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はじめる春。

早朝の空が青くなってきた。
空の黒はもう遠い昔のことのようだ。
街並みがピンクや黄色に彩られる日も決して遠くない。
そう、もうすぐそこまで来ているのだ。

春。

やわらかな温かさは、はじまりの季節にふさわしく穏やかでゆるやかだ。
いつもは固い葉に覆われ、シャキシャキした食感が瑞々しいキャベツでさえ、この季節ではやわらかくしなやかになる。蒸した春キャベツにオリーブオイルを軽くかけ、あとは好みで鷹の爪でも添えれば、それだけでもう充分で、気分もあがる。

春。

芽吹きの季節。
ものごとの切り替わる季節。
出逢いと別れの季節。

春のもつ表情が好きだ。

小鳥のさえずりが私の中のスイッチを押す。
毎年のように繰り返される気づきの儀式。
温かく優しく、慈愛の厳しさを秘めた春の贈り物だ。
それは向き合い続けたことのみに許される神秘でもある。

『手放すこと』

私の春はここからはじまる。

大切にしてきたものを手放す。
離れていくというのとはちょっと違っていて、そこは明確に手放すという意思がある。

執着。

「ああすればよかった、こうすればよかった」がたくさんたくさん積み重なった。
塵も積もれば山だ。一年間で積み重ねたものは重い。
気づくと心の宝箱は重ねた思いでぎゅうぎゅう詰め。
いつの間にか「ああすればよかった」は「ああしたかった」になり、「こうすればよかった」は「こうして欲しかった」になった。そして、じわっと私の中に浸み込んだ。

期待や願望が生みだした後悔。それも執着。

手放せば、もうずっとかなわないことになってしまいそう……
だから大事に大事に秘めてしまう。

思いは重ねると辛くなる。
わかってはいるが、自分の限界すれすれまで重ねてしまう。
そう。苦しくても辛くても。
味わえるだけ味わい尽くしたい。

なぜって、それは自分自身の可能性に対する期待なのだから。

そうやっているとだんだんわかってくることがある。
「その可能性を紡ぐのは私じゃない」
「私よりはるかに実現できる誰かのために私は手放さなければならない」

そして、もはやそれらの思いを抱えきれなくなった自分を認めること。
そして、そんな自分を「よく頑張ったよ」と自分が褒めてやること。
そして、「もう十分だよね」と手放すことを自分に許可すること。

最期まで諦めずに向き合い続けたのだ。
心が厳しい冬のように冷え込んだ時でも守り続けた思いの数々。
自分自身への可能性に期待し、挑戦を諦めなかったこと。
どれもこれも尊いことだと自負していい。

そんな厳しい心の冬でさえ乗り越えてきたのだから。

寒さは人の心を育てる。
寒さは本当に守りたいものを気づかせる。

冷めたわけじゃない。
決して不要になったわけでもない。
大切なものであることに変わりはない。
だけれども、もうその期待や願望を抱くのは私ではない。

手放すことからはじまる春。

感謝を込めて優しく丁寧に開放していく。
分けて離し、離したものを放す。
そうやって、またひとつ階段をあがるように心を育てていく。

手放した執着は、心の宝箱に充分なスペースをつくってくれる。

ひとつ階段をあがったところから見える世界で、私はまた新しいものと出逢う。
そしてまた、思いを重ねていく。

ピンクが地面に広がる頃、私の新しいストーリーはもうはじまっている。

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