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舞台「ねじまき鳥クロニクル 2023年版」@プレイハウス 東京公演初日 観劇感想

人は、身近な人ほど、その存在の大切さを忘れがちになるものなのかもしれない。そのことに永遠に失いそうになって、初めて気付く。

村上春樹作「ねじまき鳥クロニクル」を原作とした『舞台「ねじまき鳥クロニクル」』が、2020年の初演から3年の月日を経て、2023年11月東京芸術劇場プレイハウスにて、再び上演されています。
この3年間の間で、世界中に感染症が広がり年齢や国を問わず多くの方々が犠牲になったり、ロシアウクライナの戦争やガザ地区での紛争、長期にわたる難民問題、そして大国の自国主義と国連の弱体化、気候変動などの諸問題が積み重なり、この3年間で、現実の世界は物語の中よりも残酷になってしまったようにも感じます。
そうした社会情勢の中で、人類のクロニクル(年代記)を振り返り、歴史の中に点在する人間の中の憎悪や支配欲、残虐性や排他主義など、争いや災いの種となるものと立ち向かう為に、人には何が必要なのか?、そのことが身につまされる、そうしたものが舞台上に立ち上がったのが、2023年度版の舞台「ねじまき鳥クロニクル」なのではないか?と、初日の舞台を拝見して感じました。

個人的には、演出・振付・美術を担ったインバル・ピントさんや脚本・演出を担ったアミール・クリガーさん達の想いが、原作や初演の過程を経て、より鮮明にその姿が現れたのが2023年版かと思いますし、その公演初日は素晴らしいスタートだったと思います。
公演詳細や関連動画の後に2023年版初日の観劇感想を書きましたので、2023年版や初演を御覧になった方々などが御一読頂けましたら嬉しいですし、原作ファンの方々が興味を持って下さって「さて観てみようかしら」と脚を運んで下さったら、この上もない幸せです。


原作:村上春樹
演出・振付・美術:インバル・ピント
脚本・演出:アミール・クリガー
脚本・作詞:藤田貴大
音楽:大友良英
照明:ヨアン・ティボリ
音響:井上正弘

出演
<演じる・歌う・踊る>
岡田トオル:成河/渡辺大知
笠原メイ:門脇 麦
綿谷ノボル:大貫勇輔/首藤康之(Wキャスト)
加納マルタ/クレタ:音 くり寿
赤坂シナモン:松岡広大
岡田クミコ:成田亜佑美
牛河:さとうこうじ
間宮:吹越 満
赤坂ナツメグ:銀粉蝶
<特に踊る>
加賀谷一肇
川合ロン
東海林靖志
鈴木美奈子
藤村港平
皆川まゆむ

渡辺はるか
<演奏>
大友良英
イトケン
江川良子

公演期間
2023.11.07~2023.11.26(@東京 全24公演)
2023.12.01~2023.12.03(@大阪 全4公演)
2023.12.16~2023.12.17(@刈谷 全2公演)

上演時間:3時間(途中休憩15分含む)
     (1幕90分 <休憩> 2幕75分)



舞台「ねじまき鳥クロニクル」2023版 舞台映像ダイジェスト


舞台「ねじまき鳥クロニクル」2023版 PV


舞台「ねじまき鳥クロニクル」稽古場@2023 インタビュー映像


舞台「ねじまき鳥クロニクル」2020版 PV


その他の関連動画はホリプロステージさんの下記サイトから御覧下さい。



以下、作品の内容に触れています。
舞台未見&原作未読の方は、御注意下さい。


あらすじ

岡田トオルは妻のクミコとともに平穏な日々を過ごしていたが、猫の失踪や謎の女からの電話をきっかけに、奇妙な出来事に巻き込まれ、思いもよらない戦いの当事者となっていく――。


物語は、静かな世田谷の住宅街から始まる。主人公のトオル(成河/渡辺大知)は、姿を消した猫を探しにいった近所の空き家で、女子高生の笠原メイ(門脇 麦)と出会い、トオルを“ねじまき鳥さん”と呼ぶ少女と主人公の間には不思議な絆が生まれる。赤いビニール帽子をかぶった“水の霊媒師”加納マルタが現れ、本田老人と間宮元中尉によって満州外蒙古で起きたノモンハン事件の壮絶な戦争の体験談が語られる。

