一代一聲音

好歌獻給你:「声」の裏の作詞家たち 【香港カントポップ概論:1970代年④】

【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】
1970年代編: "我係我" カントポップの誕生 ④

他地域のポップスと比べた時、香港のカントポップ特徴のひとつは、職業作詞家の地位が非常に高いことだ。

サム・ホイのような自作自演のシンガーソングライターはほとんど例外で、メインストリームの歌手の歌う楽曲のほとんどは作曲家と職業作詞家が作っている。自作をしても大抵は曲までで、歌詞だけはプロの作詞家がというパターンが多い。

理由は多分、声調の多い広東語をメロディーに載せるには技術がいるからじゃないかと思うけど、とにかくカントポップの名曲の多くはそれを歌った歌手と同じくらい、それを書いた作詞家の名と共に記憶されている。

日本でも阿久悠や松本隆やといった一部のレジェンド級の作詞家についてはコンピが出たり雑誌の特集が組まれたり本が書かれたりするけど、香港の場合はそれ以上な気がする。CDショップに行けば作詞家ごとのコンピがいくつも並んでいて、本屋の音楽コーナーには作詞家の名を冠した解説本が売られている。

そんな極めて「作家主義」色の強いカントポップの初期を担った作詞家として、盧國沾(ジミー・ロー)、鄭國江(ちぇん・くぉっこん)、黃霑(ジェームズ・ウォン)の3人は特に言及される頻度が高く、まとめて「三大詞人」と呼ばれたりする。

盧國沾 (ジミー・ロー)

ジミー・ローは中文大学でジャーナリズムを学んだ後にTVBの週刊誌「香港電視」の記者になった後、どういうわけだかTVBドラマの主題歌の詩を手がけるようになって作詞家に転身した。

1941年生まれのほかの二人に比べると8歳若い戦後生まれで、出世作となったドラマ主題歌『小李飛刀』(1977)を書き終えたときはまだ20代だった。

ジミー・ローの歌詞の特徴は「あなた」が直接出てこず、主役の内的な独白や情景描写によって感情や関係を描写する手法が多くとられることだと言われる。

だから彼の詩には、しばしば哲学めいた省察があらわれることになる。

ロマン・タムが歌った名曲『小李飛刀』では、困難な運命を嘆く武侠ドラマの主人公の苦悩が歌われる。

無情刀 永不知錯
(無情の刀は 過ちを知らず)
無緣份 只嘆奈何
(縁がなければ 如何と嘆くのみ)
面對死不會驚怕
(死を前にしても恐れはしないが)
離別心悽楚
(別れには心が痛む)

人生幾許失意
(人生 何度失望すればいいのか)
何必偏偏選中我
(なぜいつも私なのだろうか)
揮刀劍 斷盟約
(刀を振るい 盟約を断ち切る)
相識註定成大錯
(出会ってしまったことが 間違いだったのだ)

『カントポップ簡史』は、主人公が自らに降りかかる悲運を嘆くこの「なぜいつも私なのか」(何必偏偏選中我)を「カントポップの歌詞の最高の引用句の一つ」としている。

個人的に好きなのは、数多くのアーティストにカバーされている『每當變幻時』。

最初は薰妮(ファニー・ワン)が歌って1977年にリリースされた。調べるまで知らなかったけど原曲は1941年の日本の曲『サヨンの鐘』。日本領時代の台湾で日本人教師のために遭難した「原住民」少女の美談を元にしたある種のプロパガンダ・ソングらしいけど、ジミー・ローがつけた広東語版の歌詞はそれとはもちろん全く関係がなく、「変化があるたびに」というタイトル通りに過ぎ去った過去を懐かしむノスタルジックな歌になっている。

懷緬過去常陶醉
(過去を懐かしんでは うっとりと)
想到舊事 歡笑面上流淚
(昔を思い 微笑みむ顔を涙がつたう)
夢如人生 試問誰能料
(夢の如き人生 誰が予想できるだろう)
石頭他朝成翡翠
(石ころもある日 翡翠に変わる)

この歌は内容だけで言えば恋人との関係の変化を歌う普通の失恋ソングなんだけど、「私」と「あなた」との関係は「如情侶 你我有心追隨」(恋人の如く 思いを寄せたあなたと私)の一行で言及されるだけで、それ以外は変化や時の流れについての抽象的な考察を通して表現されているのが洒落ている。

常見明月掛天邊
(月はいつも空に浮かぶから)
每當變幻時 便知時光去
(姿が変わるたび また時の流れを知る)
常見紅日照東方
(太陽はいつも東に昇るから)
每當變夕陽 便知時光去
(夕陽に変わるたび また時の流れを知る)

こんな風に、誰に語るでもない、ふっともれたため息のような詞がジミー・ロー作品の魅力である。後世の作詞家への影響も大きく、次世代カントポップを代表する作詞家のひとりである林夕も「ジミー・ローのため息」(盧國沾的嘆息)という評論を書いている(上のリンクの『香港詞人系列:盧國沾』に一部収録)。

