれません。

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