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「ことばの再発明」成果発表展 会場パネル文

今年度、作家活動と並行して取り組んできた連続講座企画「ことばの再発明」の成果発表展を、2020年9月25日(金)〜28日(月)に「Gallery そら」で開催しました。以下で開催レポートを読むことができます。

会場に設置したパネルの文章を、以下に転載しておきます。

以前に公開した「なぜ「ことば」は再発明されなければならないのか」と重複している部分も多いですが、より簡潔に講座と展覧会の趣旨を書くことができているのではないかと思います。

(1)連続講座「ことばの再発明」について

 本展は、鳥取で活動するアーティスト、クリエイター、デザイナー、パフォーマーなど広い意味での表現者=「つくる」人を対象とした連続講座「ことばの再発明-鳥取で「つくる」人のためのセルフマネジメント講座-」の成果発表展です。

 私たちはいま、かつて宮沢賢治が夢見た「誰もが芸術家である」かのような時代に生きており、そこで理想と現実のギャップに直面しています。インターネットで全世界に向けて作品を公開したり、手軽に利益を上げるための仕組みは整ってきたけれど、作品数も作家数も飽和してしまい、相変わらず専業芸術家として生計を立てることは難しい。他方で経済状況は年々厳しさを増し、採算を度外視した趣味やアマチュア活動に没頭するような余裕もない。別の仕事で稼ぎつつ、制作活動でも多少なりとも収入を得る方法を探して、何とかやりくりしていくほかない……。要するに私たちは、「誰もが芸術家である」というよりも、「誰もが兼業芸術家」であらざるを得ないような時代に生きているのではないでしょうか。

 「誰もが兼業芸術家」だということは、ただ作品を作るだけでなく、トークイベントやステイトメント、プレゼンや助成金申請など様々な場面で「言語化」が求められることを意味します。ふだんから言葉を用いる小説家や詩人でさえ、それとは別に「説明」や「紹介」の言葉を求められます。言葉を操ることに長けていなければ、作家活動を続けられない。いやでも自画自賛しなければ、制作費や発表機会が得られず、生活もままならないという現状があります。コロナ禍への対応策として、文化庁が「文化芸術活動の継続支援事業」を始めたものの、条件の厳しさや手続きの煩雑さから申請件数が伸び悩んでいるという報道も、記憶に新しいでしょう。

 「つくる」人にとって、自分の表現と言葉の関係は複雑で、厄介で、悩みの尽きない問題です。「語るべきことは作品で全部語っているのに」とか「言葉にできないから作品を作っているのに」といった葛藤が常に付き纏います。連続講座「ことばの再発明」では、具体的な申請書の書き方やプレゼンのコツを指導するのではなく、まずは個々の作り手が抱えるそうしたもやもやに寄り添い、共に悩みながら考える場を作りたいと考えました。18名の受講生は、自身のこれまでの作品や活動を顧み、検証し、言語化して、堂々と(あるいはおそるおそるでも)納得いくかたちでセルフマネジメントを実践できるようになることを目標に、講師や他の受講生との対話を重ねてきました。(オリエンテーションのレポート

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(2)第1期「アートとことば」について

 第1期は7月22日から8月10日まで、計5日間のプログラムで行われました。テーマは「アートとことば」。なぜ作品を作るのか、なぜそのジャンルやメディアを選んだのか、そこで言葉はどのように関わってくるのか……といった問いを一つ一つ丁寧に取り上げ、自分自身の内側を深く掘り下げていくことを目指しました。

 1組目の講師は、NHK番組ディレクターとして悩みを抱える人々の声に耳を傾け続けてきた後藤怜亜さんと、詩人として言葉と向き合い続けてきた白井明大さん。それぞれ「聞くこと」と「書くこと」のプロフェッショナルであり、受講者が抱える深刻な問題から些細な問題まで分け隔てなく、妥協せず、とことん付き合ってくれる強さを持つ二人でした。(講演レポート

