#150 触ったときに✨ときめきますか?
150番目の記事になりました。今日は、僕が今ここにいる上でなくてはならなかった出会いについて書きたいと思います。そしてこの出会いは、過去と現在を繋ぐだけではなく、未来へも伸びています✨
近藤麻理恵さん
みなさん、「こんまり」さんこと近藤麻理恵さんをご存知ですか?「片付けコンサルタント」として知られる彼女が 2010 年に出版した『人生がときめく片付けの魔法』は、なんと世界 40ヵ国で翻訳されて 1,300万部を売り上げたベストセラーとなりました。2015年には『TIME』誌により、「世界で最も影響力のある 100人」に選ばれたほどです。僕は、どうしてもこれに同意しなければなりません。というのも、こんまりさんがいなければ、僕は今オランダにいないからです。
この本を買ってきたのは妻で、僕もすぐに読んでこんまりさんが書いているように片付けを始めました。洗濯物の畳み方は、今でも彼女の勧める通りにしています。そして何より分かりやすく気持ちがいいのは、彼女の「手にとって《ときめく》ものは残し、そうでないものは捨てる」という簡潔明瞭な方法論です。ピンとこない人もいるようですが、僕には何より分かりやすい基準です。
谷村有美さんとお揃いのピアノ
こんまりさんの言うことをほぼ取り入れてきた僕ですが、一つだけごまかしていたものがありました。それは自宅にあった古いデジタルピアノ、ローランド FP-8 です(ヘッダ画像は実物の写真です)。電子楽器は弾かずに長年置いておくと、電子回路が劣化してしまい、比較的早くだめになってしまいます。2019年にはすでに「音が出たり、出なかったり」の状態でした。僕が持っていたのと同じ、赤いボディでデモをしている動画を見つけました。こんな音でした。
このピアノは、高校時代からファン歴30年以上のミュージシャン、谷村有美さんが使っていたものと同じモデルと色で、両親から成人祝いに贈られたものでした。筑波大学時代に買ったもので、何度も一緒に引越ししながら26年間大切にしていました。しかし、「音の出なくなった電子楽器」は言うなれば「生気が枯れて」しまったものであり、それをリビングの目立つところに置いておくのは、なんだか「気の流れを乱している」と、直感的に感じていました。
「このピアノはとても大切だけど、もうときめかない」と思ったのです。結局、2020年4月2日、収集を依頼し、泣く泣くこのピアノを手放しました。朝早く集積所に運び込み、周囲に誰もいないのを確認してから、「26年間ありがとう」と声に出して話しかけたのを覚えています。
もっと素敵なもの
こんまりさんの考え方では、「大切にしていたけれど、もうときめかないもの」を手放せば、その空いた場所に「もっと素敵なもの」が入ってくるはずです。「僕には、何が来てくれるのかなあ……」と集積所を後にぼんやり考えていました。
翌日のことでした。仕事から帰ってきた妻は、
と、雑誌『月刊先端教育』の2020年2月号を手渡してくれました。
特集の「『英語教育』再考」記事では、同時通訳者・立教大学名誉教授であり、最近では、NHK「太田光のつぶやき英語」でもご活躍中の鳥飼玖美子先生が日本の英語教育の再検討点について述べていらっしゃいました。
その記事を読み終えた後もページを繰っていきます。すると、「日本初の AI に特化した大学院を開設」という記事に行きあたりました。
この記事を読んだのは4月3日なので、その数日後に立教大学がスタートさせる、「文系・理系を問わず、社会人も受け入れる」大学院人工知能科学研究科の紹介記事でした。研究科内部の写真にはカラフルなインテリアが写っていて、なんだか Google のオフィスのようでとてもキラキラしていました(実際に Google のオフィスをイメージしてデザインしたそうです)。その時、きっとこれがこんまりさんの言う「もっと素敵なもの」だ、と分かりました。なんと、大切だった赤いデジタルピアノを手放した、翌日にその素敵なものは予想外の形でやってきました。
その翌日にはその大学院を受験することを決め、翌々日の4月5日に受験勉強の計画を立てました。そして9月に受験 → 合格 → 翌春入学 → 2023年春修了 → ドイツ留学 → オランダへ移籍、と今に至ります。ピアノを手放した3日後には、次の未来に向けての青写真を手にしていました。
2つの縁
ちなみに、海外大学院の受験には、「推薦者」が通例2〜3人必要です。この雑誌で特集記事を執筆なさった立教大学の鳥飼玖美子先生とは、実は20年以上前に筑波大学でお会いしたことがあることを思い出し、ご連絡を差し上げました。事情を話したところ、「ならばこの人!」と英語教育と AI の関連を研究されている先生をご紹介いただき、強力な推薦者になっていただきました。妻が何気なく買ってきたこの雑誌が、2つの縁を運んできてくれたのです。もちろん、誰よりも感謝したい人は、すべてのきっかけを与えてくれた妻です。
あの赤いピアノは今どこにいるだろうか、電子回路の塊だから、「都市鉱山」として溶かされて金が抽出されて、東京オリンピックのメダルの一部にでもなったのだろうか、と思いを巡らせます。1993年、20歳の時に暮らしていたアパートに配達されてきた、あの雪の日をはっきり覚えています。「あまり弾いてあげられなかったけれど、本当にありがとう」という気持ちでいっぱいです。
ちなみにこの赤いピアノ、こんなところでさりげなく登場しています^^
そして、この赤いピアノの話は、未来へと繋がって、次にどんな展開を見せるのでしょうか? みなさんにご報告できる日を楽しみにしています。
今日もお読みくださって、ありがとうございました🎹
(2024年8月9日)