「音楽・平和・学び合い」(24)

◆【実践研究論文】
  【不登校をめぐる教師としての「自己物語」の変容】(5)
   ~中学三年男子生徒の事例を通した「ナラティブ的探究」の試み~

2.生徒指導の側面から
〈フィールドテキスト2〉 
6月20日
 以下の状況から、急遽家庭訪問して対応する。
(以下「本校生徒指導情報共有データベース」への報告文)
 完全不登校の生徒です。市教委に匿名の苦情で「火遊び」しているとの情報が入り、「学校に行っていない」との情報から、電話で母親に問い合わせたところ、ロケット花火のことで厳しく指導したことがあるとのこと。家庭訪問して、本人から事情を聞く。2回花火で遊んだことを認める。1回目は修学旅行あけの土日、16:00頃、住宅敷地内の遊具スペースでロケット花火を飛ばす。(Dと一緒)その時は母親がすぐ気づいて止めさせ、厳しく叱責・指導したとのこと。2回目は、その3~4日後、19:30頃、公園(駐車場の向こう)で、通信制高校在籍の19歳(E)と、妹(小4)と3人で、普通の花火をしていたら、通りかかった人に注意され、すぐ止めたとのこと。使用した花火は近所のスーパーで購入したもので、1回目に叱られた後、未使用分は捨てたが、2回目に使用した花火は、以前から家にあったものだったという。

分析他
 一通り話を聞き、二度とこのようなことの無い様にと指導する。母親の話によれば、同居している祖父が団地の自治会副会長で、会議の折、会長から上記のことについて苦情を言われ、改めて家でも指導されていたとのこと。通報した方については、以前からトラブルがあるらしく、今回の件についても「警察や市教委に言うぞ」と言われていたらしい。(住民トラブルの領域であるため、通報者についてお聞きすることはしなかった)
 これまでの家庭訪問では、本人が部屋から出てきたことはなかったが、今回は居間に出てきて、担任と膝を突き合わせて30分ほど話をすることができた。花火の件は残念なことだが、このことをきっかけに、直接さまざまな事柄(特に進路関連)について話ができたことは有益であった。今後も継続して家庭訪問を行い、経過を見守っていきたい。

〈リサーチテキスト2〉
 Aの場合、全くのひきこもりではなく、友人と日常的に遊んでいたり頻繁に外出したりできていたことは、肯定的に受け止めうる条件だった。年上の友人Eは本校の卒業生ではあるが、ネットのオンラインゲームで知り合った関係であり、彼自身も中学時代からの不登校経験者であった。学校関係者の一般的通念として、ネットつながりの人間関係を否定的に見ることが多いように思うが、私は「パソコンという道具は、とりわけ社会的ひきこもり状態の人にとっては、非常に大きな意義を持つ」との斎藤環の指摘21)が念頭にあったこともあり、Eとの関係を責めないでAと向き合うという判断をすることができた。結果、Aにとっては数少ない友人と妹と花火で遊んだエピソードを、単なる「指導・叱責」の対象とせずに対応することができた。

 市教委から管理職経由で担任である私に直接指示された指導事案であり、一般的な生徒指導(学年から生徒指導部、管理職というボトムアップ体制)とは異なるケースであったが、単に行政への説明責任(アカウンタビリティ)を果たすための形式的対応ではなく、不登校状態にあるAに対する応答責任(レスポンシビリティ)から、ピンチをチャンスに変える好機と考えて対応した。背景には不登校状態にあるAに対する地域住民の冷たいまなざしや、Aの家族を巡る関係性の乏しさなど、様々に感じることの多いエピソードであったが、「市教委」という外圧のお陰でAと向き合えたことも事実であり、ある種の「外的強制=他者に対する責任を果たすこと」をAに感じてもらうきっかけにもなった様に思う。

 「学校に行っていない」生徒が「火遊び」しているという事実は、世間一般の価値観からすると、許されない非常識なものである。NIの観点から見るならば、こういった常識や価値観は社会の「支配的ストーリー dominant stories」とみなされるだろう。しかし田中による解説によれば、「NIでは、支配的ストーリーも、あくまで一つのストーリーであるから、子どもが生きるストーリーに対して無前提的に優越するものとは見なされず、相対化される」22)。私も教師になったばかりの若い頃は「ダメなものはダメ」という常識に囚われ、その行動の背景にある想いや願いを想像するなどとは考えが及ばなかった。まさに「支配的ストーリー」のエージェントとして子どもに向き合っていたと言っても良いだろう。今回のエピソードでは、Aの生活世界を構成しているネット依存状態や限られた人間関係をまずは受容し、そこに関心を寄せつつ、彼独自の「支えとするストーリー」を引き出す余地を残したいと考えていた。

 田中曰く、「支えとするストーリー」は相対的な安定性をもちつつも、しばしば、他のストーリーとの関係で構成し直される23)。特に従わねばならないものとしての「神聖なストーリー sacred stories」このケースの場合は「火遊びは許されない」との指導・叱責に対して、「友達、兄弟と花火で楽しく遊びたい」というシンプルな想いは当然衝突する(NIでは「対立するストーリー conflicting stories」と呼ぶ)。ただでさえ不登校状態にあり、「学校に行かなくてはならない」という神聖なストーリーから外れているAに対して、新たに生じる緊張関係を回避し、対話的かつ応答的な関係を紡ぎ出すには、異質性を保ちつつ共存可能な「競合するストーリー competing stories」を提示する必要があった。

 このエピソードで私が試みたのは、行政・管理職・生徒指導部といった「表向きのストーリー cover stories」に対するアカウンタビリティはそれとして果たしつつ、Aとの関係においては「さすがに今回は会ってくれないと困るから、助けて欲しい」との姿勢で向き合い、レスポンスを引き出すことだったと言えるだろう24)。ありがたいことにその戦略は功を奏し、この時をきっかけにして、定期的に顔を見て話せる関係性ができていった。

【注】
21)斎藤環『社会的ひきこもり-終わらない思春期』
                       PHP研究所(1998)p.194
22)田中昌弥(2011)p.49
23)田中昌弥(2011)p.50。
以下「神聖なストーリー」「対立するストーリー」「競合するストーリー」  
「表向きのストーリー」についても同頁を参照した。
24)ここに示された「表向きのストーリー」と、Aに対する個別対応は、クランディニンらのいう「専門知の風景」における「教室外/教室内」の領域に対応していると考えられる。田中昌弥(2008)pp.354-360を参照のこと。

===編集日記=== 
  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第3340号です。
 笹木陽一さんの「音楽・平和・学び合い」、お届けします。
 作品の2/3ほどになります。味読したい。

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