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精霊につかまった子ども:文化と医療を考える 【書評『The Spirit Catches You and You Fall Down』】

自宅に篭って読書する中で、また素敵な本に出会えた。

1997年にアメリカで出版された『精霊につかまって倒れる』(The Spirit Catches You and You Fall Down)という不思議なタイトルの本で、東南アジアと文化人類学に関する本を探していた時に、偶然おすすめとして表示されたので購入した。

副題に『モンの子どもとアメリカの医師たちと二つの文化の衝突』(A Hmong Child, Her American Doctors, and the Collision of Two Cultures)とあるように、「モン」という民族集団の子どもと、カリフォルニアの病院の医師たちとの異文化衝突を題材にしたノンフィクションだ。

主人公となるのは、ラオスからアメリカに難民としてやってきたモンの一家に生まれた「リア」という女の子で、彼女は出生直後から激しい痙攣を伴う発作に悩まされていた。地域の病院の医師はリアの症状を「てんかん」とみなし治療薬を処方するが、彼女の家族は、モンの伝統医学に基づいて、彼女は「精霊につかまって倒れる」病気に罹ったのだと考えてしまう。双方がお互いを理解できないうちに、リアの病状はどんどん悪化していってしまう‥…。


文化人類学を学びはじめてからというもの、自分が研究しようとしている「文化」というものが一体なんなのかをわかりやすく伝える手段がないものだろうか、と悩んできた。

ふつう日本語で「文化」と言った時、多くの人が思い浮かべるのは、たとえば芸術や娯楽のような、生きるのに不可欠ではないけどあると生活が楽しくなるような「趣味」「余暇」の世界か、あるいはお祭りや伝統行事のような、普段の自分たちの暮らしとは少し異なる「伝統」の世界のことだと思う。

でも、文化人類学者の扱う「文化」の範囲はこれよりもっと広く、人の世界観や人生観、生き方そのものに影響を与えるような価値観や実践のことを指す(と思う)。

こういう意味での「文化」は、特定の人々だけが持つものではなく、誰もが持っているものだ。そして、それは特別な時間、趣味の時間だけではなく、人生そのもの、人の生死にそのものに関わるような、とてもシリアスなものになりうる。

この本は、プロの人類学者によって書かれた本ではないけれども、そういう「文化」に向き合おうとする文化人類学の態度をわかりやすく伝えてくれるかもしれない本だと思った。

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筆者のアン・ファディマンは研究者ではなくジャーナリスト/作家のようだけど、リアの家族の「文化」に向き合おうとする筆者の態度が、文化人類学者によく似ているからだ。

ラオス高地の村から突如としてカリフォルニアに移り住むことになり、独自の生活を続けるモン難民のことを、地元の住民やメディアは「まるで石器時代」「ウサギの穴に落ちたアリスのようだ」と揶揄した。病院の医師たちも、祈祷や生贄などの独自の「治療」に頼り、指示通りの投薬を拒むリアの両親を、無知な患者だと相手にせず、一時は州裁判所に「虐待」として訴えて親権を剥奪しようとすらする。

一方で筆者は、リアの両親が行おうとする「治療」を西洋的な医学知識に比べて劣ったものとはみなさず、彼らの立場に寄り添うことで、彼らがどうしてリアが「精霊につかまって倒れた」と信じているかを理解しようと努めている。自分の文化と他人の文化に優劣をつけず、ただの異なる立場、視点として理解しようとする態度は「文化相対主義」と呼ばれる文化人類学の基盤だ。

もちろん、経験則に基づく文化と、綿密な実証実験に支えられた医学をはじめとする科学では、知のあり方が根本的に異なる。リアの症状を適切に治療することができる可能性が高かったのは、おそらくカリフォルニアの医師たちの治療だったはずだ。しかし、リアの一家がなぜ医師たちの言葉を理解することができなかったか、信じることができなかったのかは、偏見や先入観を捨てて彼らの立場によりそう筆者のアプローチからしか見えてこない。

本書には、私たちの慣れ親しんだ近代的医学の知識と、それに親しんだことのない人々が思い描く人間観、健康観との驚くほど根本的な違いが描かれている。その中で、逆説的に、近代的医学の側の「特殊性」も観察されている。リアの一家が「文化」を持つように、カリフォルニアの病院の医師たちの間にも、彼ら独自の知の体系とコミュニケーション方法、すなわち「文化」がある。

たとえば、集中治療室でリアを治療したある医師は、長時間彼女の病気に向き合いながら、彼女の性別すら気付いていなかった。

たとえば、12時間以上連続でリアの治療にあたったコパチ医師は、彼女の性別にすら気付いていなかった。『彼の代謝性アシドーシスは重炭酸塩一回の投与で減少』『彼の末梢灌流は改善し、パルスオキシメーターの値も動脈血サンプルの飽和度に相関し始めた』と彼は書いている。そこにあるのは、アメリカの医学の最低で最高な姿だった。患者は女の子ではなくただ分析可能な症状の集合として扱われ、それにより医師は自らの労力を節約することが可能になり、彼女を生存させることができた。

