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#143 『赤毛のアン』 はなぜ日本と韓国で特別に人気があるのか?

最近 note の街でまた嬉しい出会いがありました。昔から大好きな『赤毛のアン』シリーズの話題を通して新たな友人ができたのです。今日は3部作エッセイの2本目として、久々にアンについて書きます。そしてこの内容は、以前別の note 友達と「いつか必ず書きます」と約束した内容でもあります。



『赤毛のアン』 とプリンス・エドワード島

『赤毛のアン』シリーズがなぜ世界でも特に日本と韓国で人気があるのか、現地カナダの人も「?」と思っているようです。『赤毛のアン』の舞台となったのは、カナダ東部の小さい島、プリンス・エドワード島 〜 Prince Edward Island を略して通常は PEI と呼ばれます。島ですが一つの州で、実はカナダ連邦が誕生した場所でもあります。今日の記事でも PEI と書きますね。

毎年夏には、PEI の州都シャーロットタウンにあるコンフェデレーション・センターで『赤毛のアン』のミュージカルが上演されます。日本人観光客もたくさん来るようで、僕が行った時には「ようこそ」の日本語表示もありました。しかし、言い方は悪いですが、特に何の変哲もない孤児アンの物語に、日本と韓国の人たちがなぜそれほどに惹かれるのか、これは考えてみる価値がありそうです。

通説は?

これまでにも、多くの文学研究者や愛好家がこの「なぜ」を考えてきたようで、よく言われる理由のうち3つをご紹介します。

1)村岡花子訳『赤毛のアン』が出版された1952年は戦後間もない時代 〜 物語に描かれたカナダの世界が、西洋に対する扉を開き、人々に夢を与えたから。

2)『赤毛のアン』ではアンが大学を卒業して学士(文学)の学位を取得、まだまだ女性の大学進学率は低かった出版当時に、女性に希望を与えたから。

3)村岡花子さんの訳が日本語として素晴らしいから。

このあたりが理由とされるが……

3番目の理由はその通りだと思うのでさておき、最初2つの理由を見て、何か気づきませんか?もしこの2つが主な理由なら、海外旅行や海外留学が普通になり、男女の進学率にもほぼ差がない(日本では、短大を含めると女子の進学率の方が高い)今の時代、『赤毛のアン』の人気は廃れてしまっているはずです。でも実際には、そんなことは全くありません。

「戦後の暗い時代に夢を与えた」「女性に勇気を与えた」はその通りだと思いますが、出版後70年を経ても変わらない人気を誇るアンの魅力の理由とするには不十分ではないかと思います。もっと別に理由がありそうです。
 ちなみに、著者のルーシー・モード・モンゴメリは、カナダ、ノヴァスコシア州のダルハウジー大学で学びましたが、当時はなんと女子学生は卒業することは認められておらず、モードは成績優秀だったにも関わらず、聴講生として学ぶことしかできませんでした。さぞ無念だっただろうと思います。

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「日本と韓国」 にヒントあり

広い世界の中で、「日本と韓国」でアンが特別人気があるということは、アンの物語の中身を云々するより、「メカニカルに考えて」日本と韓国の共通点を洗い出す方が理由を見つけるには早いはずです。いきなり夢のない暗い話をしますが、次の二項目が多いに関係していると考えます。それは、

・幸福度が低い(2024年ランキング、日本は51位、韓国は52位)
・自殺率が高い(日本と韓国は 15〜34歳の若年層の死因トップが自殺)

『赤毛のアン』とこの2つを結びつける人は少ないと思うが……

です。であるならば、「幸福度が低く、自殺率が高い」理由が、「アンの物語が人気になる」理由と、何らか関係があるかもしれない、と考えてみることは、有意義だろうと思ったわけです。いわば、上の二つの事象の間に存在する「潜在変数」を見つけ出そうという発想です。このことを思いついたのは、PEI を訪ねた1996年のことなので、もう28年間温めてきた論ということになります。

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「午後11時のアイスクリーム」 こそがアンの物語の核心だ!

