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下一站天后:Twins現象と歌姫のジレンマ 【香港カントポップ概論:2000年代〜③】

【一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】

2000年代以降編「”還能憑什麽” 凋落後の挑戦」 ③


新広東歌運動の失敗の一方で、もうひとつ、うまくいった実験もあった。

同じ時期に、低年齢層をターゲットにしたアイドル・デュオのTwinsが大ヒットしたのだ。

蔡卓妍(シャーリーン・チョイ)と鍾欣潼(ジリアン・チョン)の2人、からなるTwinsは、2001年に英皇からセルフタイトルのEPでデビューした。2人はそれぞれイングリッシュネームの頭文字をとって「阿Sa」(アシャ)、「阿嬌」(アキウ)と呼ばれている。つまりは「シャーちゃん」「ジリちゃん」的な感じだろう。

6曲入りのこのデビューEPには、うち2曲『明愛暗戀補習社』(恋愛明暗塾)と『女校男生』(女子校の男子学生)のビデオも収録されていて、それぞれで普通の高校生っぽい彼女たちの姿を存分に印象づける仕様になっていた。

(どちらも今後もTwinsの曲を多く手掛ける伍樂城が作曲をしている。彼女たちのヒットには彼のポップセンスが果たした役割も大きいと思う。)

さらにレコード会社はティーン向けの販促活動の為に、msnと協力してゲームが遊べるウェブサイトを作tたり、さらにEPにスキンケア商品、ダンスレッスン、お寿司などのティーンの女子が好みそうな商品・サービスの割引券を付録でつけたりしたらしい(『カントポップ簡史』p.163)。

売り上げ低迷の中で新しいオーディエンス層を開拓する苦肉の作だったのだろうが、これが非常にうまくいったようだ。Twinsは爆売れして、この年の賞レースのグループ部門を総なめにする。

ティーン向けのパッケージングは、曲作りの面でも完璧だった。『明愛暗戀補習社』と『女校男生』は、それぞれ黃偉文と林夕が作詞する超豪華体制で、このふたりのおじさんは見事に「女子中高生が歌いそうな歌詞」を提供した。『明愛暗戀補習社』では「ミニモニ。」風なアレンジの(ミニモニ。とTwinsは活躍時期も近く、果たした文化的役割もかなり似てる気がする)軽快なメロディーにのせて、学校の勉強が恋愛に役立つのか疑問に思う女の子の気持ちを歌っている。

AB君誰又會待我最好?
(A君とB君どっちがいいか)
談情可否當代數?
(代数で愛を語れるの?)
他七歲那天有多高?
(彼が7歳の時どんな背丈だったか)
歷史可否看得到?
(歴史でわかるの?)
他的舞跳得有多好?
(彼の踊りがどれだけうまいか)
會計科可會預計到?
(会計で計算できるの?)
給擁抱到底 有多好?
(抱きしめられるってどんなだか)
Bio可否教得到?
(生物が教えてくれるの?)
給寵愛到底 有多好?
(愛されるって一体どんなだか)
物理科可會驗證到?
(物理で実験できるの?)

まさに黃偉文の十八番である「パロディ」的な感性が発揮された歌詞だと思う。

林夕おじさん(この頃もうアラフォー)も、負けじと『女校男生』でクラスメイトを思う女子生徒の気持ちをしっかり描写している。

しかし、彼の才能が本気で発揮されたのは、この年のフルアルバム『愛情當入樽』(愛情スラムダンク)に収録された『戀愛大過天』(恋愛至上主義)の方だろうと思う。この曲で彼は「恋は天より大きい」と思うような頭の中が恋でいっぱいなティーンエイジャーの立場を借りて、『K歌之王』でも見せたような「開き直り」によるラブソングの内側からの批判を再び成し遂げている。

同學愛新鮮 戀愛大過天
(クラスメートは新しいもの好き 恋が何より大事)
想不想也日夜懷念
(考えないようにしても 昼も夜も想ってしまう)
連甜夢也不夠甜
(どんなに幸せな夢をみても それじゃ足りない)
當然 現在我未成年 讓我膚淺
(もちろん いま私はまだ子供 浅はかでいさせて)
只知戀愛大過天
(恋より大事なものなんて知らないの)
忘記有益的格言
(役に立つ格言も忘れて)
自動掠過他眼前
(思わず彼の目の前を通りすぎる)
怎麼閃 同學始終會遇見
(どう避けても クラスメート同士 どうせ顔を合わせてしまうのに)

