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#66 もう一度、「ぶらいと珈琲」一緒にやりませんか?

友人がカフェで仕事を始めました。美術館に併設されているカフェで、ウェブサイトをのぞくと、素敵なインテリアが印象的です。そういえば昔、カフェをやりたいと思ったことがあったな、と思い出しました。それは、漠然とカフェにあこがれたのではなく、「このお店の続きをやりたい」と思うお店があるのです。



つくば ぶらいと珈琲

つくば市天久保にかつてあった、「ぶらいと珈琲」という喫茶店をご記憶の方はいらっしゃるでしょうか?オーナーご夫婦が経営されていた席数20席程度の小さな喫茶店なのですが、ある点で都内からも人が来るほど有名な店でした。

それはぶらいとの圧倒的なコーヒーセット(カップ&ソーサー)のコレクション。同じものを複数揃えた一般的なものから一点ずつ異なる高級品まで、多くが壁に並んでいました。コレクションは数百を数え、中には一組数万円というものもあったようです。
 一見さんが来た時には一番下の棚にある「たくさんあるコーヒーセット」の一つを、何度か行くようになると客に合わせて一点もののコーヒーセットを棚から選んでくれるお店でした。

大学生の頃近くに住んでいたので、アルバイト代が入るとぶらいと珈琲へ行くのが楽しみでした。席に座ってコーヒーを注文すると、店主がコーヒーセットを選ぶのが見え、使うカップが決まったら、お湯でカップを温め、丁寧にペーパーフィルターでコーヒーを淹れてくれます。大切な考え事をする時には必ずぶらいと珈琲へ行きました。上の地図で「ガーリーショット」となっている場所が、かつてぶらいと珈琲があった場所です。

*     *     *

書籍 『つくば ぶらいと珈琲物語』

お店を経営なさっていたご夫婦の奥様が、ぶらいと珈琲をたたんだ後に回想録として出版されたのが本書です。彼女がぶらいと珈琲を始めた夫に出会い、結婚し、喫茶店の経営に奮闘した後に、店をたたみ、居抜きで譲った後継の店の店主と話すところまでが描かれています。
 僕もそんな日々の中、あの店におじゃましていたのだと思うと、とても嬉しくなります。僕がよく通っていたのは、1992〜1997年頃なので、今からざっと30年前になります。

この本はなんと、2009年に『逆転夫婦の珈琲ワルツ』というタイトルでテレビドラマ化もされました。ご夫婦役は故田中好子さんと長塚京三さん。残念ながら観ることは叶わなかったのですが、オーナー夫妻はこのドラマをどんな思いでご覧になったのかな、と思いを馳せました。
 ご主人は、椎間板ヘルニアを患ったために、店に立ってコーヒーを淹れることができなくなった、と本にありますが、僕はそのご主人が淹れてくれたコーヒーを飲んだ覚えがあります。まだ本格的に患う前だったようです。


ぶらいと珈琲のその後

ぶらいと珈琲閉店後は、「パルケ」という名前の定食屋兼カフェの店になり、ぶらいと珈琲時代のインテリアはそのままでした。その後「パルケ」も閉店し、現在は「ガーリーショット」というバーになっています。ぶらいと時代のインテリアは全て取り除かれてしまったので、当時の面影は全くありません。
 実際には、つくばの商業的な中心地が大学近辺から研究学園駅付近へと動いていったのに伴い、天久保地域の活気そのものが少し失われてしまった感じがします。


いつかどこかで、もう一度「ぶらいと珈琲」を

友人が働くカフェの写真を見て、そういえばドイツで AI を研究するという夢を抱く前は、「いつかどこかで『ぶらいと珈琲』の続きをやる」という夢があったな、と思い出しました。おかみさんはまだご健在だろうか?もしいらっしゃったら、屋号を譲ってもらえないだろうか?

手元に一枚だけある貴重なぶらいと珈琲の店内写真
ネット上にもぶらいと珈琲の写真はもう見当たりません

映画公開後17年も経っても、ヘルシンキに「かもめ食堂」があるように、どこかの国のどこかの街に「ぶらいと珈琲」の二号店があってもいい、名物だったシフォンケーキをまた出そう、そんなことを思いました。夢はたくさんある方がいい。

ぶらいと珈琲ではこんなコーヒーは出なかったが、気持ちは似ている

友人が働くカフェが思い出させてくれた、「ちょっと前の大切な夢」でした。

今日もお読みくださって、ありがとうございました☕️☕️
(2023年10月5日)

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