『赤毛のアン』の物語の「ここが核心!」というシーンを紹介してください、とファンの方にお願いすると、どのシーンが出てくるでしょうか?
 アンがギルバートの頭に石板を打ち下ろしたシーン、ダイアナにワインを飲ませて酔っぱらわせたシーン、あるいは教会のピクニックでアイスクリームを食べるシーンなど、いろいろ出てくると思います。
 現地 PEI でのミュージカルでは、おそらくピクニックでアイスクリームを食べるシーンが最も印象的で、そのシーンのための「アイスクリーム」という曲まであるほどです!次の YouTube 動画(予告編)の後半がその曲です!

僕の考えでは、新潮文庫版だと全10巻で数千ページになる「アン・シリーズ」のエッセンスは、アイスクリームが登場するもう一つのシーンにあるのではないかと思います。簡単に状況を説明し、当該箇所の本文をご紹介します。訳は、次のサイトから取りました。

アンと親友のダイアナが住むのは、PEI のアヴォンリーという小さな村。そんなある時、州都シャーロットタウンに住むダイアナの大伯母ミス・バリーから街に招待されます。街では有名な歌手のコンサートを聴きに行き、アンとダイアナは都会の生活にうっとりしてしまいます。アンは、「コンサートの幕が降りるのがとても辛かった」とミス・バリーに伝えます。その次の部分が「核心」です。

幕が降りるのがすごく辛かったわ。だからミス・バリーに言ったの、 当たり前の生活に戻れそうもないって。そしたら、 通りの向こうのレストランに行ってアイスクリームでも食べれば、 そんな気分も吹き飛ぶんじゃないかね、だって。 その時は、なんて身も蓋もない言い方だろうって思ったけど、 なんとビックリ、実際その通りだったのよ。美味しいアイスクリームだったわ、マリラ。 夜中の11時にレストランでアイスクリームを食べてるなんて、とっても素敵だし贅沢な気分よ。 ダイアナは街の暮らしの方が向いてそうなんだって。 ミス・バリーにあたしはどう思うか聞かれたけど、 本当は自分がどう思ってるか、しっかり考えてから返事するって言っておいたの。 それで、ベッドに入ってからじっくり考えてみたのよ。考え事をするにはちょうど良いもの。 あたしの結論はね、マリラ、自分が街の生活には向いてないことと、それが気に入ってるってこと。 夜中の11時にきらびやかなレストランでアイスクリームを食べるのもたまには悪くないわよ。 でもそれよりは、いつものように東の切妻で11時にはぐっすり眠っていたいの。 そして、寝ていても何となく感じているのよ、窓の外に星が輝いているのも、 風が小川の向こうのモミの間を吹き抜けていくのも。

日本語訳は上掲サイト https://slib.net/112721 より

午後11時のアイスクリームを読み解く

上の部分を読み解いてみます。アンとダイアナにとって、街でコンサートを聴き、その興奮を覚ますためにレストランで夜11時にアイスクリームを食べるというのはとても素敵で、ダイアナはそんな生活の方が自分には合っていると言いました。

夜中の11時にきらびやかなレストランでアイスクリームを食べるのもたまには悪くないわよ。 でもそれよりは、いつものように東の切妻で11時にはぐっすり眠っていたいの。

「東の切妻」は、自宅のアンの部屋の意味

つまり、「きらびやかで贅沢な暮らしよりも、何気ない日常生活を愛する」という意味になりますが、これは何を意味するでしょうか?しあわせが「きらびやかで贅沢な暮らし」でしか得られないのならば、しあわせはいつか尽きてしまいます。無限にお金を持っている人はいませんし、たとえお金があっても、歳をとって体が不自由になれば、パーティーへ出かけることもできなくなるかもしれません。一方、「何気ない日常生活」は、無限ではありませんが、はるかに豊富にあります。

