大島真寿美『渦』読了
最近またわさわさしておりますが、大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(文春文庫)をやっと読み終えました。面白かった!交流させていただいている小鳥遊さまが紹介なさっていて興味を持ったんですが、色々な意味で読み手の予想を越えてくる作品でした(以下、感想にネタバレ含む)。
浄瑠璃作者・近松半二の生涯を描いたこの物語、出だしは半二を語り手に、しみじみとかつ淡々と話が進んでいく。家族との確執、鬱々としつつも道頓堀で何かを探し求める若き日々。ままならぬ創作に焦りと煩悶を抱えながら、次第に浄瑠璃作者としての道を歩み出す…という、波乱万丈というよりも、どちらかといえば平凡な男の人生が丁寧に描き出されていきます。それでも江戸時代のクリエーターの人生を覗き見る気持ちで充分面白いのだけれど、物語の仕掛けは実は随所にあってですね。後半どんどん虚と実が入り混じり、文字通り渦を巻き、しまいには半二が魂を込めて生み出した傑作『妹背山婦女庭訓』からヒロインお三輪が飛び出して、物語の語り手となるまさかの構図に。さらにお三輪、時代を超えて現代にもきっちり生きつづけているじゃありませんか。
あっと驚く見事な仕掛け。まさに操浄瑠璃の演目を見ているかのよう。作り手の手を離れた物語は、それ自身が生命を得て、はるかに時を超えて生きつづける…それを読み手が信じざるを得ない説得力に脱帽です。
お三輪の語りで、特に印象深かった部分があります。
書き手から離れて、書き手のイマジネーションを超えて、キャラクターに命が宿る。
作品を読んでくださった方の感想をうかがって、自分が生み出したはずのキャラクターの新しい側面に気づいたり、自分が描いた物語の外にまで存在が感じられるような気分になること、物語を書く方には覚えがあるんじゃないでしょうか。
キャラクターの姿が「くっきり」してくる。虚だったものが実となる。作り手の思惑を超えて動き出す。なんという面白さ。反対に、実だったものが虚に飲み込まれていく怖さも同時にある、と『渦』では描いているのだけれど。
それもまた楽し、と豪快に笑い飛ばしてしまうような情熱、執念、美しいものへのあくなき憧憬、それが渾然一体となった迫力にくらくらとする。近松門左衛門のような大作家と比べたら、たぶんずっと地味な存在であろう近松半二(操浄瑠璃における名作家なのは間違いないけれども、華々しさとはあまり縁がない)。決して神童でも麒麟児でもなかったし、長じてからも順風満帆の天才であったわけでもない。町を歩けば娘たちが振り返る好男子でもなければ、勇気凛々頼れる男というわけでもない(むしろ折り合いの悪かった母の臨終に際しても、会うの嫌だなぁ…と家に入れない弱気っぷりなのである)。
けれども、阿呆のように芝居が好きで、人形が好きで、美しいものが好きで好きでたまらない。ただただそれだけ。それだけのことで、大島真寿美さんの物語を通じて現代の私たちの心にまんまと渦を起こしてしまう。
すごいもんだねぇ、こいつはいいもん見たねぇ、と芝居を見る観客の気分で唸るほかにない。そんな余韻を残す物語でした。
軽快ながら味わい深い語り口を楽しみつつ、じっくりじっくり読むことをオススメしたい作品です。