Cメロでは、「まだ子供なんだから、あなただって……」("未大個女,你大概應該")と大人たちから押し付けられるあれこれ(「恋が全てじゃないのよ」「恋愛ばっかじゃなくて、未来の話をしなさい」etc.)が繰り返しうたわれている。それをひっくり返して、「子供なんだから、浅はかで結構」と開き直って恋を歌う歌詞はきっと当時のティーンの共感を呼んだことだろうし、同時に「ラブソングなんて浅はかだ」という当時の風潮へのある種の当てこすりにもなっていたのだろう。『左右手』とかもそうだけど、こういう風に一つの曲の中に王道と革新の2つのストーリーを走らせたりするのが林夕の歌詞のすごいところだと思う。

ふたりのワイマンの歌詞もあって売れっ子となったTwinsはもはや「現象」となり、彼女たちが開拓した低年齢層路線は一瞬だけだけど停滞したカントポップを再活性化させたらしい。Cookies、2R、Hotchaなどの二匹目のドジョウ狙いのガールズグループが続々登場したほか、男性版Twinsとも言えるようなShineも登場している。

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そんなTwinsの中でも個人的に特に好きな曲は、2003年の『下一站天后』(次の駅は”天后”)だ。作詞は黃偉文で、彼らしい言葉遊びが生きている。「天后」は香港島にある駅の名前であると同時に、歌姫を意味する単語でもある。だからこの歌のタイトルは「次の駅は”天后”」と文字通りにも解釈できるし、「歌姫一歩手前」という若い女性歌手の気持ちを表してもいる。

まさに「天后」の隣の駅であるコーズウェイベイ(銅鑼湾)の繁華街に立ちながら、主人公は「天后」を目指す自分の未来に思いを馳せる。

站在大丸前 細心看看我的路
(大丸の前に立ち じっと見つめる自分の前路)
再下個車站 到天后 當然最好
(また次の駅の 天后へ もちろんそれが一番)
但華麗的星途 途中一旦畏高
(けど華麗なスターの道中 ふと怖くなったら)
背後會否還有他擁抱
(後ろにあの人がいて 抱きしめてくれるだろうか)

在百德新街的愛侶 面上有種顧盼自豪
(パターソン街のカップルの 表情はいかにも得意げで )
在台上 任我唱 未必風光更好
(舞台で歌える私の方が 幸せだとも限らない )
人氣不過肥皂泡
(人気なんて 石鹸の泡のようなものだから)

大丸は1960年に香港最初の日系デパートとして銅鑼湾にオープンしてから1998年に閉店するまで同地のランドマークだった。パターソン街は大丸がある通りの名前だ。

カップルたちをみながら、将来大きなコンサートがあっても愛しい人がこれなかったらどうなるか、主人公は自問する。

即使有天開個唱 誰又要唱
(いつかコンサートを開いても)
他不可到現場
(あの人が現場に来れなかったら)
仍然仿似 白活一場
(やっぱりきっと 人生を棒に振ったようなもの)
不戀愛 教我怎樣唱
(恋なしでどう歌えるだろう)
幾多愛歌給我唱 還是勉強
(どれほど多くのラブソングを 無理に歌っても)
台前如何發亮
(どうしてステージで輝けるだろう)
難及給最愛在耳邊 低聲溫柔地唱
(及ぶはずもない 最愛の人の耳元で 小さく優しく歌うのに)

結局、2番では主人公は、「白昼夢を見て舞い上がっても」遠くに生きすぎたり、抽象的になってはだめだと自分を戒めて、「最後は歌姫も 花嫁も どっちも理想」と決意をする。賑やかな繁華街であるこの街では、誰もが欲しいものを手に入れられる。自分にはファンがいなくても、彼がいるではないか、と。だから、この曲の最後は、「内心一番の理想は あの人と家に帰り あの人のため歌うこと」と結ばれる。

内容的には、「どれほどの歌をこれから歌っても、あなたと歌える今夜ほど素晴らしい夜はもう来ない」と歌ったプリシラ・チャンの往年の名曲『千千闋歌』とさほど変わらない恋する歌手の気持ちを歌うメタラブソングだけど、おもしろいのはそれがひたすらローカルな設定の中に埋め込まれている点だ。

