#101 ラッシュアワーのアダムとイブ
100番目の投稿では、これまでにないくらい固い話を書いた。バランスを取るわけではないが、今日は思いきりライトな話題にしたい。タイトルを見て「なんだかなあ」と思った人がいるかもしれないが、これは僕のアイディアではなく、好きなアーティストの曲名で、内容にピッタリだ。
阪急甲陽線
甲陽学院という私立の中高に通っていた。私立中高には珍しく、中学と高校が全く別のところにある。中学は制服、高校は私服と、学校の雰囲気も全く違う。高校は、マルーン色が印象的な阪急電車に乗ってまずは西宮市の「夙川」駅まで行き、そこから学校と同じ名前の路線「甲陽線」に乗り換え、二駅目であり終点の「甲陽園」が最寄りとなる。
今はこの路線を通学に使うのは甲陽学院高校の生徒が主となったが、僕が高校生の頃は、夙川の次の駅、「苦楽園口」が最寄りの、女子校の夙川学院高校の生徒も利用していた。夙川学院高校は女子の裁縫学校をはじまりとする大変歴史のある学校だが(裁縫塾の開設は1880年)、移転により苦楽園口にはもう校地はない。
当時、朝夕に甲陽線を利用するのはその二校の生徒がほとんどで、女子校・制服の夙川学院と、男子校・私服の甲陽学院の間に、何もないわけがない。
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ラッシュアワーのアダムとイブ
通学時間帯は決まっていて、自分たち(男子校:甲陽)も同じ電車には同じメンバーで乗ることが多かったし、自然と先方(女子校:夙川)も同じ顔が毎朝そろっていた。意識しないわけがなく、僕にももれなくお気に入りの人がいた。
結局一度も話すことはなかったが、一学年上だということを、なぜか知っていた。背は150cm台半ばで、テレビで見る顔に例えるなら、ホラン千秋さんっぽいショートカットだった。先方は夙川で乗って苦楽園口で降りるので、一緒に電車に乗っているのは一駅間、毎朝数分だけ。ジロジロ見るわけにはいかず、毎朝「チラッ」と見るくらいだった。なぜか、彼女も毎朝、「チラッ」と見て来た。多分、そんなやりとりが複数の男女の間で起きていたはずだ。
僕の友人たちは、「お前、あいつ気に入っとんの?」と聞く程度であまり興味を持たなかったが、ホラン千秋さん似の彼女は、周囲の友人にずいぶんとけしかけられていたようだ。「今日は〇〇をしなさい」と言われていたと推測する。
なぜなら、座れずにお互い近くに立っている時、電車が揺れるのに合わせて向こうからわざとぶつかって来て、謝りもせずに去っていくというようなことがあり、背後にいる彼女の友人は大いに盛り上がっていたからだ。
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飛んできたローファー
そんなある日、ちょっとしたハプニングが起きた。その日は席に座れて、僕と彼女はちょうど向かいになった。「チラッ」と見て、「チラッ」と返ってくる。座っているから、よろけてぶつかられ、友人に冷やかされることもない、と安心していた。しかし次の瞬間、だ。
彼女は制服をきちんと着こなすタイプだった。しかしその日はなぜか、学校指定の黒のローファーのかかとを外してつま先だけをひっかけ、ぶらぶらさせていた。そういうだらしないことは普段はしない。「どうしたのだろう」と思っていた次の瞬間、なんと彼女はその靴を僕の方に飛ばした!左右でくすくす笑う彼女の友達……
靴は向かいにいる僕の目の前に落ち、僕の友人たちも目を丸くしている。拾って、「君の靴……」と持っていくべきか、と悩んでいると、彼女は向かいから歩いて来て、何も言わず靴を拾って履きなおし、元の通りに座った。周囲がしんとした中電車は苦楽園口に着き、彼女は降りて行った。
あれは、どういう意味だったのだろう。
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ひざの上に落ちてきたのは?
ローファーの件は、「ハプニング」だった。しかしまもなく「事件」が起きた。
その日は、僕が座っていて、彼女は目の前に立っていた。彼女の友人たちがなにやらざわざわしていたが、僕はそれから何が起きるかは知るよしもなかった。ちなみに甲陽線は、夙川〜苦楽園口間で、一箇所大きく揺れるポイントがあった。そのポイントを待っていたのだろう。
電車が揺れた瞬間に、彼女は(わざと)バランスを崩して、次の瞬間、なんと僕の膝の上に「どん!」と落ちてきた。膝の上に座るという上品な感じではなく、立っていた状態から膝の上に飛び込んできた感じだった。その瞬間は、夙川サイド、甲陽サイド共無言だったが、次の瞬間、夙川サイドから「あの子ホントにしよった〜」的な声が聞こえて来た。
彼女は強気で、すぐには立ち上がらず、5秒ほど僕の膝の上に座っていた。その後立ち上がり、ローファーの日と同じように何も言わずに苦楽園口で降りて行った。
あれは、どういう意味だったのだろう。
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ここで、タイトルをいただいた曲、『ラッシュアワーのアダムとイブ』をお聴きいただきたい。歌詞では、「次のカーブでよろけたら、おはようのキスしてあげるね」とあるが、現実はそうはいかなかった(笑)
無言は雄弁より雄弁だった
結局、卒業まで彼女と言葉を交わすことは一度もなかった。でも、間違えて(いや、わざとに違いないが)膝の上に座り込んでしまって、ごめんなさいの一言も言わずに立ち去った彼女は、ある意味とても雄弁だった。
「あっ、すみません」と言っていれば、記憶から消えてしまったかもしれないあの日を、何も言わず立ち去ることで記憶の中に固定した。
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年末に帰省した時、もう一度甲陽線に乗ってみようかと思う。一箇所大きく揺れるポイントがあるはずだ。
今日もお読みくださって、ありがとうございました✨
(2023年12月15日)