ジミー・ローはこの世代の詞人の中ではある種の革命児でもあり、様々な挑戦もしている。基本的に用意されたメロディーに詞を当てる「曲先」が大原則であるカントポップの楽曲制作の中で、限定的ではあるけれども「詞先」を試したりもしたらしい。

[*声調が9つあり短母音/長母音の区別もある広東語では言葉がすでにリズムとメロディーを持ってしまっているから、詞を先に作ると作曲がかなり制約されてしまって難しい。中国語の文語は半ば詩のための言語のようなところもあるから、言葉の方は同じ意味でも異なる声調のものがいくつかあって融通がきく。だからメロディ・リズムにあわせて言葉をはめていくのが普通で、作詞のことを”填詞”(詞をはめる)という。裏を返せば作詞家の方には声調の制約の中で意味を表現できるだけの豊富な語彙力が求められるわけで、その辺りが職業作詞家による作詞が多い理由でもあると思う。]

また1983年ごろ、ラブソング以外の歌を積極的に作る「非情歌運動」という試みもしている。時代を先取りしすぎていて定着しなかったこの試みは、約20年後、カントポップの大げさなラブソングが飽きられはじめた返還後の楽壇で林夕ら次世代の作詞家たちが引き継いでいくことになる。

鄭國江

鄭國江は作詞家として多くの名曲に携わった一方で、1965年から1996年まで小学校の先生として子供達に英語や美術を教え続けた珍しい経歴を持っている。

その「作詞家」と「小学校の先生」の2つの側面は、詞作の中にもしっかりと反映されていて、鄭國江はいくつも児童向けの歌の作詞を手がけている。上の動画(『我們都是這樣唱大的』)の中では、ホストのアルバート・アウが鄭國江に「広東語の童謡の9割くらいは鄭先生が書いてるんじゃないですか?」と語っているほど。その中にはドラえもんやドクタースランプ(IQ博士)などの日本のアニメソングのカバーも含まれている。童謡やアニメ主題歌の浸透度は普通のポップスの比じゃないだろうから、詞の知名度・影響力という点ではある意味一番の詞人かもしれない。

オリジナルの広東語の童謡で有名なのは例えばこの『小太陽』とか(ちなみに作曲はおなじみジョセフ・クーだ。本当になんでも作ってる)。

太陽像個大紅花
(おおきな赤い花みたいな太陽が)
在那東方天邊掛
(あの東のお空に浮かんでいます)
圓圓臉兒害羞像紅霞
(まん丸お顔は 恥ずかしそうに真っ赤っか)
只是笑不說話
(ニコニコするだけ お話はしない)

大人向けの流行歌の作詞にもこの童謡的な部分が生きていて、彼の詞を語る時には、シンプルな言葉遣いがなによりの特徴としてあげられる。

例えばアニタ・ムイが歌った1984年の『似水流年』。ジミー・ロー作詞の『每當變幻時』同様に流れ行く歳月を歌っているけど、その表現はよりシンプルで写実的になっている。

心中感嘆似水流年
(想い嘆く 流れゆく年月)
不可以留住昨天
(昨日に留まることはできず)
留下只有思念
(あとに残された思いだけが)
一串串永遠纏
(連なり永遠に纏わりつく)
浩瀚煙波里
(遠くぼやけた水面に)
我懷念 懷念往年
(昔を思い懐かしむ)
外貌早改變
(この身は変わり果て)
處境都變
(あたりも変わったが)
情懷未變
(心は未だ変わらない)

訳がダサくなってもうしわけないのだけど、特に最後の三行、たった11文字で「ノスタルジー」とは何かをピシッと要約していてカッコいい。

(ちなみにこの曲は、後にBeyondとも共作する日本のシンセサイザー奏者/作曲家の喜多郎さんが同名の映画のBGMとして提供したインスト曲『Delight』をアレンジしたもので、喜多郎さんのミニマルな旋律と鄭國江のミニマルな歌詞の夢の共演になっている。)

こんな風にシンプルだけども詩情溢れる歌詞は思春期・青春のイメージとよくあっていて、彼の作る歌は「少年少女」的だ、ともよく言われる。そこにはジミー・ローの歌詞にみられるような老練な人生哲学はないけど、未来への淡い希望や不安が綴られる。

例えば林志美(サマンサ・ラム)が歌った1984年の『偶遇』(出会い)がそのジャンルの名曲だ。その名も『少女日記』というタイトルの映画の主題歌だったとか。上の『我們都是這樣唱大的』でも披露されている。

風 帶著微笑輕吹
(風が 優しく微笑みを運び)
天空裡雲偶遇
(空では雲たちが出会う)
難忘是當天你
(忘れ難きは あの日の君)
那默然的相醉
(二人沈黙に酔ったあの時)

心 印下微笑的影
(心が 微笑みの影を刻み)
天天去回味
(毎日 後味を思い出す)
迷人是一剎那
(惹かれるのは ほんの一瞬)
再回頭已是沒法追
(振り返れば もう追いつけない)

