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你唔愛我啦:新広東歌運動 【香港カントポップ概論:2000年代〜②】

【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】

2000年代以降編「”還能憑什麽” 凋落後の挑戦」 ②


これまでずっと、香港のポップスをあらわすのに「カントポップ」という言葉を使ってきた。「広東語」(カントニーズ)と「ポップス」を組み合わせた語で、要するに広東語で歌うポップスを指す言葉として使われている。

ここまで読んでくださった方のなかには、いくつか気に入った曲を見つけたからぜひ広東語を勉強してみようと思われた奇特な方もしかしたらいらっしゃるかもしれないけど、残念ながら教科書や教室で広東語を学んでも、カントポップの歌詞はほとんどわからないと思う。

なぜならカントポップの歌詞の大部分は、普通に香港で話されている口語ではなくて、書き言葉である「書面語」で書かれているからだ。そしてこの書面語というのは、文法・語彙はいわゆる標準中国語(つまり今まで「北京語」と読んできたもの)とほぼ変わらない。だから、カントポップの歌詞の大部分を理解するには「中国語」と書かれた教科書や教室を探して学んでいただかなければならないことになる。

(ちなみに香港には広東語発音で書面語を学べる↑のような本もあるにはあるが、まあ素直に「中国語」の本で勉強してもらった方が楽だろう。)

漢字を全部、北京語ではなく広東語の発音で歌うから「広東語の歌」扱いされているわけだけど(だからカントポップは広東語の発音の練習には使っていただける)、厳密に言えば「広東語」で歌ったわけではない。

例外はもちろんあって、これまで扱ってきた中では、例えばサム・ホイが、大部分の曲の歌詞を口語で書いている。

たとえば、私が香港の某大学で受けていた広東語の授業では、先生が「鍾意」(zung1ji3;好き)という単語の例として、サム・ホイのこの曲『瑪莉我好鍾意妳』(”大好きさマリー”;ルー・クリスティーの『I'm Gonna Make You Mine』のカバー)をかけていた。サム・ホイの歌詞は、俗語が多くてちょっと難しいけど広東語学習に使っていただける。

(ちなみにこの「好き」というのは書面語では「喜歡」(hei2fun1)になる。サビで「へい、ふーん、ねい」と歌うBeyondの『喜歡你』をはじめ、カントポップで普通耳にするのはこちらだ)

他にもすでに書いたように、70年代のジェームズ・ウォンは、口語を適宜取り入れた独特な作詞をしていた。

でも、口語の歌詞にはやはり俗っぽい印象があるらしく、カントポップが新たな文化としてすっかり定着した80年代からは、かっちり書き言葉で書かれた歌詞が主流になり、口語はラップやら少しおちゃらけたパロディソングやらで亜流な使い方をされるだけになった。

(LMFのようなヒップホップや、黃秋生のようなパンクロックも口語だけど言葉があまりにも汚く、外国人学習者が人前で簡単に使えるようなものではないため、少なくとも広東語学習にはおすすめできない)

もうひとつ重要な違いとしては、書面語で書かれたカントポップの歌詞は、広東語がわからない中国語圏の他地域の人でも文字に起こされた歌詞を見れば意味がわかる。だけど、口語で歌われるものは多分さっぱりわからない。カントポップが中国語圏全体で国際的な人気を持った80年代〜90年代に書面語の歌詞が定着したのにはきっとそんな事情もあることだろう。

香港の大学院で出席していたある授業で、香港人の院生が口語で歌われているサム・ホイの『半斤八兩』の映像を流した(なぜかは忘れた)ことがあったけど、その時は大陸出身の学生たちがザワついていた。普段から耳馴染みのある書面語で歌われるカントポップと違い、ほんとに意味が全くわからないから驚いたらしい。

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2000年代に入ってから黃偉文は、業界のテコ入れの一環として口語だけで書いたラブソングを定着させようと、「新廣東歌運動」(つまり新カントポップ運動)という運動を開始している。ある種、広東語話者以外のオーディエンスを切り捨てるような行為でもあるので、カントポップ市場が狭くなりつつあったからこそできる挑戦だったのだろう。そういえばデビュー作の『非常口』も口語で書かれたラップだったから、この挑戦にはまさに彼は適任だった。

その実験第一号になったのが、李彩樺(レイン・リー)が歌った『你唔愛我啦』(2002年;愛してないのね)だった。

少し古風な印象のサム・ホイの広東語と違って、この曲には「call」や「BB」(ベイビー)といった英語由来の単語も含まれていて、まさに香港式広東語という感じの歌詞になっているから、安心して広東語学習に使っていただける(この動画も誰かが勉強用のローマ字までつけてくれている)。彼氏に「もう愛してないんでしょ!」と詰め寄る歌だから、香港人男性と交際された際にはきっと役立ちそうなフレーズのオンパレードだ。

