【エッセイ】ひとりだけシラフで取り残される悲しみ

私は酒に強くない。

厳密にいうと、ハイボールなら2〜3杯飲める。体質に合っているのだと思う。

その他の酒を飲むと、頭痛と吐き気を催し、動悸が早くなり体を起こしていられなくなる。

となると、
ハイボールは体質に合っている=ハイボールでは酔わない
その他の酒を飲まない=酔わない
という図式が私の中で成立する。

だから、飲み会が苦手だ。
酔えないからだ。

ちなみに、飲み会の勘定を飲む人も飲まない人も割り勘するというのは意外と気にならない。

なぜなら、飲む人が酒を飲んでいる間、私は信じられない量の料理を食べるからだ。

悲しいのは、飲む人は一歩ずつ「向こう側」の世界に歩を進めていくのに、私はずっと「こちら側」の世界で足踏みすることだ。

私はふわふわと楽しい「向こう側」に行ったことがない。

まあ、人によって酔い方に違いはあるのかもしれないが、基本的には酔うと頭が働かず気が大きくなり、些細なことにも感情が動かされるようになるのだと認識している。

それは体面を取り繕う必要のない「向こう側」の世界なのである。

「向こう側」の世界へと旅立った人に調子を合わせるのは至難の業である。

「こちら側」にいても、酔った人に合わせてチューニングし、言動を変えられる人もいると思う。

立派だ。

私には無理だ。

普段から自意識過剰で体面を気にする性質だから、酔わずに「向こう側」になど行けるわけがない。

そういうわけで、飲み会に酒が飲めない人は私だけ、という状況になった場合、私は指をくわえて「向こう側」に飛び立つ人たちを見送るしかないのである。

同じ空間に集まっているのに、私以外誰もそこにいない。

これを悲しみと言わずして何と言うだろうか。

近年、疫病により飲み会に行くことはかなり減り、そもそも友達も少ないので今後飲み会に行くことはほとんどないと思われる。

でも、正直助かる。
ぽつねんと烏龍茶を啜りたくはない。

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