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「音楽・平和・学び合い」(17)

◆【実践報告】
  中学校における臨床教育学的生徒理解(3)
  -生徒のナラティヴを引き出す音楽科授業- 

 フレイレの『被抑圧者の教育学』を読めば読むほど、日本の現実とのギャップに悩みは深まる。しかし、様々な生きづらさを抱え、協働の不可能性におびえている子どもたちこそ、今日の社会における「被抑圧者」であると考え、彼らをエンパワーメントする教育や学校とはどのようなものなのか、このことをあきらめることなく追究していくしかないのだと思う。そうしなければ、彼らの生存・発達・学習の危機は乗り越えられることのないまま放置され続け、いつまで経ってもこの社会に「民主主義的な関係」が根付くことはないだろう。

3.音楽科における生徒のナラティヴを引き出す授業
  -「5分間鑑賞」の実践

 私は音楽科の教員になって3年目であった1998年から、14年間継続して「5分間鑑賞」と自ら名付けた取り組みを継続してきた。「5分間鑑賞」は、授業開始5分間を使って、生徒自らが持ってきた曲に耳を傾け、クラスみんなで共有するモジュール活動である。この実践を始めたきっかけは、初任校における生徒の荒れに対応する為であったように記憶している。勤めて最初の数年は授業が成立しない状況に悩まされており、学習に関心を示さない子どもたちから、何とか音楽への興味を引き出したいとの願いから始まった取り組みであった。

 「音楽は好きだけど、学校の授業は嫌い」という子どもたちを前にして、「子どもたちにとって身近な音楽とは何か」を自問した。私自身もそういう子どもだったし、授業で聴かされる意味のわからないクラシック音楽よりも、思いのまま自由に演奏できるジャズが好きで、小学校の時から友人とジャズバンドを組んでいるような子どもだった。

 ヒントとなったのは、小学校時代に経験した器楽合奏の取り組みだった。高学年の時の担任は、子どもたちに楽譜を配ることなく、当時流行していた『函館の女』を聴かせ、口移しでメロディーを教えながら、その場で編曲をして合奏を創りあげていった。木琴・鉄琴担当だった私には「自分で好きにアレンジしていいぞ」と、自由に演奏することを許してくれた。我流で作曲もどきのことを始めていた私は、喜々として旋律に装飾を施したり、和音を探して奏でたり、果ては対旋律を自分で創ったりして、楽しみながら演奏に参加したのだった。

 「あの時のように、自分たちが好きな曲を自由に持ち寄って、互いに聴き合うのはどうだろう」との発想から、ジャンルは問わずローテーションで自分の関心のある作品を持ち寄ることを始めてみた。当初は面倒だと言って持ってこない生徒もいたが、そんな時は好機とばかり、当時流行していたMr.Childrenやスピッツの曲を私が選んで流した。最初はざわついて、聴いていない者がほとんどだったが、私自身が楽しんで聴き、時には即興でそれに合わせてリコーダーを吹く姿を見せることで、徐々に子どもたちもリラックスして音楽を楽しむようになっていった。

 2年目からは紹介レポートを書いてもらうようになったが、その内容も徐々に充実していった。レポートには「どうしてその曲を選んだのか、自分が感じたことを素直に書いて欲しい」と伝えた。普段なら何も書かずほとんど提出することのない生徒が、自分の好きな曲のこととなると、熱くレポートを仕上げてくる。その生徒の個性的なナラティヴ(物語)が良く表現される活動で、曲を流す前に行うスピーチでは音楽評論家顔負けの専門的なコメントをする生徒もおり、「教師が子どもから学ぶ」ことの多い楽しい時間となっていった。

 3年目からは「できるだけ誰も知らないような曲を探してきて欲しい」と注文し、未知な音楽と出会い自分の世界を広げることをねらいに加えた。やはりJ-ポップが中心ではあるが、他にもフォークソング・アニメソング・演歌・ジャズ・洋楽・クラシック…等、ありとあらゆるジャンルの音楽が登場し飽きることがない。4年目からは演奏のみならず、映像による紹介も可としたところ、プロモーションビデオを鑑賞するときには、食い入るように画面に集中する子どもたちの姿が多く見られるようになった。

 始めた頃はただ何となく聴くだけだったこの活動も、途中からは鑑賞する側もスピーチで語られた内容を意識して、歌詞の内容や楽曲の雰囲気、使用されている楽器の音色、声の質、リズム、テンポ、強弱、旋律の流れといった音楽的要素(共通事項)を聴き取りながら感想を記録していく形にした。そこでは音楽表現上の技能よりも言語的な表現力が重要となるが、「書くこと」が苦手で他の活動ではほとんど何も書かない生徒でも、この活動には意欲的に取り組む傾向が見られた。二校目に移ってからは鑑賞のみならず、表現の領域にも関連させて、さらに幅広い活動となるよう改善を重ねた。紹介された曲のサビの部分について、教師がレターサイン(文字譜)で階名を書いておき、鑑賞終了後、アルトリコーダーで練習する時間を取る。「できる者はできない者を支え、できない者はできる者に聞く」という「学び合い」の考え方に基づき、相互に教え合い協働で学ぶことを通して「みんながみんなでできる」ことを目指して練習が進む。2010年度からは、さらに創作にも展開して、鑑賞・歌唱・器楽・創作の全領域を横断する活動として展開している。

 継続的な「5分間鑑賞」の積み重ねを通して、音楽を言葉で表現することを日常的に経験する中で、生徒は音楽を語る語彙を着実に身につけていく。それに伴い彼らの音楽的ナラティヴ(語り)は徐々に豊かになり、感性が磨かれ、表現力が育まれる。私が「聴き・考え・書き・奏でる」サイクルと呼んでいる一連のスパイラル学習を通して、学習者は自らの内なる思いや意図に気づき、仲間と社会的な文脈の中で学び合い、構成的に知識を獲得する学びを展開することとなる。

 さらにここ数年間は、積極的にポートフォリオによる自己評価を行ってきた。「ファイルに目次をつけよう」と題して、学年末にポートフォリオを整理すると共に、その内容を目次形式で1枚にまとめるという取り組み(一種のワンペーパーポートフォリオ)を実施したり、「振り返りレポート」を書いてもらうことが多い。これらのポートフォリオからは、学習の当事者・主体者として意欲的に音楽と関わり、自らの学びをしっかりと振り返っている生徒の姿が伝わってくる。今後も「5分間鑑賞」による音楽と言葉とを往還する表現活動を積み重ね、音楽を通して生徒のセルフ・ナラティヴを喚起すると共に、さらに生徒の音楽性や感性・知性(言語能力)を高める働きかけを継続していきたいと考えている。                         

(6/10)

===編集日記=== 
  皆様に支えられて「日刊・中高MM」第3324号です。
 笹木陽一さんの「音楽・平和・学び合い」、お届けします。
 1/31(3312号)の続きです。
・ここ数年間は、積極的にポートフォリオによる自己評価を行ってきた。 
 「ファイルに目次をつけよう」と題して、~生徒の音楽性や感性・知性 
 (言語能力)を高める働きかけを継続していきたいと考えている。
 ますます形成評価からプロセス評価への価値が高まっていますね。
 学習内容はもとより評価の方法も変化している。

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