そんな甘酸っぱい詞の世界を最大限に生かしてスターダムに駆け上がったひとりが、香港における元祖男性アイドルのダニー・チャンだった。彼については次回とりあげる。

総じて重くなりがちなカントポップの歌詞世界の中で、鄭國江の歌詞は子供向けの歌も大人向けの歌も前向きな喜びと励ましに満ちている。彼の創作の背景には、代表曲の一つのタイトルを借りれば「ステキな歌を君に送る」(『好歌獻給你』;西城秀樹の『ブルースカイ・ブルー』のカバー)という単純だけど根本的なエンタメ精神があるのだろう。

好歌獻給你
(ステキな歌を君に送ろう)
讓愛藏心裡
(心に愛をしまえるように)
陽光在我心裡照耀
(陽光が僕の心を照らすように)
光輝歡笑永伴隨
(輝く微笑みがいつも側にあるように)
好歌獻給你
(ステキな歌を君に送ろう)
願你藏心裡
(心にしまっておいてほしい)
惟願為你解去愁悶
(いつか君の憂鬱をも溶かすような)
快樂在歌聲裡
(幸せな歌声がそこにあるように)


黃霑(ジェームズ・ウォン)

この連載でも序文を含めすでに何度か言及しているジェームズ・ウォンは、香港の偉大な作詞家は誰かと尋ねたらおそらく真っ先に名前が上がるカントポップ史の超重要人物だ。

だけどあまりにも偉大すぎて、彼の詞の特徴についてどうまとめたらいいかわからない。ジミー・ローや鄭國江についてはだいたいこんなイメージ、っていうのがあって、評論なんかでも必ず言及されるような特徴があるけど、ジェームズ・ウォンはなかなか捉えどころがない。

子供向けの歌から、大人なラブソング、時代劇の主題歌から政府のキャンペーンソングのようなものまで軽々と書いてしまうし、英語での作詞もしている。ついでに劇を作ったり、作曲もしたり、コピーライター的な広告の仕事をしたり、自分でも歌ったり、テレビに出たり、映画に出たり、さらには(私がちっとも書けない)博士論文までサクッと書いてしまうんだから、まさに規格外のマルチな天才だ。

そんな変幻自在のイメージこそが、彼の唯一の特徴と言えるかもしれない。作詞の面でも彼は口語から文語まで多彩に組み合わせて様々なスタイルの詞を作ったまさに言葉の魔術師だった。

口語の文語の使い分けについてはサム・ホイについての項でも書いたけど、彼が曲単位で使い分けているのに対して、ジェームズ・ウォンはひとつの曲の中で混ぜてしまう。

標準的な書き言葉(いわゆる”白話文”)を基調に、広東語の口語と古文(日本でいう”漢文”)の3つの文体を組み合わせたスタイルは「三及第」と呼ばれて古くから広東地域の文壇で用いられていたらしいから彼の専売特許というわけではないけど、それをポップスの歌詞にも導入してみせたのは大きな功績だろう。今日に到るまで、彼ほど自然にそれをやってのけた作詞家はいない。

例えば、彼が作詞した『It's a Small World』の広東語版でもそのテクニックが発揮されている。

世界真細小小小
(世界はちーさい)
小得真奇妙妙妙
(小さくてふーしぎ)
實在真係細世界
(ほんと小さな世界)
嬌小而妙俏
(小さくて素敵)

うまく訳しわけられていないけど、「實在真係細世界」の部分だけ、「真係」(ほんとに)、「細」(小さい)と広東語の口語特有の言葉が使われている。つまり、ここだけ「ほんまにちっちゃいな 世界って」みたいな風に突然口語/方言になっていて親しみやすさがましている(はず)。

すでに取り上げた超絶名曲『獅子山下』も、格調高い文語の歌詞の中、サビの1番の盛り上がりどころで「我哋大家」(ぼくらみんな)と、標準語の「我們」(私たち)ではなく広東語の「我哋」(ぼくら)を使っている。この曲が香港を代表するアンセムとして親しまれてきた背景には、ささやかにかつ決定的に口語が用いられた、このサビの四文字が果たした役割も間違いなくあると思う。

そんな風に広東語特有の表現を用いた表現をすることには本人も相当なこだわりを持っていたようだ。博士論文の中で、カントポップが生まれた1970年代を総括して、自身が手がけた1977年の曲『問我』の一節、「私は私」を意味する広東語から「”我係我”時代」と呼んでいる。

問我點解會高興
(どうして喜ぶか聞かれたら)
究竟點解要苦楚
(なぜ苦しむのか聞かれたら)
我笑住 回答
(私は笑って 答えよう)
講一聲 我係我
(ただ一言 私は私だと)

1970年代、それまで北京語や英語のポップスに押されて古くてダサいものと見なされていた広東語音楽が復権し、カントポップが誕生した。それは植民地/避難所であった香港を新たな家とみなすようになった人々の意識とも呼応した、まさに時代の「声」となった。だからこの時代はまさに、香港の人々が自分の声を再発見して、この歌の主人公のように「私は私」と高らかに歌い上げた時代だったと言えるだろう。


『一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論』

1970年代編「 "我係我" カントポップの誕生」完 ■

===================

次:1980年代編「”今夜星光燦爛" スターたちの時代」
 → 再見Puppy Love:ダニー・チャンと青春

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?