見出し画像

鳥取市内の映画館&ビデオレンタルショップ年表(暫定版)

※見出し画像は「世界館」の跡地

「鳥取にかつてあった映画館」リサーチ

2019〜2020年にかけて、鳥取の自主上映活動を行う団体・個人にインタビューしたドキュメンタリー『映画愛の現在』三部作を制作した。

当初は「現在」の「自主上映」に絞ってリサーチを進めていたのだけれど、そもそも鳥取の映画館でどのような映画が上映されていたのか(上映されていなかったのか)を知らなければ、そのオルタナティブとしての自主上映活動の意義も正確に掴めないのではないかと思い始め、ずぶずぶと沼にハマっていくような感じで「鳥取にかつてあった映画館」リサーチを始めたのだった。

最終的には県内の映画館に範囲を広げるつもりで、ひとまずは住み慣れた鳥取市内から。特に当時の映画館を撮影した写真を探しているのだが、なかなか難しい。特に鳥取初の常設活動写真館「電気館」(1912〜1915)と、成人映画を中心に上映していたという「立川映劇」(1960〜70年代中頃?)は一枚も見つかっておらず、今後も見つかりそうな気がしない(もし情報をお持ちの方がいたら、ぜひご連絡ください!)。

各館の開/閉館情報のリサーチ

文献史料としては、日本海新聞に連載された高取正人さんの「鳥取映画史」が最もまとまった先行研究。戦前の映画館については、『なるほど鳥取事始め』『鳥取近代化の歴史考』など須崎博通さんの著作が詳しい。ウェブサイト「消えた映画館の記憶」も頼りになる。

それらに記載された開/閉館情報を、当時の新聞記事の映画案内欄や広告欄と照らし合わせ、確認していった。開館情報は日付まで特定できることが多いが、改称や閉館情報は大抵年月までしか分からない。

1939年までは鳥取新報、因伯事報、山陰日日新聞が情報源。それ以降は、三誌が合同して日本海新聞になる。鳥取県立図書館に行けば、鳥取新報と因伯事報は開架資料で容易に調べられるのだが、山陰日日新聞と1958年〜1987年の日本海新聞はマイクロフィルムのみなので、閲覧するだけでもかなりの時間がかかる。

途方に暮れかけたものの、図書館職員の方々の協力と、アルバイトで手伝いにきてくれた学生たちのおかげで、何とか夏の間におおよその開/閉館年月を確認することができた。残るは「立川映劇」と閉館情報と、「明治館」→「朝日館」→「日本館」と改称を繰り返した昭和初期の映画館の詳細だが、後者については有力な資料は残っていないかもしれない。

鳥取市内の映画館年表(2021.9.30暫定版)

以下は、これまでに調べた情報を表にまとめたもの。

オリジナルデータには開/閉館年月日も記載しているが、この暫定版では、鳥取映画館史の流れを大掴みできることを重視して省略した。いずれ何らかのかたちで完全版も公開できればと思う。

鳥取市内の映画館(1905〜1936)20210930暫定版

県内初の常設館「電気館」は短命に終わり、代わって鳥取育児院の尾崎信太郎さんが川端通りに開いた世界館と帝国館が、鳥取市を代表する映画館として長く愛されることになる。1926年には末広座(後に末広映劇)が開館し、1928年から1943年までは市内に四つの映画館(1934〜35年は五館)が並立する時代が続いた。

鳥取市内の映画館(1937〜1967)20210930暫定版

1956年から1962年までは、市内に同時に九館が乱立するという映画全盛時代。ちょっと現在の鳥取の風景からは想像しがたい数だ。一目、見てみたかった。

だが栄華は長く続かず、1959年に日本海テレビとNHK鳥取放送局が開局したことでテレビの時代がやって来る。映画館は次々に閉館していき、1961年にテレビの時代に抗うようにして開館した栄楽館も、約10年後の1972年には閉館してしまう。

鳥取市内の映画館(1968〜2021)20210930暫定版

80年代中頃には映画館の数は三館まで減少し、年表の空白が広がって何とも寂しい感じになっていく。この時期には、テレビに続く新たな脅威、ビデオレンタルショップが登場し、さらに映画館から観客を奪っていったのだった。

「鳥取市内のビデオレンタルショップ」リサーチ

だが観客の立場からすれば、これは単純に映画の鑑賞機会が減少したことを意味しない。むしろビデオレンタルショップの普及によって、これまでならわざわざ大都市まで出向かなければ見れなかった作品を気軽に鑑賞できる機会が増えたとも言えるだろう。

冒頭で「鳥取の映画館でどのような映画が上映されていたのかを知らなければ、そのオルタナティブとしての自主上映活動の意義も正確に掴めない」と書いたが、映画の視聴環境を考察するためには、「映画館」のリサーチだけやってもダメだと気づくことができた。「ビデオレンタルショップ」の変遷も併せてリサーチしなければ、やはり自主上映活動の意義や切実さ、上映作品選定の根拠を知ることはできないはずだ。

そんなわけで、県立図書館で『タウンページ』を閲覧し、鳥取県のビデオレンタルショップの年表も作ることにしたのだった。以下は鳥取市のビデオレンタルショップ年表

鳥取市内のビデオレンタルショップ(1985〜2021)20210930暫定版

日本海新聞の連載「鳥取映画史」には、1983年に県内初のレンタルビデオ店がオープンと書かれていたが、その店舗の名称や所在地はまだ見つけられていない。

『タウンページ』(1984年までは『鳥取県職業別電話帳』)の1983〜1985年版にはまだ「レンタルビデオ」という項目はなく、「写真撮影」という欄にそれらしき店舗名がいくつか記載されていた(ビデオ販売なのか、レンタルなのか、それ以外の業態なのか判断しようがない店舗名も多い)。1986年版では「貸フィルム」、1988年版では「貸しフィルム(貸しビデオ)」、1989年版になって初めて「レンタルビデオ・フィルム」という項目が登場する。

『タウンページ』で調べられる情報は(時々広告を載せている店もあるが)基本的に店舗名と住所と電話番号のみ。「コアラからゴリラへ」でも書いたように、TSUTAYAやGEO等の大手や、比較的最近まで存続したレンタルショップはまだ調べようがありそうだが、それ以前の個人経営らしき数々の店舗に関しては、営業実態がまったく分からない。

ビデオパワーコーズやマリオンはどんなお店だったのだろう?

日本レジャー開発(有)はそもそもレンタルビデオショップなのだろうか?

「宅配ビデオ駅馬車」や「宅配ビデオ鳥取」は、今でいうTSUTAYAディスカスのローカル版みたいな感じなのだろうか?

広文堂書店(1988〜1996)とオズ鳥取駅前店(1997〜2007)は同じ住所だが、改称したということなのか、それともまったく別の店舗なのか?

同様に、コアラとゴリラもただ改称しただけなのか、何か経営体制が変わるなどしたのか、どちらなのだろう?

気になることが盛り沢山。以前の投稿に反応してくれた方々に、近々あらためてインタビューしたいと思っている。私と近い世代〜下の世代では「ブイレックス21」が特に思い出深いようだ。何となく2000年代以降のレンタルビデオショップだと思っていたが、実は歴史が長く、1988年以前から営業をしていた可能性もある(まだ調べられていない)。県内では鳥取市と米子市に複数店舗を構えていたが、2015年頃にはすべて閉店してしまっている。

過去もしくは現在鳥取にお住まいの方、引き続き情報提供募集中ですので、ぜひぜひよろしくお願いします。→ sasakiyusuke(at)tottori-u.ac.jp

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?