ガソリンを燃料とする車はガソリンがなくなれば、電気自動車は電気がなくなれば、太陽電池で動く車も夜が続けば動けませんが、もし「空気だけで動く車」があれば、人間が生きていける環境ならばどこでも、どこまでも走っていけます。
 アンは「何気ない日常生活にしあわせを見出す力」を持たされた登場人物だったのだと思います。「空気だけで動く車」が夢の車であるように、おそらく、人間が持ちうる能力の中で、この能力より素晴らしい能力はないと思います。この部分は素晴らしすぎて、何度読んでも涙が出てしまいます(今も出た😢)

さらに、その後の部分、

そして、寝ていても何となく感じているのよ、窓の外に星が輝いているのも、 風が小川の向こうのモミの間を吹き抜けていくのも。

この部分にも重要な「しあわせの要素」が描かれている

では、彼女の「しあわせ感」が自然と深い関係にあることもわかります。この二つの要素、つまり「日常生活にしあわせを見出すこと」「自然の近くにいること」は、幸福度が高いとされる北欧の方と話すと必ず出てくる二つの要素です。

日本と韓国は、自分や一緒に旅した友人の経験からも、日常生活にしあわせを見出しづらい文化の国なのではないかと思います。「辛い毎日に耐えて、頑張った自分に〇〇のご褒美ディナー!」「毎日深夜残業のブラック職場にも耐えて、その代わり年に2回は海外バカンス!」というような「しあわせ観」をよく見聞きしますが、それって本物のしあわせでしょうか?

こんな物語を記したモード本人の死因は、とても残念ながら、『赤毛のアン』出版後100年目に公表されたところでは、自殺とされています(諸論あり)。実際には当時の制度で大学を卒業できなかったモードが、物語ではアンに立派に大学を卒業させたように、モード本人も「日常生活にしあわせを見出す」ことを夢見たものの叶わず、その役割をアンに託したのではないかと思いを馳せます。

午後11時のアイスクリーム、 再現編!

僕は1996年にカナダへ語学留学した際に、現地で知り合った韓国人の女性と二人で、語学コース修了後に一週間旅行しました。彼女もアン好きな人だったので、「物語を再現しよう」と話し、アンが生まれて孤児院に暮らしたノヴァスコシアにまず入り、その後アンが島へ入ったのと同じルートで、船で PEI へ渡りました。州都シャーロットタウンに着いた翌日、コンフェデレーション・センターで行われたアンのミュージカルを観て、終演後にこんな会話をしました。彼女も『赤毛のアン』全シーン全セリフが頭に入っている人でした。

 僕:午後11時のアイスクリームのシーン、覚えてる?
彼女:もちろん、コンサートの後に興奮冷めやらずのシーンでしょ!
 僕:そうそう。あれ、僕たちもこれからやってみない?
彼女:?
 僕:今からアイスクリーム、食べに行こう!

午後11時のアイスクリーム、再現してみた🍨

物語では、「通り向こうのレストランでアイスクリームを」とあったので、売店でアイスクリームを買うのではなく、ちゃんとしたレストランを探して、「デザートだけでもいいですか?」と聞いて入りました。そこで物語と全く同じように、二人でアイスクリームを食べました。
 もし、「あなたの青春の一番の瞬間を教えてください」と聞かれたら、僕はあの夜(本当に夜11時でした)アイスクリームを食べたあの時と答えたいと思います。あのレストラン、まだあるかなあ……コンフェデレーション・センターから歩いて数分の、下り坂の途中にあったはず……

*     *     *

おわりに

3部作エッセイ2本目のこのエッセイは、1996年に思いつきながら、28年間も文章化できなかったこの内容を書かせてくれた、新しい友人であるワカナさんに捧げたいと思います。

ワカナさんは PEI をなんと9回も訪問され、note でも現地事情について詳しく発信なさっています。ワカナさん、僕たちが夜11時にアイスクリームを食べたレストラン、どこだか分かりますか?旅行記はこちらから。

いつかあの島へもう一度、そして夜11時のアイスクリームをもう一度と思います。「生きている限りなくならない日常生活」にしあわせを見出す力を目指して✨

今日もお読みくださって、ありがとうございました🍨🇨🇦
(2024年5月29日)

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