筆者はもちろん医師側を断罪しているわけではなく、患者をある種非人間化して捉え、症状にのみ注目することが、医師たちがストレスに対処する方法なのだろうと分析している。時に侮蔑的とも思えるほど軽率な言葉でリアの病状を語る主治医について、筆者はこう書いている。

リアを「ベジタブル」と呼ぶことは、おそらく、一種の逃避だったのだろうと私は思う。リアに起こった出来事を語る彼とペギーの言葉づかいは、『マッシュ』[朝鮮戦争に従軍した軍医を描くブラック・ユーモア作品] の医師たちが極度のストレス下で好んで用いたような、ブラック・ユーモア的なスラングだった。笑い飛ばしてしまえば、悲しまないで済むという理屈だ。「薬漬けになった」(She got gorked.)、「ベロベロだった」(She crumped.)、「脳が焦げた」(She fried her brain.)、「野菜状態だ」(She vegged out.)「とちった」(She crapped out.)、「御陀仏だ」(She went to hell)、「まるでお留守だ」(No one's at home, the lights are out.)。

しかし、何よりも目の前の症状に注力しようとする彼らの苦悩は、リアの一家にはまったく伝わらなかった。リアの両親は、彼らの態度をただの冷血さと怠惰の印として理解した。

この物語には悪役がいない。リアの両親は、医師たちが考えたような、子どもを大切に思わず、育児放棄をするような親ではなかった。また医師たちは、リアの両親が考えたような、治療を機械任せにして、楽をするために薬を投与する怠けのもののヤブ医者ではなかった。勤勉な医師と愛情深い両親とが、価値観の違いに阻まれて、互いをまったく理解できなかったことがこの物語の悲劇だった。

カリフォルニアの医師たちがリアをてんかんと診断し、適切な治療法を提示したように、医学をはじめとする科学は、人間にとって物理的に最良の選択は何なのかを示せるかもしれない。そしてカリフォルニアの裁判所が「虐待」を理由にリアの両親の親権を剥奪しようとしたように、政治はそんな選択を個々の人々の意思に関わらず強制する力を持っている。ただ、結局、その選択を人々がどう捉えるか、どのようにして実行するかを決めるのは、やはり「文化」の問題である。

医学と政治と人々の行動について、一際考えさせられる状況が続いている今だからこそ、この本を読めてよかったと思う。

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もう一つ、今だからこそ感じた本書の魅力は、この物語が、国境を越えた人の移動に関わる点だ。

アメリカの医学を理解しようとせず、村の慣習に基づいた治療を続けようとするリア一家の態度について、郷に入っては郷に従え、「アメリカに来たのだからアメリカの文化に従うべきだ」と考える人もいるだろう。実際、突如としてコミュニティにモン難民を抱えることになった地域住民たちの中には、この異なる文化をもつ隣人たちを自分勝手な厄介者とみなすものも少なくなかったらしい。

だけど、彼らは自分勝手にアメリカにやってきたわけではなかった。

本書は、カリフォルニアの小さな街を舞台にリアの病気と治療の物語を描く傍ら、時折モンとラオスとアメリカの歴史を扱う章が挟み込まれていて、彼女がアメリカで生を受けるまでの背景も丁寧に描いている。

(こういった民族集団の集団としての歴史は、プロの人類学者が書く本や論文の中ではたいてい巻頭に置かれた「調査地概要」の中で駆け足に描かれるだけで、ひどく退屈なものになりがちな(気がする)のだけれど、具体的な一家の物語と交互に描かれることで、とても「読ませる」巧みな構成になっている。)

ラオス高地に居住していたモンの一部は、冷戦下、CIAの支援を受けて共産主義勢力と戦うことになったが、アメリカの撤退後は後ろ盾を失い、難民として世界各地に逃れた。リアの一家も、そうした経緯で命からがら祖国を逃れ、アメリカにやってきた人々だった。

人が移動するのには、たいていの場合、なんらかの理由がある。

表面的には極々個人的な動機からなされた行為のように思えるけれども、背景には、外部者が容易には想像しえないような、大きな物語があるのかもしれない。

ここでもやはり当事者の視点に寄り添うことなしには、人の移動とそれがもたらす問題に適切に対処することはできないだろう。

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本書には批判がないわけではないようだ。プロの文化人類学者や文化批評家の中には、この物語はよくできすぎているとか、「文化」の描写が一面的すぎるとか、批判する論文を書いている人もいるらしい。確かにこの物語を一般化しすぎるのはよくないだろう。

筆者自身、出版から15年後に書かれた後書きの中で、モンの人々が今でも本書で描かれた1980年代と変わらず暮らしていると思い込む読者が多いことに苦言を呈して、「モン=アメリカ人の文化は時を超えて凍結されているわけではない」と書いている。

しかし、それでも本書は、いまでもアメリカの多くの大学で、多文化医療やソーシャルワークのテキストとして用いられているという。

それは本書が、異なる背景を持つもの同士が互いを理解するため、筆者の言葉でいえば「共通の言語」を見つけるために必要な態度を、「相手の立場の気持ちになって考える」ということの大切さを示してくれるからだと思う。

それはきっと、文化人類学という学問が大切にする一番の原則でもあるはずだ。

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