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かれらが旅に出る理由:MLAと旅行 【居心地の悪い本土主義: My Little Airport私論⑤】

香港の今時の若者のフラストレーションをユーモラスに歌い上げるバンドMy Little Airport。彼らの歌『すばらしい新香港』の主人公は、変わりゆく香港での暮らしを「まるで海外旅行中」と歌った。

実際、どうにもならない香港の日常への対策のひとつは、本当に海外旅行に出てしまうことだ。香港の書店には、大量の海外旅行用のガイドブックが並んでいる。公共図書館の貸し出し上位本も旅行ガイドばっかりだったりする。そんな香港の日常を反映してか、MLAの歌詞にも旅が多く出てくる。それは、台湾への駆け落ちを歌う『こっそりためてる頭金』や、あるいは恋人と世界一周をしたあと北極で一緒に凍え死にたいと歌う『北欧が僕らの死の終着駅』("北歐是我們的死亡終站")のように非現実的な妄想を語ったものもあれば、実際の旅行を題材にしたものもある。

ついでに言うと『今夜は大麻を持ってない』、『ネイザンロードの一晩のグッドトリップ』のように、別の種類の「トリップ」を扱う歌もある。

我的煩惱不是愛人對我不夠真
(僕の悩み それは恋人が誠実でないことじゃなく)
亦不是她對我流露蔑視的眼神
(ふいに軽蔑の眼差しで見てくることでもなく)
No, non, いいえ, 不是朋友逐一結婚
(ノー ノン いいえ 友達が次々結婚してくことでもなく)
而是今天沒大麻在身
(今日 大麻を持ってないこと)
而是今天沒大麻在身
(今日 大麻を持ってないこと)
每到晚上六七點我先會開始 weed
(毎晩 6、7時になったらハッパの時間)
再走上一架巴士坐上層的最前
(そしたらバスに乗って2階席の一番前へ)
(…)
搭搭下我突然間記返起 喺我幾歲嘅時候
(乗っていて突然思い出した 小さい頃)
香港曾經有過一兩單交通意外
(香港で起こった交通事故で)
坐巴士上層最前嘅乘客被撞死
(バスの2階の最前列の乗客が亡くなった)
自始之後 呢個位就俾啲大人講到好危險
(それから 大人たちがその席は危険だと言った)
三十年嚟 我好似失去咗理性
(30年経って 私は理性をなくしたらしい)
每次上到上層都會自動坐後面
(毎回 2階に上がると自動的に後ろに座る)
直到smoke咗之後 先揀最好嘅風景放在面前
(でもハイなときだけは 風景の綺麗な前を選ぶ)


実際の旅行が題材の中では、人気の旅行先である日本が舞台になる歌もある。

たとえば2014年の『京都民宿夜』。京都の民宿にとまったある晩、主人公は宿主の子供が話すのをきいて、自分の子供時代をふと思い出す。

那夜聽見 房外老闆娘輕聲傾吐
(あの夜 部屋の外 主の娘のヒソヒソ話が聞こえた)
不知與誰 我突然回到六歲
(誰とだろうか 私は突然6歳の頃に戻った)
只有童年 才會比家人更早睡
(子供の時以来だった 家族より早く寝るのは)
聽到母親 在客廳隱約的字句
(母親がリビングで何か言うのを 聴いてたあの頃)

那夜只想 在被窩聽落去
(あの夜 ただ布団に包まり 聞いていたかった)
我怕忘記 從前各樣瑣碎
(忘れたくなかった 昔のあれやこれやを)
只得那夜 才能片刻重聚
(あの夜があったから また集められた)
謝謝來到 京都這裡
(よく来てくれたね ここ京都へ)

”ありがとうございました”

2018年の『沖縄の野良猫』(”沖繩流浪貓”)は沖縄で出会った野良猫をめぐる物語で、野良猫に気に入られてついてこられてしまうが、もちろん連れて帰れるはずもなく、結局主人公は旅先では客人に過ぎない自分の立場を思い起こすことになる。

(公式の歌詞ビデオに日本語がついているので訳詞は割愛する)

香港の未来を憂いて海外に逃げ出す「移民ブーム」は戦後の香港史の中で定期的にあり、そのたびにポップスの題材にもなってきた。香港カントポップの先駆け的な一曲ともされるサム・ホイの『鐵塔凌雲』(1972年)も、1967年の左派暴動後の移民ブームを受けて作られた曲だった。

