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集體回憶:第三次バンドブームと平民天后 【香港カントポップ概論:2000年代〜④】

一代一聲音〜時代の声、時代の詞〜:香港カントポップ概論】

2000年代以降編「”還能憑什麽” 凋落後の挑戦」④

いかにもなお坊ちゃんだったダニー・チャンや、お嬢様風の「玉女」系女子たちなど、きらびやかなアイドルがもてはやされた時代も終わり、時代はより「等身大な」歌姫であるミリアム・ヨンやTwinsをもとめるようになっていた。

そんな2000年代香港の音楽シーンでは、再びバンドの活躍が目立つようになり、60年代、80年代につぐ「第3次バンドブーム」とも言われている。

2000年代以降活躍した主なバンド名をあげると、たとえば、Mr.、RubberBand、Dear Jane、C Allstarなどで、2008年にMr.が香港ユニバーサルと契約したのを皮切りに、続々とメジャーデビューしていった。インディーズ・レーベル「維港唱片」(Harbor Records)に所属して活動するMy Little Airportや、インディーズ志向の紅線音樂(Redline Music)所属のSupper Momentのように、メジャー契約をしないまま著名になったバンドも少数ながら存在する。

ポスト・スター時代の世相を反映してか、このじのバンドの曲の中には、スターを揶揄した曲も目立つ。

たとえばMr.は、デビューアルバムで、ボーカルの声がイーソン・チャンに似ているらしいということで歌った『如果我是陳奕迅』(もし俺がイーソン・チャンなら)という諷刺ソングをリリースして、ヒットさせている。

またMy Little Airportの英語曲『Gigi Leung Is Dead』は、90年代歌姫のひとりジジ・リョンを名指しして、若い頃気に入って聞いていたポップスにいつしか失望してしまう気持ちを歌っている。

On Monday, I don't wanna go to school
(月曜、学校行きたくない)
I just wanna stay with you, all I want is you
(ただ君といたい 君さえいればいい)
On Tuesday, I don't wanna go to school
(火曜、学校行きたくない)
I just wanna sing with you, sing your songs with you…
(ただ君と歌いたい 君の歌を歌いたい)…

On Sunday, you're no longer in my heart, may be I got old enough
(日曜、もう君のことは好きじゃない 大人になったからかも)
Yeah yeah yeah yeah yeah
(イェー イェー イェー イェー )
Gigi Leung is dead
(ジジ・リョンは死んだ)
Gigi Leung is dead
(ジジ・リョンは死んだ)

なんかジジ・リョンがかわいそうだけど、確かに、こんな風に小さい頃聞いていた歌手に対して、大人になるにつれて興味が薄れてしまうことは、誰しも思い当たる経験だろう。幼い頃憧れたカントポップのスターたちにだんだんと失望していった若者が多かったことが、カントポップ凋落の一つの理由かもしれないとも思う。

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こんなスターへの失望は、『獅子山下』についての項の末尾で少し書いたように、アジア通貨危機やSARS流行などによる経済の先行きへの不透明感や、それとは中国資本(およびそれを手にした買い物客)の流入から、香港の経済成長を実感できない世代が多く登場してきたこととも無縁ではないのだろう。

そんな世代は、経済的な成功にある種のルサンチマンを抱いており、昨今では豪華なライフスタイルを批判する「離地」(地面を離れる=地に足がついていない)という言葉が流行語になった。反対にもてはやされるのは「帖地」(地に足がついている)であること、すなわち庶民感覚を失わないことだ。

広東語で「歌姫」を意味する「天后」は、もともとは読んで字のごとく「天のお后」の意味で、特に広東や福建など華南地域一体で信仰される海の女神・媽祖の称号として用いられていたものだ。つまりは「歌姫」としての「天后」もまさに天上人であるべき存在だったはずなのだけど、アイドルに「等身大」性をもとめるポスト=スター時代の香港には、その称号自体がある種の形容矛盾である「平民天后」と呼ばれる庶民的な歌姫が誕生することになる。

彼女の名前は謝安琪(ケイ・チェー)、香港大学在学中の歌唱コンテストで同校卒業生でもある音楽家・周博賢(エイドリアン・チョウ)に見出され、卒業後の2005年に彼のインディーズ・レーベルBan Ban Musicと契約してデビューした。彼女のヒット曲の多くはチョウが手がけていて、彼女の庶民的イメージにはローカルなテーマを取り上げる彼の作詞の影響も大きい。

(チョウは香港大卒かつ弁護士資格も持つ超エリートなのだが、かつてのサム・ホイもそうだったように、案外エリートの方が庶民的感覚を歌にするのがうまかったりするのだろうか)

2005年のデビューアルバム収録の《姿色份子》では、画一化された美の基準が蔓延し、似たような姿を追求する「姿色分子」(”知識分子”との駄洒落になっている)について疑問を呈した。