 2組目の講師は、クリエイティブディレクター・編集者の大林寛さんと、漫画家の西島大介さん。大林さんはデザインについて、西島さんは自分自身の作品や活動について、それぞれ言語化が困難なものや言語化が忌避されているものを、あえて言葉で語りきることにこだわってきた経験を活かし、受講生が自分の言葉を作り上げていくためのヒントを提供してくださいました。(講演レポート

 本展の開催にあたって、各受講生には ①自分自身の作品を1点以上、②何かしら自分自身を説明するもの(キャプション、Zine、ポートフォリオ等)をセットで出品してくださいとお願いしました。これから皆様にお読みいただく、会場内に散りばめられた無数の「言葉」には、いずれも何かしらのかたちで講師との対話が反映されているのではないかと思います。

 ただしそれらの言葉は、一見して唯一無二な、斬新な言葉だとは限らないし、明瞭かつ平易に作品の魅力を解説してくれる言葉であるとも限りません。標準的な作家プロフィールの形式に則って書かれた言葉もあれば、その作品や作家がますます分からなくなるような、謎めいた言葉もあるでしょう。

 本展および講座のタイトルの元になっている「車輪の再発明」とは、すでに普及している技術を一から作り直してしまうこと。非効率で無駄な努力として否定的に見られがちですが、ここでは肯定的に捉え直したいと思います。

 作り手の数だけ表現のかたちがあるのと同様に、言葉との適切な関係性や距離感も人それぞれ異なっている。表面的に目新しい言葉や奇を衒った言葉を得ようとするのではなく、たとえそれが講座参加前と較べてさほど代わり映えしない言葉であったとしても、その人自身にとって必要な言葉、適切な言葉を吟味し、選ぶこと。「ことばの再発明」とはそのような試みであると考えています。

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(3)第2期「デザインとコミュニケーション」について

 第2期は8月18日から9月9日まで、計5日間のプログラムで行われました。テーマは「デザインとコミュニケーション」。自分自身の内側を深く掘り下げていくことを目指した1期に対して、2期では、自分自身の表現や問題意識、主張をいかに外側に開いていくか、いかにして他者に伝えていくかということにフォーカスしました。

 1組目の講師は、建築家/リサーチャーの榊原充大さんと、仮面劇作家/言葉と企画の篠田栞さん。共に、クライアントの話を聞いて問題を摘出し、解決策や打開策を提示することのプロフェッショナルですが、人と人の間に立って円滑なコミュニケーションをデザインすることに主眼を置く榊原さんに対し、篠田さんは個人の趣向や欲するものを深く探ることを重視するというように、対照的なアプローチが印象的な講演・対話となりました。(講演レポート

 2組目の講師は、クリエイティブディレクターの熊野森人さんと、キュレーターの高橋裕行さん。講演では、豊かな知識と経験を背景に、既存の枠組みに収まらない「見せ方」や「伝え方」の実例を数多く示していただきました。合理的かつ経済的な正解を求めるだけでは不十分。あらゆる作品やプロジェクトには余白や余裕が必要だ、遊び心が持つべきだということを教えてくださいました。(講演レポート

 本講座で誰に講師をお願いするかを検討する中で、企画者間で共有していた信念は、優れた芸術家は「作ること」だけではなく「見ること」や「聞くこと」のプロフェッショナルであるということです。また、そうした人々こそが未来の芸術家のモデルとなっていくべきだということです。「誰もが芸術家」であり得る時代に、それでもなお芸術家やアーティストの肩書きを背負う者が果たすべき役割は、自分自身の作品を作ったり、独創的なアイデアを実現するだけでなく、他者の持つ魅力や面白さを見つけ出し、そのポテンシャルを引き出す手伝いをすることではないかと考えたのです。

 4名の講師と対話をおこなう中で、受講者たちは「こう語ればこう伝わるのか」「この話をするとそこを拾われるのか」「自分の作品はそんなふうに見えるのか」といった発見を重ね、それをもとに自らの言葉を組み直したり、さらに洗練させてきました。こうした試行錯誤の経験は、自分自身のためだけでなく、他者の表現を受け取り、言葉を返していく場面でもきっと役立つはずです。ここに集った18名が、「作ること」「見ること」「聞くこと」のプロフェッショナルとして、今後も様々な舞台で活躍することを願っています。



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