そしてある日、妻のクミコが忽然と姿を消した。クミコの兄・綿谷(わたや)ノボルから連絡があり、クミコと離婚するよう一方的に告げられる。クミコに戻る意思はないと。だが、クミコ失踪の影には綿谷ノボルが関わっているのではないかという疑念はしだいに確信に変わってゆく。トオルは、得体の知れない大きな流れに巻き込まれていることに気づきはじめる。

何かに導かれるように隣家の枯れた井戸にもぐり、クミコの意識に手をのばそうとする主人公トオル。世田谷の路地から満州モンゴル国境まで、クミコを取り戻す戦いは、いつしか時代や空間を超越して、“悪”と対峙する“ねじまき鳥”たちの戦いとシンクロする。暴力とエロスの予感が世界をつつみこむ……。
はたして、“ねじまき鳥”はねじを巻き、世界のゆがみを正すことができるのか? トオルはクミコを探し出すことができるのか――。笠原メイとふたたび会えるのか。

ホリプロステージ 公式サイト STORYより引用

以下は、観劇感想です。
作品の内容に触れていますので、未見の方は御注意下さい。
また、個人の感想です。


2023年11月7日ソワレ 初日 観劇感想

(1)ファーストインプレッション

舞台「ねじまき鳥クロニクル」再演、終演直後の第一印象。
今回の再演は、(岡田トオルとクミコの)二人の間の愛情が作品を貫いてるんだな。そう直感しました。

二人の家の愛猫、サワラちゃん(元ワタヤノボル)。
この猫はネコであって猫ではない、というと謎かけのようですが、岡田トオルとクミコ夫妻の間にある、互いの愛情だったり、相手を大切に思う想いだったり、そういう目には見えない感情の具現化なんですよね。
(なので、クミコは猫がいなくなった時、私にとっては大切なモノと言う)
二人が一緒に暮らし始め、互いの大切さが生まれてきた頃からフラっと家に現れて飼われるようになり、クミコと彼女の兄の間が変化したことをきっかけに猫は消え、その後クミコも姿を消します。

岡田トオル(渡辺大地さんの方)は、性質として本来、とても穏やかで、妻クミコのことも愛してるし、彼女の意志も尊重している人なんですよね。
クミコが妊娠し「産むか堕胎するか」という問題が生じた時も、渡辺さんのトオルは、妻クミコの体を気遣い、彼女の選択を尊重するよ、と言う。
一方、妻のクミコもまた夫トオルを気遣い、彼が判断に関わる事で、この先に自責の念を抱えてしまうかもしれないことを恐れ、自分だけの判断で堕胎を決断し病院で処置してしまう。渡辺さんのトオルにとっては寝耳に水のことで、既に終わった事として報告されたことに(自分の子供だと信じているので)複雑な想いを抱くけれど、妻の判断を尊重するという「夫としてあるべき姿」で自分の感情をねじ伏せる。
妻クミコには、自分が妊娠した子供が、本当に夫トオルの子供なのか、確信が持てない。それは聖母マリアの妊娠のような、現実的には「ありえない世界」の、言葉で説明も出来ない、理解もされないであろう可能性があって、夫にも話せない状況が彼女を苦しめる。
互いに互いを想いながら、二人の間の溝が深まっていく。

その後、増々強まる兄ノボルの影響。
作品の表層(皮膚の部分)では、夫と妻と妻の兄という関係性なのだけれど、「ワタヤノボル」という存在もまた、その下のレイヤーでは一つの概念として描かれていますよね。
例えば、ヒットラーやスターリンのように、世界の歴史の中には人心を掌握し、社会を残虐非道な方向に向けてしまう人間が出てきます。
人間の心の中には誰にでも、深い底の部分に、他人への憎悪や残虐な部分などが沈んでいて、普段はそれが表に現れないように人々は自分の良心や愛情で心の闇の部分に蓋をしているけれど、ヒットラーやスターリンやワタヤノボルのような人間は、心の闇の蓋を閉めているネジを緩めてしまうことに長けている、そうした存在なのかもしれません。
一方、岡田トオル(成河さんの方)という存在は、そうした「悪を操る力」を持つ人間とは真逆の「人を癒す力」を持つ側に属していて、「悪を操る力」を持つ綿谷ノボルにとっては排除したい存在なんですよね。

