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#16 自分以外に、なろうとしない

note を初めて約1ヶ月が経ち、フォローしてくださっている方々と直接お会いして話す機会も何度かありました。今日は本来の隔日投稿の日ではないのですが、そんな中で気づいたことをメモ的に臨時投稿として書きます。


分かりやすい説明、でも?

最初の仕事が教師だったということもあり、僕の趣味は「一見難しいことを、分かりやすく説明する」ことです。最近では、ChatGPT などの大規模言語モデル(LLMs)が「文脈を考慮する」ことを可能にした肝の技術である attention mechanism(「注意機構」と訳されますが、僕はこの訳語は好きではありません。「アテンション機構」でいいと思います)をある講演会で説明した際、「これまで分からなかった仕組みが、今の説明でやっと分かりました」と言われて、とても嬉しかったです。基本的には「説明屋」だと思っています。note 記事でも、

「分かりやすい説明ですね」
「先生っぽい文章ですね」

よく言われること……

というコメントを多くいただきます。でも実は、少し複雑な心境でもあるのです。

僕の直感ではありますが、多くの教師が、「先生っぽいですね」と言われると、あまり褒め言葉には感じません。むしろ、「もっとニュートラルに、普通の文章を書きたかったのに、やっぱり職業色が出ちゃったか……」と感じるように思います。日本では根強く、「先生が生徒に(上から目線で)教える」という認識が残っていると思うので、多くの教師は「そうではない態度」を身に付けたいと思っているはずです。なので、会う人会う人に、

「昔から変わってないですね。ササキ先生らしい分かりやすい文章ですね」

とても嬉しいのだが……

と言われると、逆に😔という気持ちでもあるのです。多分、上の二段落もそういう文章なのだと思います。

もっと長く、もっと硬派に

一方、僕が深いところで言語教育や AI に対して抱いている信念について共有している人たちからは、

「書きたいことをもっとストレートに、硬派に書いて、必要な分量だけ遠慮せずに長く書けばいいのに。読んでくれる読者は少なくなっても、確実に響けば届くメッセージの総量は増しますよ!」

別の友人たちからのコメント

とのご指摘もいただきました。多分、上の二段落も物足りなく感じられるのだと思います。そういえば、以前共同研究の可能性を探っていた相手が、その方の恩師から次のようなことを言われたと話してくれました。

「難しいことは、難しいまま表現すればいい」

ある日本文学の先生の言葉

海外事情は行ってみなければ分かりませんが、日本では難しいことは「わかりやすく単純明快に」表現し説明することが求められることが多いように思います。本当に簡単に内容をきちんと理解できれば問題ないのですが、分かりやすくしようとするプロセスの中で、元の「難しいこと」の本質が失われてしまっては、元も子もありません。それならばむしろ難しいまま表現して、「これは難しいから、しっかり勉強しなければ」となる方がいいかもしれません。過剰に単純化された説明を鵜呑みにして、本質が見えなくなることは怖いですね。

今の私は、私のせいだ。今の私は、私のおかげだ

大切にしている上の言葉を再度。「今の私は、私のせいだ」〜教員としての癖はどうしても抜けません。一部の人に「この人の文章は、上から目線だ」と思われるのは、どうしようも避け難いのかもしれません。書く側は全くそんな意識はないのですが、身から染み出てしまうのでしょう。「今の私は、私のおかげだ」〜同時に、僕の説明を「分かりづらい」という人があまりいないのも事実です。分かりやすく説明する技術は、これからも大切にしていきたいです。

結局、上で紹介した前者の人の気持ちに応えるために、多くの note 記事にあるような、数行おきに改行して、文体はカジュアルであまり説明口調にならず〜(僕もそういう文章が好きです)〜という文体に変えれば、後者の人にとっての物足りなさは増すでしょう。逆に、後者の人の気持ちに応えるために、もっと「長く、硬派に」書けば、前者の読者は離れてしまうかもしれません。結局は双方の意見に耳を傾けた上で、「ちゃんと自分でいる」ことが大切なのだと思います。

いつか魅力的な個性へ

音楽、特にジャズの世界では、必ずしも音楽理論で褒められた方法を使っているわけではなくとも、「強烈な魅力」を発揮する奏者がいますね。ぱっと思いつくのは二人。まずはピアニストのデイヴ・グルーシン(御年89歳!)。彼は独特の不協和音を効果的に使うのですが、ソロの最初などに「タンタン」とその不協和音が入るだけで、「グルーシンだ!」と一発で分かります。もう一人は一昨年亡くなられたサックス奏者の土岐英史さん。土岐さんのソプラノサックス・ソロの「タラ、タラタラタラ」は有名で、演奏を知る人同士では、「タラ、タラタラタラ」で通じてしまうほどです。土岐さんへの敬意もあり、あのフレーズは誰も真似しないですね(こっそり一人でやってみたい🤭🎵)。

実はそういう演奏や文章の「個人らしさ」は、演奏や文章データを数値化して特定の方法で分析すると、ある程度定量的に観察することができます。つまり、ChatGPT や作曲 AI などの生成モデルに模倣させることはできます。しかし、最初にその「らしさ」を作り出して、その作家の人となりと結びつける(記号接地)ことは、今のところ AI にはできません。いつか、「先生っぽい」「分かりやすい」を超えて、そんな個性を身につけたいです。

今日はいつもより少し緩く、「脱線を気にせず、好きなように書いた」つもりです。たまには、いいかもしれない。今日の臨時投稿も、お読みくださってありがとうございました☕️
(2023年7月24日)


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