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今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』と「ことばと身体」について

 すっかり積ん読が増えておりますが、やっと『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書)読了しました。…いや、面白かった。言語に興味のある方、ものを書くのが好きな方にぜひお勧めしたい内容です。

 こちら、yamaneさまのレビューを読み、これは面白そうだな、と入手した一冊です。

 言語とは何か、という壮大にして難解な問いに迫る豊かな内容をまとめるのは容易ではないので、総論はぜひyamaneさまの明晰極まるレビューをお読みいただきたく(←丸投げ)。
 私の偏った関心から、少々長いものの感想を書き殴ってみたいと思います。

 本書を読む際にもっとも知りたかった点は、「ことばの理解には身体的な経験が必要なのか」という議論(言語学においては、これを記号接地問題と呼ぶそうです)。
 私は江戸期を舞台にお話を書いているわけですが、時々思うのです。「この時代に生きてもいなかった人間が、果たして小説など書けるのか?(実際書いているわけだけれど)」あるいは、「どういうわけか、この時代にそれほど違和感を覚えないのはなぜなのか?馴染みのないことばも理解できるのはなぜなのか?これは単に想像力のなせる技なのか?」
 ファンタジー、SF、ミステリーも、考えてみれば時代小説と条件はそれほど変わらない。いえ、物語というものはすべからくそういうものなわけです。
 それでも時代考証にはできるだけ時間を割くし、政治社会風俗の基本的なところは押さえなくてはいけないと思っています(あやかし系の荒唐無稽な物語であっても)。…でも、それはその時代を「描けている」という根拠になるのだろうか?

 で、記号接地問題です。

 結論から言うと、人間のことばは経験から出発し、拡張され一般化されていきます。ただしその指向は文化に左右され、(文化的に共有される認識としての)身体的なつながりから逸脱するような拡張のされかたはしない(例えば、「持つ」ということばの場合、日本語といくつかの外国語ではカバーする動作の範囲が異なる。文化的にその範囲が限定されている。赤や青といった色の範囲も文化によって違うのと同様)。
 つまり、高度に一般化され抽象化されたことばにも、どこかしらに身体的な経験との接点がある。人間はそれを頼りに自身の言語体系を拡張し、他者とのコミュニケーションをより容易に、豊かにしていくのです。
 これを小説に置き換えるとどうなるか。

 メロスは激怒した。必ず、かの 邪智暴虐( じゃちぼうぎゃく )の王を除かなければならぬと決意した。

太宰治「走れメロス」(青空文庫)

 メロスって誰。そもそも人間なのか。明らかに日本が舞台ではなさそう。どこの王様?なんの王様?…と、ことばと身体が接地していなければ思うはずなのですが、実際にはそんなことはない。
 メロス?よくわからないけれど名前なんだろうな。たぶん人間だろう。だって激怒しているし。どうやらここは王国で、王様がとんでもない暴君らしい。それでメロスは腹を立てているのだな。やっはりメロスは人間だな。チューリップは暴君に怒り狂ったりしないだろうし。…と身体的に理解していることばを頼りに物語に入り込んでいくのではないでしょうか(実際に脳内でこんなプロセスを踏む人もいないでしょうが)。
 じゃあこれなんてどうでしょう。

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。

夏目漱石「我輩は猫である」(青空文庫)

 猫の視点から世界を見る。これはハードルが高い。だって猫の思考なんて人間にはわからないんだから、無茶もいいところ。だけど大丈夫、大抵の人は「猫」が何であるか知っている。見たことがない、という人は稀なくらいありふれた(実物を見たことがある、という身体的なつながりがある)生き物です。野良でなければ猫には「名前」があるものだ、とも知っている。だからごく自然に、猫の一人称の物語に入っていくことができるのです。
 これを拡張すれば、ヌメノールが没落し、ギル=ガラドとエレンディルによる「最後の同盟」にサウロンが破れた後の第三紀中つ国が舞台の『指輪物語』(byトールキン)だって楽しめるようになるわけです。果てはエルフ語だって創造できちゃうぞ。
 すごいですね人間の言語能力。

 では、時代小説ならばどうか。

 嘉永五年八月のなかばである。四谷伝馬町(よつやてんまちょう)の大通りに小鳥を売っている野島屋の店さきに、草履取りをつれた一人の侍が立った。

岡本綺堂「半七捕物帳 一つ目小僧」(青空文庫)

 嘉永…?そんな年号を日本史の授業で目にしたようなしなかったような。昔なのは確かだろうな。八月といったら夏ですね。四谷伝馬町…伝馬町なんてあった?でも四谷は東京の地名にあるよね。昔の話みたいだから、かつて四谷にあった地名なのかも。で、野鳥屋って何?よくわからないけど小鳥を売っているのか。ペットショップみたいなものね。おっと草履取り(*)は知らない。ええと、侍が連れている?侍といったら時代劇に出てくる丁髷に刀を差したあれだわね。連れているんだから、お供なのかな。とりあえず侍が小鳥を売っている店の前に立っているらしい。お侍さんは小鳥が欲しいのかしらん。
…という具合に話を類推していくわけですね。