兄綿谷ノボルの力が強大になるほど、夫が自分を探し出し救おうとするほど、夫は危険にさらされる。
そのことを恐れ、心配し、自分の事は忘れて欲しいと妻クミコは願う。
その一方で、心の中では、この世界から救い出して欲しいと願ってしまう。
妻クミコの中の矛盾(本心)に気付き、彼女を救う決心をするトオル(成河さんの方)。
ここでも、夫トオルと妻クミコの間にあるのは、互いに対する思いやりなんですよね。それは「夫」とか「妻」とか「夫婦だから」という形骸からのものではなくて、心から相手を大切な存在だと思っている想い。

劇中では、岡田トオル(成河さんの方)の戦いによって、演説中だった綿谷ノボルは脳溢血を起こし病院に搬送され、妹であるクミコは、もう二度と兄に自分が利用されないように、自分の人生をかけて、兄の命を奪う(=病室で、生命維持装置を外す)。
その事は現実社会の中では殺人行為なので、自分が夫トオルに関わる存在であることは夫トオルの生涯を不幸にしてしまう。それを避けようと、彼女は自ら出頭し罪を認め服役を希望し、自分の事は忘れて欲しいと願う。
戦いを経た夫トオル(渡辺さんの方)には、妻クミコの気持ちが痛いように解るのでしょう。そこには(何でだろう・・・?)と妻の失踪を悩んでいた岡田トオル(両方)の姿はありません。強く、妻クミコのことを想い、彼女が戻ってくる時を待つのですよね。

この作品の中で、表層の事件と違う、奥深くのレイヤーで語られているのは、どうしようもなく人間という存在が抱えている「悪」というもの。
無くすことは出来ないけれど、人が人を想う、大切な人を大切なんだと認識する、同時に自分にとって大切な人がいるように、自分とは相いれない人達が居たとしても、そうした人達にも同じように大切な人達が居て、そうした存在を想像し、互いの共存を図っていくことこそが、「ネジを巻く」ことなのだと、語っているのではないでしょうか?

そう「想像出来る」ように、「想像力を呼び起こす」ものが演劇ですよね。
インバルさんの作品には、観る人の想像力が呼び覚まされるパワーがありますし、そこにあるのは託された自由です。彼女は「こう見て」とは言いません。そこに何を観て、想い、考え、何を見つけるのか?は、観客自身です。

不思議な女子高生、笠原メイちゃん。
彼女が井戸の底の岡田トオル(両方)に対して「考えなさい!」と怒ってしまうのも、ハシゴを外してしまうのも、彼女の中の淡い想いなんじゃないかなぁ・・・と思います。でも、岡田トオルには、妻が居て、その妻は失踪してしまい、夫である岡田トオルは理由がわからずイジイジしているけれど、ふと見れば妻ではない女性と自宅で不倫している(ように見えたんでしょうね)。
そんな男への淡い想いを断ち切ろうと、自ら遠く離れた鬘工場に行ったけれど、心の中では、ついつい岡田トオルに話しかけてしまう。それがあの、ポストカードの場面なんじゃないかと。実際に、ポストカードを投函してるわけでも、届いたわけでも、多分、なくて。
彼女は彼女なりに、そうやって自分の中の想いと向き合っていたのかなぁ?と、思いました。何となく切なくなる、誰にでも記憶があるような、そうした場面でしたよね。

日本は偶々、地理的に四方を海に囲まれ、世界の火薬庫と呼ばれる中近東地域とも地理的に離れているし、ロシアウクライナ戦争が勃発している地域とも地続きではないので、どうしてもそうした事態から離れている(=安全)のように勘違いしてしまうけれど、実際には無関係ではいられないし(輸入とか関わり合いますからね)、台湾等の有事が起こったら、すぐそこに我が身の危機が起こるわけで、平素からそうした「戦いを防ぐ」為に何が必要なのかという人間の在りようについて考え続けることは、とても大切だと思うんですよね。
そうした歴史を背負う国に生きるインバルさん達と同じような感覚を持てるとは思えないけれど(それは驕りなので)、少なくとも「考えよう」とすること、共に「考える」ことは、世界中の人々がしなければいけないことだと、私は思います。

(2)原作と舞台の違い

小説の舞台化というと、一般的には原作に忠実に行われるのかな?と思われる方々が多いかもしれません、が、初演及び今回の2023年版『舞台「ねじまき鳥クロニクル」』は、(原作を読まれた方々は御存知かと思いますが元が3部作からなる長編小説なので)原作の中から小説のエッセンスを抽出し、なるべく言葉を刈り込んで、生まれた余白部分をコンテンポラリーダンスや音楽、美術や照明などを使って、イメージ豊かに立ち上げる。言外での表現に委ねる。そうした表現手法になっています。上に貼ってあるダイジェスト動画を併せて御覧頂くとイメージが伝わるかと・・・。

