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”香港最後の文藝青年”:MLAと文学 【居心地の悪い本土主義: My Little Airport私論③】

前々回のアンナ・カレーニナにせよ、前回のカミュにせよ、My Little Airport(以下MLA)というバンドの魅力のひとつは、ともすれば只のグチになりそうな日常的な悩みを文学に包み込んでギリギリのところでアートに仕立て上げるセンスだろう。

他にも作家・文学が中心的なテーマになる歌がある。

たとえば、初期のアルバム『あの時は緊張してただけ』(2005年;”只因當時太緊張”)のなかの『ユーウツな歌』(”失落沮喪歌”)にはいきなり太宰治が出てくる。

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我又有心事 自從看了太宰治
(またずっと気になってる 太宰治を読んでから)
我問誰誰都不會在意死亡的意義
(誰に聞いても知らん顔 死ぬってどういう意味だろう)
世界像似崩裂 我倆都無可救治
(まるで世界は粉々で もうふたりとも助からない)
我但求乘風飛到別處再重新開始
(風に乗ってどこか別の場所で またやり直したいよ)
願你可以給我寫首詩
(詩でも書いて贈ってほしい)
紀念我們約會過六次
(ふたりの六度のデートの記念)

軽やかな曲調と裏腹に、漠然とした悩みや不安を歌うこの曲だけど(「成長なんて悲劇のはじまりに過ぎないこともある」「今までしてきたこと あまり意味なんてなかった」「誰といても幸せになれない そんなのわかってる」)、冒頭の太宰治への言及も相まって文学的な雰囲気が漂っていて、最後の「優雅な一編の詩になりたい/君が何十回も読みたくなるような」(願我可變優雅的詩篇/這樣你便願看數十遍)というフレーズはMLA屈指の美しいフレーズになっていると思う。

また2011年の『milan』という曲は、『存在の耐えられない軽さ』などで知られるミラン・クンデラが言及されている。

你告訴我一個
(君が教えてくれた)
昆德拉的故事
(クンデラの物語)
關於一對情侶
(ひと組のカップルが)
假裝陌生男女
(見知らぬ男女を演じる)
再勾引對方去
(新しく相手を誘惑して)
酒店裡一起睡
(ホテルで一緒に寝る)
最終勾引到分不到
(最後は誘惑が行きすぎて)
對方和自己本身是誰
(もともとのふたりを見失う)

ここで言及されている物語は、たぶん『可笑しい愛』所収の短編「ヒッチハイクごっこ」だ。あるマンネリなカップルが、休暇を利用してヒッチハイカーとそれに拾われた女を演じてホテルに入る。女は「ふしだらな女」を演じながら解放された欲望を感じ、男は売春婦の相手をするように彼女に接して、途中まではお互い満足なんだけど、最後は元のふたりに戻れるか不安になってしまう、という話。

基本的にほぼ全編ベッドシーンな原作とは違い、この歌の主人公は彼氏のいる相手(しかも結構年下)に恋をしていて、プラトニックな恋人のふりをすることを夢想する。

你我不必一起睡
(一緒に寝なくてもいい)
睡了什麼都會失去
(何もかも失ってしまうから)
我最多只是想拖你的手
(せめて君と手を繋いで)
過一條馬路去
(車道を渡りたい)

が、もちろんそんなことは言い出せず、主人公は結局いつものようにカラオケで失恋ソングを歌うだけ、という歌。

クンデラの名前は、『愛情Disabled』(『結婚適齢期』収録)という歌にも、映画監督や芸術家と並んで出てくる。

昆德拉說的愛是機遇的、偶然的、命定的。
(クンデラ曰く、愛は巡り合わせで、偶然で、運命的なものである)
高達說的愛是刺激的、好玩的、有今生沒來世的、哲學的。
(ゴダール曰く、愛は刺激的で、楽しく、現世限りの、哲学的なものである)
小津安二郎說的愛是溫柔的、隱藏的、非愛的。
(小津安二郎曰く、愛は優しく、秘められた、愛らしからぬものである)
畢卡索說的愛是經驗的、性慾的、美好的。
(ピカソ曰く、愛は経験的であり、性欲的であり、美しいものである)
夏卡爾說的愛是聖潔的、救贖的、唯一的。
(シャガール曰く愛は清らかであり、救いであり、唯一なるものである)

l'amour, mes amants, mon amour, aimer.
愛情,愛人們,我的愛,去愛。
(愛、愛し合う人々、愛しい人、愛すること)
而我將要說的是,
(私は、こう言いたい)
l'impossibilité d'aimer dans notre temps.
我們時代的愛無能。
(こんな時代 愛など無能だ)