 これを日本文化にまったく馴染みのない外国人に読めといったら困難な話。「八月」と「小鳥を売っている店」以外理解不可能でしょう。身体的な経験から発していないことばは、類推することができないのです。
 でもイギリス人に「嘉永というのは年号で、ヴィクトリア朝みたいな王朝名に似たもので(乱暴)、侍というのは騎士や貴族階級のことで(大雑把だな)、草履取りというのは従者です」と説明すれば、ああなるほど、と自分の文化に定義された身体的な経験に引き寄せて/拡張して理解できることでしょう。そのことばの厳密な意味や、思想まで理解できるかは未知数にしても。
 これによってハリウッドが「ラストサムライ」を作ったり、日本で中世西洋騎士世界が舞台のファンタジー小説やコミックスが書かれたり、現代人が平安時代に生まれた「源氏物語」を楽しむこともできてしまう。
 私がフィクションの物語を読んだり書いたりしていて「突飛な世界観でも違和感がないな」、「このキャラの感情、わかるな」と感じるのは、イマジネーションの有無はさておき「身体的な経験につながることばを頼りに意味を引き寄せる/拡張する」ということを人間が無意識に行うせいなのですね。
 うまく説明できたかたいへん怪しいですが、面白くありませんか?

 それでは、身体的な経験から出発したことばが、いかにして抽象性を獲得していくのか?それを本書では「アブダクション推論(仮説形成推論)」というヒト独自の思考様式が可能にするのだと論じます。その思考様式によって人間がことばの身体性から徐々に離れ、抽象的な観念を獲得していく過程を助けるのが、本書が多くの紙幅を割く「オノマトペ」の言語体系なのです。
 これに深く関わるのが「対称性推論」。これがすごく面白い。…のだけど長くなるので割愛します。
 最後に、オノマトペの議論で、文章を書くという点で面白かった部分を一つだけ挙げておきたい。
 小説を書いていると、ここはオノマトペがいいのか、そうでないのか、なぜオノマトペなのか、と考え出して止まらなくなることがあります(ありませんか?)。
 例えばこちら。

a 彼は酔っ払ってよろよろと歩いていた(副詞)
b 彼は酔っ払ってよろよろしていた(スル動詞)
c 彼は酔っ払ってよろけていた(一般動詞)

今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』(中公新書)p.157より

  

…これ、これですよ!この微妙な差。気になり出すと悶々とするんです。
 これらの差とは何か。簡潔に言えば「アイコン性」で説明されます。オノマトペとは「感覚イメージを音によって写し取ったことば」であり、「オノマトペを用いた場合、そのイメージ(アイコン性)が強調される」という特徴があります。
 それが「よろよろ(副詞)」→「よろよろし(スル動詞)」→「よろけ(一般動詞)」に変化するにつれ、アイコン性、つまりイメージが薄れていくんですね。それによって、焦点を当てたい、強調したい箇所が変わっていくわけです。逆に、オノマトペを用いるとオノマトペが表現するイメージがもっとも際立ち、より口語的な印象が強まっていくと。
 言われてみれば確かに、と思うのだけど、言語化されないとわからないものです。なるほどなぁ、そんなことを無意識に考えながら文章を考えているのか、と自分の思考回路を再認識できてたいへん勉強になりました。

 本書の白眉であるオノマトペの議論そのものではなく、その周辺の議論ばかりを取り上げていますが、オノマトペというものの分析も目の覚めるような鮮やかさです。欲を言えば、AIについてもう少し議論を進めていただきたかったかなぁと。今後の研究を楽しみにしたいと思います。
 ことばに興味関心のある方、ご一読なさって損はない一冊ですよ。

(*草履取りというのは主人の履物を管理する軽輩(武士ではありません)。一定の石高以上のお侍が外出する時は、草履持ち、槍持ち、挟箱持ちという三点セットの「三供」を連れて体裁を整えなくてはなりませんでした(石高が上がれば供の種類が増え、10人、20人と数も増える。貧乏な武家はとても困った)。この物語では侍は身分のある旗本(らしいという店主の感想)なのですが、普通旗本が草履持ちだけ連れて市中を歩き、店先で買い物をするということはあり得なかったようです。当時の武家は出入りの商家による訪問販売がメインでした。…ということを言い出すとキリがない上に、身分ある旗本キャラには常に三人以上ぞろぞろ供をつけねばならないので動かし辛いことこの上ない。隠密行動もできないし。私も「お忍びで」などと注釈をつけて身軽に動かしてしまうことはよくあります…。)

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