小説を読む時って、自分の脳内にイメージが沸きますよね?
でも、それは自分の脳内だけに在って、絵とかで自分の外に出さない限り他の人達とは共有出来ないけれど、舞台にはインバル・ピントさんの脳内にある「ねじまき鳥クロニクル」が具現化されていて、まるでインバルさんの脳内に入ったかのようにその世界を見渡すことが出来るんです。
そうして、劇場という空間の中で同じ時を過ごしインバルさんの脳内を劇場中の人達全員で共有する時、そこには様々な想いが(見えないけれど)客席上空に溢れてきているんだと思います。それが出来るのが、演劇の、舞台の、面白さであり、凄さですよね。

その先で、劇場を後にした日々の生活の中で、今まで見てきたニュースが違って聞こえるかもしれません。何故そうなってしまうのか、人間の業について想いを馳せるかもしれません。そうならなくても、その時は一過性に終わったとしても、無意識下に何かが残り、数年後、ふと何かをきっかけに考えが深まったりすることがあります。そうした思考の糧になりうる作品ですし、それは演劇の特異性です。

(3)初演から再演への変化

先ず、大きく変わったのは、初演の時にあった小説の中の言葉の量です。
インバルさんとアミールさんは英語に翻訳されたねじまき鳥から小説に接してらっしゃるので、インバルさんの脳内に浮かび上がった「ねじまき鳥クロニクル」を原作のテイストを損なわないように日本語で再構築なさった藤田さんは、実は、とっても大変だったんじゃないかなぁ・・・と勝手に拝察してますが、初演と再演を拝見して、その「日本語」としての小説のエッセンスの抽出の仕方の見事さが(再演では、ほんと、言葉をぎりぎりまで刈り込んで、でも大切なものは失わず、余白をダンサーさん達や演者さんたちの表現に委ねていらしゃったので)凄いなぁ・・・とも思いました。そこまで思い切れたのは、初演があって、互いの世界への理解や信頼が生まれたからなのかなぁ・・・とも勝手に拝察しています。再演だからこそ出来た世界でした。

あと、具体的には、演出も結構変わっています。
同じ場面があっても、見せ方が変わっていますし(首吊り屋敷の場面、過去に亡くなった幽霊達の出てき方wが違います)そうした部分が結構沢山あったり、上記に書いたように日本語の表現も変わり、プールの場面は美術ごと変わっています。
また、演者さん個人個人の工夫があったり、今回から参加なさっている首藤さんや音さん自体が持っていらっしゃる特性によって変わっている部分もあるように思います。
そういう意味では、「同じことを繰り返す再演」ではなく、新たに「舞台ねじまき鳥クロニクル」に向き合い直す、そうした再構成(リ・クリエイション)が大きく行われた今回の再演ではないでしょうか。

(4)こうした観劇感想を書く理由

理由は、いくつかあります。
先ず一つは、私は自分の想ったこと感じたことを言語化することが苦手です。でした、かな?習うより慣れろで舞台観劇好きだったことを活用し、観劇感想を言語化するようになり、今でも下手だけど苦手意識は薄れました。
もう一つは、今回の作品に関わらずですが、客席からしか観えないものって、あるんですよね(物理的な話ではなく)。どう作品を受け取ったか?を含めて、創作側からは知り得ないことが。それこそ、多分、観客の数ほど、あるんですよね。
もし、自分が面白い作品だったなと思ったら、それを言語化し、共有出来る形で、創作側の方々に返礼するしか(簡単に言うと、観劇アンケートに答えるとかと同じ感じです)、創作に関わった方々に「ありがとう」を伝える術は無いし、こういう風に感じた人間も居たんだな~と伝わることがあったら、それが何かしら、努力の報われ方のほんの一片にでもなったら、嬉しいですしね。