まず「天后」という駅があることを知らないと意味がわからないし、「大丸」や「パターソン街」がその隣の駅である銅鑼湾の施設名・地名だということもわかっていないと全く楽しめない。要するにオーディエンスが香港の地理に明るい人に限定されている。達明一派のようなバンドの曲や『皇后大道東』のような社会派ソングには例がないわけではないけど、アイドルソングとしては多分とても珍しく、カントポップ市場が狭まり国際的な地位が低下しつつあっていたこの頃だからこそ逆に可能になったニッチな歌詞表現だろうと思う。

もうひとつこの曲が興味深いのはまるでこの後のカントポップの歌姫たちの未来を暗示しているかのようにも思えるところ。全てを犠牲にしてでも華麗なスター街道を歩むのか、それとも庶民的な地に足のついた幸せで満足するのかは、この後の世代の「天后」にとってはより重要なジレンマとなってくる。

折しもこの曲がリリースされた2003年は、ある意味で1997年の返還以上に大きな変化をもたらす1年となった。SARSの流行により社会に重い空気が漂う最中の4月1日にレスリー・チャンがマンダリン・オリエンタルから飛び降りて死亡した。年末には後を追うようにアニタ・ムイもガンでこの世を去る。前年にはロマン・タムも病死していた。作詞界でもこの年、林振強が亡くなり、翌2004年にはジェームズ・ウォンも亡くなるなどの損失が相次いだ。これにより返還後も香港経済・文化の成長が続いていくという楽観論には完全に終止符が打たれた。

また同じ2003年の7月末からは大陸から香港への個人旅行が解禁される。SARSなどで停滞した香港経済への支援という意図もあったようだが、これを機に中国資本の影響を香港の人々が身近に感じるようになり、「中港矛盾」と呼ばれる大陸と香港の経済的、社会的矛盾が鮮明になっていく。

この時代以降の香港の歌手は、もはや気楽に舞い上がることは許されず、前項で書いた「カントポップを捨てて国際的なスターダムを目指すか、あるいはローカルなスターに止まる道を選ぶのかの二択」をより切実に感じるようになっていく。

後者の例は「庶民の歌姫」として親しまれる女性歌手で、前者の例は「一路逆風」の中を舞い上がったフェイ・ウォン以来の業界の反抗児だった。次項以降では2人の歩んだ異なる道を通して、新しい時代の「天后」のジレンマを見ていこうと思う。

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追記:天后駅の出発

Twinsに言及した以上これに触れないわけにはいかないのだけど、2008年に阿嬌は香港芸能界最大級のスキャンダルに巻き込まれてしまった。ティーン向け路線で売っていただけにこの醜聞は致命的で、一時期活動休止も余儀なくされた。「人気なんて石鹸の泡のようなもの」という『下一站天后』の一節を、ファンたちも本人たちも痛感したことだろうと思う。

その後復帰を果たした阿嬌のソロデビューEP『人人彈起』(2010年)には、陳少琪作詞の『天后站出發』(天后駅の出発)という一曲が収録されている。

夜 在這一站
(夜の この駅)
在百得新街是我一個在晚餐
(パターソン街で 一人きりの夕食)
我等 時間很慢
(私は待つ ゆっくりと流れる時間)
無意中蕃茄醬染污了白襯衫
(気づけば白いブラウスが ケチャップの染みで汚れていた)

怎傷心 嘴巴只可以笑
(傷ついても 口では笑顔を作るしかない)
不想哭只因我想再出發了
(泣きたくないのは ただ再出発したいから)
成熟了亦誠實了亦承受了
(大人になって 真面目になって 我慢して)
才能學會事情大概不可意料
(ようやくわかった 大抵のことは 予測不能だと)

ここにはもう「天后」一歩手前で、恋をとるか歌をとるか悩んでいた少女はもういない。今、もう「天后」にたどり着いてしまった彼女は、一人きりで、赤い染みのついたブラウスを見つめながら、「傷ついても笑うしかない」ような歌姫の世界を生きている。

結局、再出発を果たしたTwinsは現在に至るまで息の長い活動を続けていて、2000年代初頭に彼女たちに憧れた世代にとっては忘れられない「思い出の歌手」として特別な地位を保っているようだ。

(今年5月、結成18周年記念に日本旅行に来たときのふたり)

→(4)集體回憶:第三次バンドブームと平民天后

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