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こんな時代のラブソング:MLAと愛情 【居心地の悪い本土主義: My Little Airport私論⑦】

これでこの連載も一応最後のつもり。これまで香港のインディーズバンドMy Little Airportの歌詞世界を、仕事の愚痴文学の引用香港への郷愁旅にでる理由政府への批判と順にみてきた。しかしもちろん彼らだって普通のラブソングも歌っている。

例えば最新の2018年のアルバムに収録されている『Hey Hey Baby』は、「歴代でもっとも甘いMLA」とも言われるほど、甘々なラブソングだ。

この歌は、作曲がバンドの阿Pではなく『K歌之王』、『痛愛』などの名ラブバラードを手がけた作曲家の陳輝陽。だからかMLAの中では異色の曲になっている。ニコルが歌う短いサビは、彼らにしては珍しいほどにストレートな愛を歌う。

手機裡螢幕放著是你照片
(携帯の待ち受け画面に 君の写真)
當要看時間便看見你視線
(時計を見るたび 目が合うように)

それ以外の阿Pが自分で歌う部分には彼らしいユーモアも含まれている。

有次同你搭長途巴士去瑞典
(君と長距離バスでスウェーデンに行った時)
巴士查飛嘅人問我另一半喺邊?
(バスのチケット係に片割れはどこかきかれた)
當時我指住你 你排緊喺我後面
(僕は君を指差した 後ろに並んでた君を)
然後查飛嘅人話唔係
(そしたらチケット係は いや違う)
係張飛嘅另一半喺邊
(チケットの片割れだ と言った)

「もう半分」は、英語(other half)でも広東語(另一半)でも伴侶・パートナーのことを指す表現だ。だから彼はチケットの「もう半分」がどこに行ったか聞かれたのに、勘違いして自分の恋人を指差してしまった。MLAお得意の日常の気まずい瞬間を描いているわけだけど、暗に「君」を大切な伴侶として思っていることを伝えてるから、どこかロマンチックでもある。

2番の歌詞は、もっとはっきりベタベタしている。

有晚開始傾極電話都唔收線
(夜になれば なかなか切れずに長電話)
然後每晚同你video chat到三點
(さらにそのあと 3時までビデオチャット)
你話唔想瞓住 驚瞓咗之後無得再見
(君は寝ようとしない 寝たらもう会えないかも と)
但我一眯埋眼只見到你的臉
(僕は目を閉じたら 君の顔しか見えないのに)

こんな歌もないわけではないけど、彼らの愛に対する態度は総じて斜に構えているというか、ひねくれている。

2011年の美しい小曲『のらくらの君、停泊しちゃだめだ』(”你是浪子,別泊岸”)では、「誰もが愛の罠に落ちる」中、特定の相手を持たずに飄々としていられる「君」に対して、そのまま変わらないで欲しいと歌う。

你是浪子別泊岸
(のらくらの君 停泊しちゃだめだ)
一般人都難以抵抗 
(普通の人はなかなか抵抗できない)
眾生都墮入情網
(俗物はみな恋の罠に落ちてしまう)
你是我們唯一寄望 
(君が僕らの唯一の希望だ)

每當看見路上的愛侶擁抱互望
(路上で抱き合い見つめ合う恋人を見るたび) 
我只看得見絕望
(僕はみていて絶望しかない)
「離婚的最主因是結婚」這不是亂講 
(「離婚の最大の原因は結婚」 ってのはデタラメじゃない)
一百年前已流傳西方 
(西洋では100年前から言われてることだ)

你是浪子別泊岸
(のらくらの君 停泊しちゃだめだ)
清風是你的翅膀
(そよ風が君のつばさで)
太陽帶給你光芒
(太陽が君を輝かすのに)
泊岸卻令你枯乾
(停泊したら 枯れてしまう)

2014年の『愛情Disabled』では、もっと悲観的に、「愛情障碍」をもつ主人公の気持ちを歌っている。

當我向政府申請津貼時職員看著我然後
(政府に補助金を申請した時 職員は私を見て)
問我申請津貼到底是基於一個什麼的理由
(一体何が理由の補助金申請か 尋ねてきた)

love disabled……

當我搭巴士向司機展示我張優惠證時候
(バスに乗り運転手に優待証を見せた時)
司機看著我彷彿想問我究竟是什麼因由
(運転手は原因を聞きたげに私を見た)

love disabled……

當我想找一個好友得到心靈上的解救
(心の救いを求めて友達探しをした時だって)
總是沒有一個可以找得到我心靈的入口
(誰も私の心の入口を見つけられなかった)

love disabled……

當我見到戲院的觀眾開始投入到淚流
(映画館で観客が涙を流し出していても)
我都想知道故事有什麼值得大家憂愁
(いつも何がそんなに悲しいのか疑問だ)

love disabled……

その後、様々な偉人たちの愛に関する言葉を引用するが、最後は「私たちの時代、愛など無能だ」と結論づける。

確かに昨今の香港の状況をみていると、もはや「愛」を信じる空間はほとんど残されていないように思えてしまう。だいいち、「愛」はポップスの素材としてももう使い古されて、おしゃれじゃない。1990年代のカントポップ全盛期に粗製濫造された御涙頂戴系ラブソングのおかげで、ロマンスは飽和してしまった。1990年代以降のカントポップを代表する作詞家・林夕はそんな時代の空気を敏感に察知し、あえてそれを逆手にとった『K歌之王』(カラオケソングの王;2000年)の中で、イーソン・チャンにこう歌わせている。