サビは「啦」(ら〜)という広東語らしい語気助詞(文末につけていろんな感情やらをあらわす)がリズミカルに連発されていて、なかなかおもしろい。バークリー音大卒の若き作曲家・伍樂城(ロナルド・ン)によるポップなメロディともあいまってとても軽妙な印象になっていて、まさに彼氏に駄々をこねる彼女のまくしたてるようなトーンが感じられる。

是但啦 算數啦 唔煩你
(もういいわ わかったわ もうかまわない)
無人錫我啦
(どうせ私は一人だわ)
再見啦 無野啦 實在夠
(さようなら なんでもないわ てかもうたくさん)
你唔愛我
(もう愛してないんでしょ)

ぜんぶおんなじ「ら〜」なんだけど、実は音の高さが少し違う。広東語は声調言語なので音の高さで意味が変わってしまう。この中では、上で太字にした「唔煩你啦」「實在夠啦」「你唔愛我啦」の「ら」はちょっと低い。他の「是但啦 算數啦」「無人錫我啦」「再見啦 無野啦」の「ら」は高い。

この語気助詞というのはそれだけで分厚い学術書がかけてしまうほど奥深いテーマで、説明するのは簡単ではないのだけど、高い「ら」(laa1)は、何かを少し柔らかく言い切ってる印象がある(標準語だと”吧”に近い)ので、上では「わ」をつけて訳した。低い方の「ら」(laa3:"喇"とも書いたりする)は、状況の変化や新しい状況の出現をあらわす(標準語/書面語の”了”)から「你唔愛我」(あなたは私を愛していない)にこれをつけると「(今までは愛していたけど、今は)愛していない」というニュアンスになる。だからこっちの「ら」は上では「もう」をつけて訳出した。

そんな風に、まさに口語の歌詞でしかできない表現でとてもおもしろいのだけど、いくら黃偉文の言語センスを持ってしても、口語の歌につきまとう低俗なイメージを取り払うことはできなかったようで、この曲も結局のところ少し子供っぽいというか、コミカルな印象の歌になっている。

ミリアム・ヨンが歌った『傻仔』(2004)は、一転少し大人なバラードではあるけども、こちらは完全な口語というよりは、書き言葉の歌詞の中に少し口語が混ざっている形だ。

「香港歌詞研究小組」というサイトに掲載された統計によれば、2002年と2003年の黃偉文は、それぞれの年に作詞した100曲ほどの歌詞の約半数に口語を混ぜているらしく、かなり本気でこの運動に取り組んでいたことがわかる。全曲口語曲で作られたアルバムを出す計画もあったようだけど、結局レコード会社が尻込みしたらしく、実現しなかった。

結局、保守的な業界の中で広東語の口語を大人の詩の言語に昇格させることはできず、この2曲以外それといったヒットも出せないままにこの運動は頓挫してしまった。

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その後も結局、口語の歌はメインストリームになりきれないでいる。

2007年デビューのバンドToNickは、中でも少しは口語詞の可能性を見せたと思う。サウンド的には日本で言うところの「青春パンク」で、それに乗せて歌われる口語の歌詞(ちゃんとメロディと声調も結構あってる)は、過激なパンクともふざけたパロディソングとも違う印象になっていて、口語に伴う低俗さ、子供っぽさをうまくカッコよく「青春」として表現できている。

多分この『發你個夢』(”夢を見やがれ”)なんかわかりやすいんじゃなからろうか。訳すと伝わらない気がするけど。

想法離譜 先最值租 即刻做到 邊有難度
(異常な思考 こそ価値がある すぐにできるさ 難しくない)
左計右計 諗到腎虧 最後成世 困喺井底
(あれやこれやと 悩んで病んで 結局一生 井戸の底かい?)
跌斷腳仆崩個鼻 起番身Round 2再嚟
(倒れて足を折って鼻が潰れても 起き上がればすぐ第二ラウンド)
將你發過嘅夢儲起 寫低你傳記
(かつて見た夢を集めていって 書いていこうぜ自分の伝記)

しかし、そんな彼らもメインストリームを変えるほどの影響力はなく、結局、映画主題歌として提供した最近のヒットソング『長相廝守』(2017年)では、大人しく書面語で歌っている。

昨今の香港でもローカルな文化への注目の高まりとも合間って出版界では全編口語で書かれたネット発のエッセイや小説とかも増えてきてるけど、音楽界ではまだ文語と口語の壁は分厚いままだ。

そんな中でもMy Little Airportが書面語に口語を混ぜた独特の歌詞作りをしていることは前に書いた。今後こういう試みが新しい言語実践につながっていくかがとても興味深いところだ。そのおもしろさを理解できるのは、広東語のわかる人だけだから、やっぱりぜひ興味を持ったら少しでも学んでみてほしいです。

→(3)下一站天后:Twins現象と歌姫のジレンマ

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