翌年のミニアルバムではさらにこの社会派路線が徹底されていて、『菲情歌』では故郷の家族を離れて香港でメイドとして働くフィリピン人女性の問題を歌ったり、『亡命之途』では命の危険を感じるほどのスピードで疾走するミニバス(亡命小巴)に乗る気持ちを歌っている。どちらも香港のローカルな社会問題だ。

明るい調子のローカルソングもある。このミニアルバム収録の『我愛茶餐廳』では、「茶餐廳」と呼ばれるローカルなレストランへの愛着を歌っている。

「茶餐廳」は戦後香港で発展した独自の飲食店形式で、朝食から夜食まで、様々に魔改造された西洋料理や中華料理が食べられる素敵なお店だ。とにかくどこの店もメニューが豊富なことが特徴で、この歌の歌詞もほとんどよくある料理名を並べているだけ。飲茶のような広東文化とは違って純然たる「香港」固有の文化なので、ローカル文化研究の観点からも注目されている施設だ。

こんな風に絶妙にローカルなテーマ選びが平民感を感じさせて、親しみやすいのだ(たぶん)。香港ネチズンからの人気も高い。気に入った女性を勝手に「女神」として祭り上げて遊ぶ文化のある香港のネット掲示板「HK Golden」(香港高登討論區)で2012年から2015年にかけて開催された「女神総選挙」では4連覇を果たした。彼女自身、ネット初のスラングや定型句を駆使している様子もたびたび観察されている。

『我愛茶餐廳』のサビの「あなたが好き 素朴で庶民的なところが」という歌詞は、庶民的な飲食店である茶餐廳に向けられたものだけど、そのままファンからこの歌手への言葉にもなると思う。

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そんな彼女だが、2枚のアルバムを出してこれからという時の2006年11月に妊娠が発覚して一時活動を休止してしまう。

しかし彼女の本当の成功は、結婚出産を経て復帰したあとにやってきた。

2008年にリリースした黃偉文作詞の楽曲『囍帖街』が大ヒットしたのだ。

タイトルにある「囍帖」とは結婚式の招待状のことをさす。めでたい色である赤い色をしていて、文字が金色で書かれている。これが来てしまうとご祝儀で出費がかさむことになるので、俗に「赤い爆弾」(”紅色炸彈”)とも呼ばれる。

この歌のタイトル「囍帖街」は、これを作成する印刷店が多く揃った街路、「利東街」(リートン・アベニュー)の通称だった。この街路は2000年半ばに都市再開発の対象となり、市民の反対も多かったのだけれど、結局取り壊されてしまった。今ではかつての姿とは似ても似つかない、こぎれいなショッピング通りになっている

この曲の歌詞も、この再開発による取り壊しを歌っている。「囍帖通り」という舞台の特徴を生かして、取り壊されてしまう街と過去の結婚の思い出が悲しく重ねられていく。

忘掉種過的花 重新的出發 放棄理想吧
(忘れてしまえ 植えた花など 新しい出発 理想は捨てよう)
別再看塵封的囍帖 你正在要搬家
(埃まみれの招待状をみるのはやめて もう引っ越しだ)
築得起 人應該接受 都有日倒下
(建てられた以上 いつかは倒される日も 来るものだろう)
忘掉愛過的他
(忘れてしまおう 愛した人も)
當初的囍帖金箔印着那位他
(あの時 招待状に金箔で名前を刷られたあの人)
裱起婚紗照那道牆
(結婚写真を飾ったあの壁も)
及一切美麗舊年華 明日同步拆下
(美しきかつての月日の一切も 明日揃って取り外される)
忘掉有過的家
(忘れてしまおう かつての家も)
小餐枱、沙發、雪櫃及兩份紅茶
(小さな食卓 ソファー 冷蔵庫に 2人分のお茶)
溫馨的光境不過借出 到期拿回嗎
(温もりの時も借り物で 時期が来たら返すのでしょう)
等不到下一代 是嗎
(次の世代を待ってはくれない そうでしょう)
終須會時辰到 別怕
(いつかその時が来るだけ 怖がらないで)
請放下手裡那鎖匙 好嗎
(さあその手に握った鍵を放すんだ いいね)

ただのラブソングではなく社会派のテーマを歌ったこの曲がヒットソングになったのは、まさに当時の香港にこういった再開発への反感が広がっていたからだろう。この時期、利東街だけでなく、様々な歴史的建築物や街区の取り壊しに反対する運動が多く起こっていた。特に2006年、2007年にそれぞれ取り壊されたフェリーポート、スターフェリーピアとクイーンズピアの再開発は、抗議者による座り込みやハンストが行われるなど、大きな問題になった。