今回の演出・美術・振付を担当なさったインバルさんの作品を通して、トークショーなどの機会に彼女の御話を何度か伺う機会がありましたが、彼女が繰り返して語っていたのは、『自分の創作意図はあるけれど、それを(トークショーなどの場で)語ることで観客の想像力を狭めたくない』という想いでした。何度となく伺う機会があったので、本当にそう強く思ってらっしゃるんだと思います。
その時に、想ったんですよね。
彼女の考えは、観客一人一人が、自分の想像力や思考力から生まれた観劇感想を持っているはず、という大前提があるのだと。
ならば、そうありたいと、改めて思った機会でもありました。
自分の想像力を糧に、作品の奥深くに入り込み、思考したものを自分の言葉で表す。自分には出来ない解らないと逃げだしたり、誰かの、それっぽい上手い言葉に便乗するのは楽だけれど、それは「創った人々」の結晶に対して誠意あることでは無いんだろうなぁ・・・と思うので、言語化として上手い下手とか関係なく、自分の想ったこと感じたことを自分の言葉で落とすことを(ほんと上手くならないけど)諦めたくないなと思っています。

(5)これからに対する想い

再演初日を見終わって、この3年間は、無駄ではなかった。その想いを強く持ちました。
世界中でそうだったかと思いますが、ロックダウンをはじめとする日常生活の変化があったり「人が集まる」ことが大前提の「演劇」は何の為にあるのか?ということを考えざるを得なくなったり、しましたよね。

でも、悪いこと、失ったことばかりでも、無かったんじゃないかと思うんです。自分や、社会や、人類にとって「大切なもの」だと再認識したからこそ、その生かし方、後世への残し方について考えるようになりました。
自分の好きだったジャンルだけでなく、知らない表現者の作品にも脚を運ぶようになり、色々な世界、色々な美しさや豊かさ、演劇を通して思考することの面白さを知りました。日常や世界が変わっていく、そうした、ある種、追い込まれた状況だからこそ、人は変わっていく、そういうことがあるんじゃないか?と思いますし、それは自分のこの3年間だけでなく、劇中の岡田トオルも、そして、この作品に初演再演問わず関わられた皆様にとっても、この3年間があっての、この「再演」であり、これだけの初日スタートがきれた原動力ではなかったのかな?と、思います。

せっかく、良いスタートがきれた作品ですので、最後まで、悔いが残らぬよう、全員揃って、大千穐楽まで駆け抜けて下さったらいいなと、心から願っています。東京公演初日、誠に、おめでとうございました♪



2023年11月11日ソワレ
ねじまき音楽教室(ミュージシャントーク)レポもどき

(1)概要

11月11日(土)ソワレの終演後、演者の御二人とミュージシャンの御三方で「音楽教室」と銘打ったトークショーが開かれました。
登壇者は、下手(舞台に向かって左手)から、岡田クミコ役の成田亜佑美さん、ミュージシャンの江川良子さん、大友良英さん、イトケンさん、そして岡田トオル役の成河さん(MC兼任)。
ミュージシャンの方々はそれぞれに楽器を沢山持ってきてくださって。
 成河さん「そんなに楽器どうしたの?(※ニュアンスです)」
 大友さん「音楽教室って書いてあったから」
確かに(笑)、ですよね。
偶々、その日は綿谷ノボル役を演じられた首藤さんの御誕生日だったらしく(おめでとうございます♪)、せっかく楽器を持って来られたことだし客席と一緒にハピバソングでも?という話になりかけたものの、首藤さんは登壇していらっしゃらないので(今から呼び出せないし)、ミュージシャンの御三方が劇中の「ポストカード」という曲からのハピパっぽいメロディーに変わっていくという流石の即興ミュージックを、江川さんがソプラノサックス(かな?たぶん)、大友さんが何故かバンジョー(笑)、イトケンさんが何の楽器を持っていらっしゃったのか残念ながら私の席からは見えなかったんですが、御三方で奏でてくだり、皆で御祝いさせて頂きました(^^)

(2)トークレポもどき

一言一句覚えてはいないので、こうした御話があったかな?という感じの、ニュアンスと思って御読み頂けましたら幸いです。順不同の羅列ですみません(^^;

★ミュージシャンの方々、毎回、ちょこっとづつアレンジを変えて演奏をなさっているそうで、やっと最近になって舞台上を見ながら演奏する余裕も生まれてきたそうな。

★舞台の冒頭、ミュージシャン(役柄の方、成河さんが演じてるギターケース持って出てくる場面)の出は、大友さんの即興率が高く(笑)、成河さんは(今日は大友さんどうやってくるか)とドキドキ楽しんでらっしゃるそうで、他の現場(ミュージカル界かな?)だったら「いや、ちょっと・・・」と言われちゃうと思うけど、成河さんは楽しいらしい。