還能憑甚麼 要是愛不可感動人
(今更どうできる 愛も感動を呼べぬなら)

(ちなみにこの曲の作曲者は、前にも書いたように、MLAの”Hey Hey Baby”も作曲した陳輝陽だ)

でもこんな香港でも、たとえ催涙ガスの霧の中でも、愛を育む恋人たちはいる。

MLAも雨傘運動の最中に発表された『今夜はコンノート・ロード・セントラルで眠ろう』(2014年)の中で、そんな「革命の中の恋人たち」に捧げられている。

今夜到干諾道中一起瞓
(今夜はコンノート・ロード・セントラル一緒に眠ろう)
這是我最可負擔的租金
(ここの家賃ならはらえるだろう)
以後會否改變都不要問
(今後何かを変えられるかは どうでもいい)
起碼這夜你我同行
(少なくとも今夜 僕は君と一緒だから)
(…)
失眠只為路燈
(眠れないのは街灯のせい)
防暴使你我心更近
(防暴警察が2人の心を近づける)
大會的咪可否細聲一陣?
(本部のマイク しばらく小さくならない?)
我聽不到愛人的聲音
(愛しい人の声が聞こえないから)

我將記得面前黑社會的佈陣
(僕は忘れない 目の前に陣取るヤクザの布陣を)
曾經一晚煙霧使我看你更真
(あの夜 煙霧のおかげではっきり見えた君の姿を)
還有龍和道站最前的女生
(そして龍和道で最前線にたった女性が)
草地跑過的腳印
(芝生に残していった足跡を)

この歌は生き辛さをどうにもできない今の香港で、それでも愛を諦めない人々への賛歌だ。雨傘運動は結局大きく政府を動かすことはできなかったが、この歌が歌うように「少なくともこの夜一緒にいた」恋人たちの経験は消えないだろう。

しかしその4年後、『Hey Hey Baby』も収録された最新アルバム『また会おうって言ったのに』("你說之後會找我")の収録曲『アムステルダムのナイトフライト』("阿姆斯特丹夜機")では、恋人を持つことのまったく反対の意味が歌われている。

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7月15日深夜、アムステルダムに向かう深夜の飛行機の中、間の悪い機内食に目が冴えて眠れなくなった主人公は、脈略なく様々なことに思いをめぐらす。小学校のとき、先生に「親にテレビを見るのを禁止されたら、みなさんどうすべきでしょう」ときかれて、「窓の外の隣の家のテレビをみます。音無しだけど見れるだけまし」と答えて怒られたこと。土瓜湾での暮らしに飽きてしまっていて、わざと違うバス停で降りて家まで新しいルートで帰ったりしていること。この旅行が終わったら、「清朝みたいな」格好の老人たちの街、深水埗に引越しを考えていることなど。

「あの日、7月14日」、主人公は飛行機に乗る前にネットをみた。彼の目に飛び込んできたのは、故郷のどんなニュースだろう*1。しかし、彼のこんな独白で、この歌は終わる。

我已經有愛人,香港無我嘅事。
(僕にはもう恋人がいる 香港の事なんか関係ない)

守るべきものの存在は人を保守化させる。この2曲の間に横たわる「感嘆すべき」差異は、「次の世代のために」と路上に出て催涙ガスの煙の中に愛する人の真の姿を見たはずの「廢青」*2 たちが、4年の歳月を経て無関心な大人になってしまったことを示しているのだろうか。

あるいは、そのふたつの態度のあいだに、そんなに違いはないのかもしれない。もともとMLAの描く若者たちは決して高潔ではない。彼らはつねにシニカルで、逃避的だ。やたらと旅に出たがり、そして傍迷惑なことに旅先で死にたい願望すら口にしたりする。すぐにタバコや大麻に逃げる。それでいて芸術に関してはビッグネームに弱く、それを知らない人をバカにするスノビッシュなところもある。政治を語ってみたりもするけども、それよりも「バレンタインに君と寝たい」("迷人的頸巾")、「友達みたいに良いAVをダウンロードしたい」("I Don't Know How to Download Good AV Like Iris Does")と思っているようなヤツら、ようするに普通の若者だ。

恋人とともに占拠された路上に繰り出して次世代のための高邁な使命を口にした若者と、ネットで目にした絶望的なニュースを「自分の事じゃない」と閉じて飛行機に乗り込む若者、携帯で伝わってくる情報よりもその待受画面にうつる恋人の顔が世界のすべてであるような若者の差——MLA自身の言葉でいえば「暴動的青年」と「傍観的青年」の差("牛頭角青年")——は、もしかすると外から見るほど大きくはないのかもしれない。

事実、それから1年後の今年6月、香港の「若者」たちは再び路上に出た。

今度はMLAはどんな「愛」を歌ってくれるだろうか。先行きの見えない香港情勢だけど、少なくともそれだけは楽しみに待っていたい。

【居心地の悪い本土主義: My Little Airport私論】
前:⑥音楽による抵抗: MLAと政治
次:おまけ No, Non, いいえ: MLAと言語

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*1 前年の2017年7月14日に香港の裁判所は民主派議員4名の資格剥奪を決定している。(https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM14HA8_U7A710C1EA3000/)。

*2 頹廢青年(退廃青年)の略で、雨傘運動に参加/支持した若者に対する蔑称。





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