このような抗議の背景には、返還後の変化によって失われゆく(と思われている)「香港らしさ」(と思われているもの)へのノスタルジーがあるのだろう。この時期の香港では「集體回憶」(集合的記憶)という言葉が流行語になった。以前の記事で書いた通り、2007年には林夕もまさに『集體回憶』と題した曲をミリアム・ヨンに提供している。

この言葉は社会学、心理学の専門用語である「collective memory」の中国語訳だが、原語や日本語の学術的雰囲気と比べると、香港ではかなり人口に膾炙した表現になっていて、今でもあちこちで目にする。例えばこの連載でこれまで紹介してきたような懐かしのカントポップの歌手たち(つい最近のTwinsのような人たちですら)を振り返る記事には「集體回憶歌手」なんて見出しがついていたりする。つまりは「みんなの思い出」の歌手、「あの懐かしの」歌手的な使い方で、とにかくノスタルジーを感じさせる何かを指す言葉として広く用いられているようだ。

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香港はスピーディな街だ、とよく言われる。ある香港生まれの作家は、この街のことを「No City for Slow Man」(スローな人間はお断りな街)と形容した。そのスピード感にはきっと、急速な街並みの変化も含まれていたんだろうと思う。香港に何度も足を運んだことのある人にはおなじみだろけど、この街は少し時間を置いて訪問すると、ビルの建設や店舗の入れ替わりのせいで、前とは全く違う街のように思えることもある。

どうも昔の日本の人々が香港について書いたものを読んでいると、香港人というのは、そんな急速な変化にドライに適応してあっけらかんとしている印象が持たれていたんだろうな、と思う。よく言われたような「金にがめつい」イメージも、そんな成長至上主義的な、過去を省みないような印象につながっているのかもしれない。スピーディな街に合わせた切り替えの速さが一昔前の香港人の特徴だったのだろう。

でも変わってしまうこと、忘れてしまうことへの抵抗を歌う『囍帖街』の歌詞は、そんなドライさとは無縁だ。どれほど世の無常を説かれても、この歌の主人公は、離れようとしている家の鍵を手放せないでいる。

経済成長を実感できず、「地面を離れる」金持ちを非難し、「平民」らしさを求める世代の登場は、開発に伴う変化に大きな抵抗感を持っている。転がり続けてきた香港、飛躍を続けてきた香港も、今はもう止まることを求められているのかもしれない。

『私が香港人である101個の理由』というブルースリーからBeyondまで、ありとあらゆる香港人の「集體回憶」を集めた本を読んだとき、その末尾に唐突に記された「是誰令香港也變」(誰が香港を変えてしまったの)という言葉が印象に残った。

(ちなみにこの本には謝安琪が「高登女神」という肩書きで序文を寄せている)

これは1980年のヒットソング『風雲』の歌詞の一節、「是誰令青山也變」(誰が青山を変えてしまったの)から取られている。

ジョセフ・クー作曲、ジェームズ・ウォン作詞のドラマ主題歌で、サンドラ・ランが歌った典型的な初期カントポップのヒットソングだ。ドラマのテーマは当時進められていたニュータウン建設による農村の変化だったらしく、この曲の歌詞も進む開発により美しい自然が「俗っぽい顔立ち」に変えられていくことへの不満を歌っている。こういう開発・変化への抵抗感はきっとこの頃からあったのだ。

しかし今では、『私が香港人である101個の理由』での改変からもわかるように、開発により壊されるのは自然ではなく、香港という故郷そのものだと考えられている。第3次バンドブームの中で台頭した先述のインディーズ・バンドMy Little Airportが『美麗新香港』(すばらしい新香港)という楽曲の中で「こんな香港もう私の場所じゃない」と歌ったのはまさにそんな意識をあらわした例だろう。

そのため昨今の開発への抵抗感は、新しい世代の香港人の間に、ナショナリズムにも近い強烈なアイデンティティ意識を喚起することになる。実際に、2000年代後半の歴史的建築物保護運動を「本土主義」と呼ばれる急進的なローカリズム運動の端緒だったと指摘する研究者もいる。

ちなみにこの時、開発局長として強引に計画を押し進め、抗議者たちの要求を跳ねつけたのは、今やみなさんもニュースでご存知、現在の行政長官「林鄭月娥」(キャリー・ラム)だ。

だから現在進行中の抗議運動に到るまでの、香港の若者たちの激しい政治意識の覚醒とそれがもたらす社会衝突の伏線は、「平民天后」の歌う「囍帖街」がヒットしたこの時期にすでに十分に見出すことができる。

変わりゆく香港の中でローカルなものにこだわり続けていく謝安琪やインディーズ・バンドたちの歌は、まさに新しい香港を表す新世代の「時代の声」だろう。

→(5)一路逆風: G.E.M.と新北進想像

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