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「愛」とは何かby佐々木譲崇

おはようございます。
昔の僕とは一転、「愛」について語り始めていずれ松崎しげるになるんじゃないかという思われているんじゃないかと考える佐々木譲崇です。

昔の僕は、自分自身にとてつもなく大きな「プライド」を持っていました。
この「プライド」があったために、誰も頼ることができずひたすら自分を強く見せるために必死でした。
そんな昔の僕は、とにかく「キレやすい」。
高校時代の女子からは、卒業後に「佐々木くんってもっと怖いと思ってた」。

幼少期は、「まーし」のあだ名で活発な少年でした。
クラスの一番中心で馬鹿なことをやっていました。
しかし、ある出来事から「プライド」という殻に篭ります。
その時の記憶は、ほとんどありません。
色濃く残っているのは、あの出来事だけ…

その出来事とは、「誹謗中傷の対象になったこと」。
正直僕に起きた出来事は、他の誰よりも小さな小さな本当に些細なことです。
でも、そんなに強くない僕が殻に籠るには十分。

それからは、「プライド」から人に教えを乞うこともできず、相手に与えることもできない。
今思えば、本当につまらない男だと思います。

今考えることができるようになった僕は、なぜ「プライド」に籠る必要があるのかについて考えてみました。

プライドと愛

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そもそも「プライド」は悪いものではありません。
問題になるのが、「殻に籠る」ことです。
殻にこもってしまえば、相手のことが見えなくなり全て自分に矢印がいってしまいます。
そうすればそこに「愛」はなくなります。

では、「プライド」に籠る必要はなるのでしょうか。
結論から言うと、集団の中にいるために自分自身を守るためです。
失敗して、恥をかき多くの人に笑われる。
そうすると、集団の中には存在することができません。

人は往々にして、集団の中で生きてきました。
この集団から外れては、生きてはいけません。
しかし、自分が変化していくと、今いる集団の中には居づらくなります。
居づらくなれば、その集団から出てしまいますが、またすぐに新しい集団野中に移ります。

集団の中ではいずれ、「愛」に溢れた集団が現れます。
では、「愛」とはなんなのでしょうか。

僕は、「自分も相手も勝たせるためにできる行動」だと思います。
基本的には、自分を勝たせるために動いてしまいますが、まず相手を勝たせてから自分を勝たせることが大切だと思っています。
しかし、ここで大切なのが、自分も勝たせると言うことです。

自分が負けていれば、誰も勝たせることはできません。
何事も勝ってこそ、自分が生きてこそです。

そんなありのままの自分を表現し、愛に溢れる場所を僕は作っていきたいと思っています。

では、僕からは以上です。

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