この文芸趣味を反映して、ひたすら「好きになった男が芸術を理解しない」という不満を歌う歌もある。例えば英語で歌われる『ゲンズブールを知らない男と恋をするなんて』(how can you fall in love with a guy who doesn't know Gainsbourg?;『寂しい金曜日』収録;2012年)。

How can you fall in love with a guy who doesn't know Gainsbourg?
(ゲンズブールを知らない男と恋をするなんて)
How can you fall in love with a guy who doesn't know Gainsbourg?
(ゲンズブールを知らない男と恋をするなんて)
If you expect him to be sweet with you,
(優しくしてくれると思う?)
I will say good luck to you.
(まあ せいぜい頑張れば?)

You can fall in love with someone who dislikes Gainsbourg.
(ゲンズブールを嫌いな男と恋をするならいいけど)
But you can't fall in love with a guy who doesn't know Gainsbourg.
(ゲンズブールを知らない男と恋をするなんて)
If you expect him to entertain you,
(楽しませてもらえると思う?)
your expectations will fool you.
(期待するだけ無駄だと思う)

『結婚適齢期』(2014)収録のポエトリー・リーディング作品『男神とキューブリック』もほぼ同じ。「男神」とは女神の男版で、かっこいい憧れの男性を指す中国語。日本語だととりあえず”イケメン”と訳すしかない気もするけど、見た目だけの概念ではない。この詩の中で、主人公はそんな理想のイケメンとスタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』をみて感激するが、肝心のイケメンにはその良さが伝わらず、幻滅しかけてしまう。

我一邊訴說對寇比力克的仰慕(キューブリックへの愛を語る私)
他一邊點頭沒有搭話(頷くだけで何も言わない彼)
好看嗎?(面白かった?)
我說(私が言う)
看不懂(わからなかった)
他說(彼が言う)
為甚麼?(どうして?)
為甚麼?(どうして?)
完美的男神(理想のイケメンなのに)
看不懂寇比力克(キューブリックがわからない)
完美的男神(理想のイケメンだから)
缺陷能原諒嗎?(欠点も許せるのかな)

こういうような文芸趣味を持ち、独特のオシャレ感覚を重んじる若者のことを中国語では最近「文藝青年」略して「文青」という。どうやらお隣台湾発の概念のようで、もともとの文学/文芸の愛好という意味を越えて、なんか意識高いオシャレそうな雰囲気そのものを指すようにもなっている。

ちなみに香港では、オダギリジョーと映画『宵闇真珠』(”白色女孩”)で共演した女優・モデルのアンジェラ・ユン(袁澧林)が、「文青女神」と呼ばれている。雰囲気がどことなく「文青っぽいから」らしい。要するにああいう雰囲気のことを文青と言うらしいのだ。

台湾のことは知らないけど、香港では”文青”の未来は決して明るくない。進学、就職、入居、結婚と、狭い香港に置いてどんどん生きるための「圧力」が高まる中、香港に置いて「文青」らしさを追求する余裕はどんどんなくなってきているように思われるからだ。MLA自身もすでに『仕事って誰の発明?』(2009)の中で、「仕事って誰の発明?芸術的発展には邪魔なだけ」と歌っていた。

だから、MLAのことを「香港最後の文藝青年」と形容している人もいる。

香港はかつて「文化砂漠」の汚名を着せられてきた。金儲け至上主義的なイメージからだと思う。実際には、もちろんそうではなく、ハイカルチャーからポップカルチャーまで、様々な文芸活動が行われてきたのだが、MLAはまさに、香港らしさと「文芸っぽさ」が、高度に両立可能なことを示した。正直文学や映画はあまりもともと詳しくない私でも、MLAの歌はなんとなくかっこいいと思ってしまう。

でもこの奇跡のような融合が今後も続くとは限らない。香港の今を見ていると、そうあって欲しくはないけど、確かにMLAは「最後の文藝青年」になってしまうのかもしれない、とも思ってしまう。

【居心地の悪い本土主義: My Little Airport私論】
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