★同じようにオークションの場面も日替わりで?アクセントかえてたら、あの場面はダンサーさん達の振付もリピート部分が多いので、ダンサー達が困った様子で大友さんに相談しに来られたそうで、大友さんの所にいらっしゃる前にダンサーさん達の中でも悩まれたんだろうなと思うと申し訳なかったなと反省の大友さん。

★初演の時から相当な数の楽曲を作ったけれど、その9割はボツになったらしい(ひゃ~)。大友さんはボツになったものは捨てちゃう派だけど、イトケンさんはiPad(かな?)の中にちゃんととってあるそうで、初演の時の「ミュージシャン」の場面の曲(その時は成河さんが歌ってたらしい)を少し御披露目して下さいました。
歌詞が多く、全部で6分くらいの曲になっちゃって、しかも曲調が平坦なので、オープニングなのに盛り上がらない(笑)などの理由で?ボツに。その時が大友さんと成河さんの初顔合わせだったそうです。

★初演の時の音楽作りは、稽古が始まる前にネットでインバルさん達とのやりとりもあったけれど、実際には稽古場入りしてから、大友さんが土台を作った音に対してイトケンさんや江川さんと相談しながら創っていった感じらしい。稽古場で、インバルさんとアミールさんが大友さん達の場所に近づいてきそうになるとミュージシャンの御三方は(やばい、やばい、ダメだしが来る・・・)と囁きあっていたそうです(笑)

★登壇の中で演者側は成河さんと成田さんの御二方なのだけれども、劇中、成河さんが演じる岡田トオルは妻のクミコと一度も目を合わせることさえ無いらしい。確かに、そっちが渡辺さんですよね。

★バックヤードの方に、上演中、出番じゃない演者さんが舞台を観てる場所があって、このトークショーの時も間宮少尉を演じてらっしゃった吹越さんが聞いてらっしゃったようです。

★(たぶん、ホリプロさんから頼まれた)MC成河さんから物販の販促。
インバルさんが稽古休みを返上して?書いて下さった絵をデザインしたTシャツ(二人のトオルの場面で、渡辺さんと成河さんに似てるんですよ)と靴下を御披露目(着てらっしゃったので)。
江川さんのCDも物販で販売しているそうです。大友さんとイトケンさんのCDはアマゾンとかで検索して下さい@大友さん(笑)
※余談ですが、猫のサワラちゃんのイラスト缶(中身はレモンドロップです)がとても可愛いです。缶もパチっと蓋がしまる感じが気持ちよくて。個人的なオススメグッズです。

舞台「ねじまき鳥クロニクル」グッズ レモンドロップ

★U(アンダー)25のチケット(25歳以下の方は証明書さえあればどなたでも手頃な価格で舞台を御覧になれます。今回、一般価格は10800~11800円のところ、6500円。)のオススメが成河さんからありまして、御自身でも親族の方々にプレゼントなさったそうです。ネットでポチっと、各プレイガイド、東京芸術劇場チケットセンター、ホリプロオンラインチケットで、ほぼ、全日程、購入出来るそうです(ホリプロさんが一番、残席が多く選びやすいかな・・・)。

★今回、ミュージシャンの方々は他の現場(コンサートとかライブに比べて)かなり小さい音で演奏なさっているそうです。その分、音響さんが上手く調整して下さっているそうで。
 大友さん「コンサートよりずっと音ちいさい」
 成河さん「コンサートじゃないから」←速攻のツッコミ
初演を経ての再演とあって、大友さんと成河さんの気心知れた感が。


他にも何かあったような?感じもするんですが、当初予定の15分が経ったところで電話のベルが(時間ですよの合図)。ですが、MCが成河さんなので(恒例で伸びます笑)

あまりにナチュラルに登壇の皆様が御元気なので帰宅してから気付いたんですが、この日、昼夜2公演あったので、各3時間×2公演の計6時間、演じてたり演奏なさってたりしたわけですよね?(でも元気)パワフルだな~っと感心しきり。

あ。
トークショーの中の話ではないんですが、個人的な疑問があって。
牛河とトオルとサワラちゃんの場面で、サワラちゃんが相槌を打つように「にゃー(かな?)」って泣くんですけど、あれ、何の楽器からなんでしょうね?
サワラちゃんが鳴く時にミュージシャンBOXの方を見てみてるんですが、暗いし手許も見えないので、未だに判らず。シンセサイザーですかね・・・?