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宿題を廃止すべき理由(3/3)

 「働き方改革」の名のもとに、各自治体や学校では業務の削減、見直し、改善がなされている。ICT環境も整備され、より効率的に業務にあたることができてきている。勤務時間内にできる限りの業務を行い、退勤時刻以後は自分の時間を大事にしよう、そんな雰囲気が高まってきている。自分の時間の使い方は自由である。ちなみに僕は、自分の時間を学びの時間として一定時間を費やしたいと思う。自主研修を開催し同僚と学び合う、本を読む、動画を視聴するなど、自己研鑽を積み重ねたいと考えている。

 その自由な時間に、あれやれこれやれと仕事を課してはならない。もちろんやらなければならないことはあるが、それは期日までに自分で計画的に取り組めばよいのである。強制されることではない。

 文部科学省や教育委員会等にお願いしたいことは、やらされ研修を廃止し、一人一人の教員に学びを委ねてほしいということである。形だけの研修は学びではない。研修を「与えている―与えられている」ようでは本来の学びとは言えない。

「働き方改革=学び方改革」である。

 教師にとっての退勤時刻を、子供たちにとっての下校時刻として考えてみる。教師にとって退勤時刻以降が自分の時間であるならば、子供にとって下校時刻以降は子供自身の時間である。その子供自身の時間は子供自身が決めていいはずだ。あれやれこれやれと強制されるものではない。しかし、これまでずっと強制してきた。それが「宿題」である。子供自身の大切な時間に、宿題を「与え」続けてきたのである。教師に当てはめると毎日、勤務時刻以降に、強制的な仕事を与えられているということになる。

 子供たちにも働き方(学び方)改革が必要である。下校後は、自分自身の時間を有意義に使ってほしい。スポーツ等習い事に熱中する、youtube動画を見る、ゲームをする、野を駆け回る、おじいちゃんと畑で作業する、絵を描く、思いっきり充実した時間を過ごしてほしい。そして、できれば家族そろって食事をし、気持ちよくたっぷりと寝てほしい。宿題があるから自分の時間が減っている。習い事がある子供は睡眠時間を削って宿題をしている。宿題に時間がかかり、自分のやりたいゲームをしようとすると寝る時刻だからといってさせてもらえない。隠れてこそこそゲームをする子供もいる。また、宿題をしない子供は親や教師から怒られる。与えられたものについて叱責を受けるほど苦痛なものはない。

 宿題で管理され続けることで、学ぶ意義がわからない、学ぶ楽しさがわからい、自分のやりたいことを見つける時間がない、そんな悪循環に知らず知らずのうちに陥っているように思う。

 一日の過ごし方は、大人も子供も本来同等に考えるべきである。働き方改革だといって、大人が自分たちの業務を見直しているのであれば、子供の業務も見直さなければならない。

 以上が、僕が考える宿題を廃止すべき理由である。大人も子供も、自分の大切な時間を自分のために使うことができるように、みんなで改革意識をもちたいものだ。と、今は思う。

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