サムの兄マイケルの実体験を元にしたこの歌は、世界を旅してエッフェル塔や富士山、自由の女神、ホノルル島などを見て回るけども、どれも故郷の風景と比べるとどこかものたりなく感じてしまう気持ちを歌っている。曲の最後、結局主人公は故郷に帰って精一杯生きるべきだと思うようになり、意気揚々と帰路につく。

俯首低問何時何方何模樣
(こうべを垂れ尋ねる いつ どこで どんな風に)
回音輕傳此時此處此模樣
(やまびこがやさしく答えた いま ここで こんな風に)
何須多見復多求
(これ以上何を求める必要があるだろう)
且唱一曲歸途上
(だから歌いながら帰路についた)
此時此處此模樣 此模樣
(いま ここで こんな風に こんな風に)

この印象的な「いま ここで」(”此時此處”)というフレーズは以降サムの代名詞ともなり、彼の伝記本のタイトルにもなっている*1。その後も移民ブームが訪れるたび、サムは人々に香港にとどまることを訴える歌を発表している*2。

MLAの『ドイツの歌詞を訳せと君に頼まれた』(”你叫我譯一首德國歌詞”;2018年)も同様に旅先で故郷を思う気持ちを歌っているが、結論はもっとアンビバレントなものになっている。

この曲は「ドイツ」がタイトルに入っているのに、なぜか日本語の搭乗アナウンスからはじまる。主人公は旅行中で日本の空港にいるのだろうか。「君」から訳すように頼まれたドイツの歌詞も外の世界に飛び出すことを歌っていた。どこまでがこの歌詞の中身でどこからが主人公自身の言葉なのかはよくわからないけど、サビでは旅に出たくなる気持ちと、それでも旅先でふと故郷に帰りたくなってしまう気持ちが歌われる。

祈求風和雨 吹我到理想的遠處
(風と雨に祈る 理想の遠い場所に飛ばしておくれ)
故土沒法跟隨我意願
(故郷は思うようになってはくれないから)
但為什麼終於 穿過海灣來到老遠
(なのにどうして 海を越えて遠くまで来たのに)
卻很想返回我的屋邨
(結局 自分の団地に帰りたくなるのだろう)

故郷が思うようにいかない、自分の意のままになってくれない、だからこの主人公が香港を離れて旅に出る。でもいざ海外に来ると、彼/彼女はふと「屋邨」(uk1cyun1)と呼ばれる香港の公共団地に帰りたくなってしまう。

2番では同じ堂々巡りを、反対向きに描く。

祈求風和雨吹我返故鄉的某處
(風と雨に祈る 故郷のどこかへ帰しておくれ)
異國沒法消除我睏倦
(異国もこの気怠さを消してはくれないから)
但為什麼終於 返到故鄉鞋也未轉
(なのにどうして 帰って靴も変えないうちに)
卻很想離去我的屋邨
(また自分の団地を離れたくなるのだろう)

海外にいるのに嫌気が指して故郷に帰りたくなる。なのに帰ってくるとすぐにまた出かけたくなってしまう。

最後はもう一度、「なのにどうして 海を越えて遠くまで来たのに/結局 自分の団地に帰りたくなるのだろう」と繰り返されて終わる。

MLAが描く今時の香港の若者は、海外への移民に踏み切ることもできなければ、かつてのサム・ホイのように「いま ここで」の暮らしを理想視することもできず、故郷と異郷の両方への期待と失望を繰り返しながら生きている。

居心地の悪さをかかえながらも香港への愛着を捨てきれない彼らに残された選択肢は、社会の現状を変えるために「体制」と戦うことだけだ。たとえそれが、シーシュポスの戦いのように希望の見えないものであっても。

それがMLAが代表する、もうひとつの若者のあり方である。

【居心地の悪い本土主義: My Little Airport私論】
前:④こんな香港に誰がした: MLAと郷愁
次:⑥音楽による抵抗: MLAと政治

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*1 吳俊雄『此時此處:許冠傑』天窗出版、2007年

*2 例えば、返還を控えた1990年の『同舟共濟』、SARS後カムバックして発表した2004年の『繼續微笑』など。


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